2008年11月14日金曜日

一の一

 誰《だれ》か慌《あは》たゞしく門前《もんぜん》を馳《か》けて行く足音《あしおと》がした時、代助《だいすけ》の頭《あたま》の中《なか》には、大きな俎下駄《まないたげた》が空《くう》から、ぶら下《さが》つてゐた。けれども、その俎《まないた》下駄は、足音《あしおと》の遠退《とほの》くに従つて、すうと頭《あたま》から抜《ぬ》け出《だ》して消えて仕舞つた。さうして眼《め》が覚めた。
 枕元《まくらもと》を見ると、八重の椿《つばき》が一輪《いちりん》畳《たゝみ》の上に落ちてゐる。代助《だいすけ》は昨夕《ゆふべ》床《とこ》の中《なか》で慥かに此花の落ちる音《おと》を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬《ごむまり》を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更《ふ》けて、四隣《あたり》が静かな所為《せゐ》かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋《あばら》のはづれに正《たゞ》しく中《あた》る血《ち》の音《おと》を確《たし》かめながら眠《ねむり》に就いた。
 ぼんやりして、少時《しばらく》、赤ん坊の頭《あたま》程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当《あ》てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈《みやく》を聴《き》いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確《たしか》に打つてゐた。彼は胸に手を当《あ》てた儘、此鼓動の下に、温《あたた》かい紅《くれなゐ》の血潮の緩く流れる様《さま》を想像して見た。是が命《いのち》であると考へた。自分は今流れる命《いのち》を掌《てのひら》で抑へてゐるんだと考へた。それから、此|掌《てのひら》に応《こた》へる、時計の針に似た響《ひゞき》は、自分を死《し》に誘《いざな》ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生《い》きてゐられたなら、――血を盛《も》る袋《ふくろ》が、時《とき》を盛《も》る袋《ふくろ》の用を兼ねなかつたなら、如何《いか》に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生《せい》を味はひ得るだらう。けれども――代助《だいすけ》は覚えず悚《ぞつ》とした。彼は血潮《ちしほ》によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生《い》きたがる男である。彼は時々《とき/″\》寐《ね》ながら、左の乳《ちゝ》の下《した》に手を置いて、もし、此所《こゝ》を鉄槌《かなづち》で一つ撲《どや》されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。
 彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中《なか》から両手を出《だ》して、大きく左右に開《ひら》くと、左側《ひだりがは》に男が女を斬《き》つてゐる絵があつた。彼はすぐ外《ほか》の頁《ページ》へ眼《め》を移した。其所《そこ》には学校騒動が大きな活字で出てゐる。代助は、しばらく、それを読んでゐたが、やがて、惓怠《だる》さうな手から、はたりと新聞を夜具の上《うへ》に落した。夫から烟草を一本|吹《ふ》かしながら、五寸許り布団を摺《ず》り出して、畳の上の椿《つばき》を取つて、引つ繰《く》り返《かへ》して、鼻の先へ持《も》つて来《き》た。口《くち》と口髭《くちひげ》と鼻の大部分が全く隠《かく》れた。烟りは椿《つばき》の瓣《はなびら》と蕊《ずい》に絡《から》まつて漂《たゞよ》ふ程濃く出た。それを白《しろ》い敷布《しきふ》の上《うへ》に置くと、立ち上《あ》がつて風呂場《ふろば》へ行つた。
 其所《そこ》で叮嚀《ていねい》に歯《は》を磨《みが》いた。彼《かれ》は歯並《はならび》の好《い》いのを常に嬉しく思つてゐる。肌《はだ》を脱《ぬ》いで綺麗《きれい》に胸《むね》と脊《せ》を摩擦《まさつ》した。彼《かれ》の皮膚《ひふ》には濃《こまや》かな一種の光沢《つや》がある。香油を塗《ぬ》り込んだあとを、よく拭き取《と》つた様に、肩《かた》を揺《うご》かしたり、腕《うで》を上《あ》げたりする度《たび》に、局所《きよくしよ》の脂肪《しぼう》が薄《うす》く漲《みなぎ》つて見える。かれは夫《それ》にも満足である。次に黒い髪《かみ》を分《わ》けた。油《あぶら》を塗《つ》けないでも面白い程自由になる。髭《ひげ》も髪《かみ》同様に細《ほそ》く且つ初々《うい/\》しく、口《くち》の上《うへ》を品よく蔽ふてゐる。代助《だいすけ》は其ふつくらした頬《ほゝ》を、両手で両三度撫でながら、鏡の前《まへ》にわが顔《かほ》を映《うつ》してゐた。丸で女《をんな》が御白粉《おしろい》を付《つ》ける時の手付《てつき》と一般であつた。実際彼は必要があれば、御白粉《おしろい》さへ付《つ》けかねぬ程に、肉体に誇《ほこり》を置く人である。彼の尤も嫌ふのは羅漢の様な骨骼と相好《さうごう》で、鏡に向ふたんびに、あんな顔に生《うま》れなくつて、まあ可《よ》かつたと思ふ位である。其代り人から御洒落《おしやれ》と云はれても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えてゐる。

一の二

 約《やく》三十分の後《のち》彼は食卓に就いた。熱《あつ》い紅茶を啜《すゝ》りながら焼麺麭《やきぱん》に牛酪《バタ》を付けてゐると、門野《かどの》と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。四つ折りにしたのを座布団の傍《わき》へ置きながら、
「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。此書生は代助を捕《つら》まへては、先生先生と敬語を使ふ。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへゝゝ、だつて先生と、すぐ先生にして仕舞ふので、已を得ず其儘にして置いたのが、いつか習慣になつて、今では、此男に限《かぎ》つて、平気に先生として通《とほ》してゐる。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云ふことを、書生を置いて見て、代助も始めて悟つたのである。
「学校騒動の事ぢやないか」と代助は落付いた顔をして麺麭《ぱん》を食《く》つて居た。
「だつて痛快ぢやありませんか」
「校長排斥がですか」
「えゝ、到底辞職もんでせう」と嬉《うれ》しがつてゐる。
「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事《こと》でもあるんですか」
「冗談云つちや不可《いけ》ません。さう損得《そんとく》づくで、痛快がられやしません」
 代助は矢つ張り麺麭《ぱん》を食《く》つてゐた。
「君、あれは本当に校長が悪《にく》らしくつて排斥するのか、他《ほか》に損得《そんとく》問題があつて排斥するのか知つてますか」と云ひながら鉄瓶の湯を紅茶々碗の中《なか》へ注《さ》した。
「知りませんな。何《なん》ですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得《とく》にならないと思つて、あんな騒動をやるもんかね。ありや方便だよ、君」
「へえ、左様《そん》なもんですかな」と門野《かどの》は稍|真面目《まじめ》な顔をした。代助はそれぎり黙《だま》つて仕舞つた。門野《かどの》は是より以上通じない男である。是より以上は、いくら行つても、へえ左様《そん》なもんですかなで押し通して澄《す》ましてゐる。此方《こちら》の云ふことが応《こた》へるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない。代助は、其所《そこ》が漠然として、刺激が要《い》らなくつて好《い》いと思つて書生に使つてゐるのである。其代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日《いつにち》ごろ/\してゐる。君、ちつと、外国語でも研究しちやどうだなどゝ云ふ事がある。すると門野《かどの》は何時《いつ》でも、左様《さう》でせうか、とか、左様《そん》なもんでせうか、とか答《こた》へる丈である。決して為《し》ませうといふ事は口《くち》にしない。又かう、怠惰《なまけ》ものでは、さう判然《はつきり》した答《こたへ》が出来ないのである。代助の方でも、門野《かどの》を教育しに生《うま》れて来《き》た訳でもないから、好加減《いゝかげん》にして放《ほう》つて置く。幸《さいは》ひ頭《あたま》と違《ちが》つて、身体《からだ》の方は善く動《うご》くので、代助はそこを大いに重宝がつてゐる。代助ばかりではない、従来からゐる婆さんも門野《かどの》の御蔭で此頃は大変助かる様になつた。その原因で婆さんと門野《かどの》とは頗る仲《なか》が好《い》い。主人の留守などには、よく二人《ふたり》で話をする。
「先生は一体《いつたい》何《なに》を為《す》る気なんだらうね。小母《おば》さん」
「あの位《くらゐ》になつて入らつしやれば、何《なん》でも出来《でき》ますよ。心配するがものはない」
「心配はせんがね。何《なに》か為《し》たら好《よ》ささうなもんだと思ふんだが」
「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探《おさが》しなさる御積りなんでせうよ」
「いゝ積《つも》りだなあ。僕も、あんな風に一日《いちんち》本《ほん》を読んだり、音楽を聞きに行つたりして暮《くら》して居たいな」
「御前《おまへ》さんが?」
「本《ほん》は読まんでも好《い》いがね。あゝ云ふ具合に遊んで居たいね」
「夫《それ》はみんな、前世《ぜんせ》からの約束だから仕方がない」
「左様《そん》なものかな」
 まづ斯う云ふ調子である。門野《かどの》が代助の所へ引き移る二週|間《かん》前には、此若い独身の主人と、此|食客《ゐさうらふ》との間に下の様な会話があつた。

一の三

「君は何方《どつか》の学校へ行つてるんですか」
「もとは行きましたがな。今は廃《や》めちまいました」
「もと、何処《どこ》へ行つたんです」
「何処《どこ》つて方々《ほう/″\》行きました。然しどうも厭《あ》きつぽいもんだから」
「ぢき厭《いや》になるんですか」
「まあ、左様《さう》ですな」
「で、大《たい》して勉強する考もないんですか」
「えゝ、一寸《ちよつと》有りませんな。それに近頃|家《うち》の都合が、あんまり好《よ》くないもんですから」
「家《うち》の婆《ばあ》さんは、あなたの御母《おつか》さんを知つてるんだつてね」
「えゝ、もと、直《ぢき》近所に居たもんですから」
「御母《おつか》さんは矢っ張り……」
「矢っ張りつまらない内職をしてゐるんですが、どうも近頃《ちかごろ》は不景気で、余《あん》まり好《よ》くない様です」
「好《よ》くない様ですつて、君、一所《いつしよ》に居るんぢやないですか」
「一所《いつしよ》に居ることは居ますが、つい面倒だから聞《き》いた事《こと》もありません。何でも能《よ》くこぼしてる様です」
「兄《にい》さんは」
「兄《あに》は郵便局の方へ出てゐます」
「家《うち》は夫《それ》丈ですか」
「まだ弟がゐます。是は銀行の――まあ小使《こづかひ》に少し毛の生えた位な所なんでせう」
「すると遊《あす》んでるのは、君許りぢやないか」
「まあ、左様《そん》なもんですな」
「それで、家《うち》にゐるときは、何をしてゐるんです」
「まあ、大抵|寐《ね》てゐますな。でなければ散歩でも為《し》ますかな」
「外《ほか》のものが、みんな稼《かせ》いでるのに、君許り寐てゐるのは苦痛ぢやないですか」
「いえ、左様《さう》でもありませんな」
「家庭が余《よ》つ程円満なんですか」
「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」
「だつて、御母《おつか》さんや兄《にい》さんから云つたら、一日《いちにち》も早く君に独立して貰《もら》ひたいでせうがね」
「左様《さう》かも知れませんな」
「君は余つ程気楽な性分《しやうぶん》と見える。それが本当の所なんですか」
「えゝ、別に嘘《うそ》を吐《つ》く料簡もありませんな」
「ぢや全くの呑気《のんき》屋なんだね」
「えゝ、まあ呑気《のんき》屋つて云ふもんでせうか」
「兄《にい》さんは何歳《いくつ》になるんです」
「斯《か》うつと、取つて六《ろく》になりますか」
「すると、もう細君でも貰はなくちやならないでせう。兄《にい》さんの細君が出来ても、矢っ張り今の様にしてゐる積ですか」
「其時に為《な》つて見なくつちや、自分でも見当が付きませんが、何《なに》しろ、どうか為《な》るだらうと思つてます」
「其外《そのほか》に親類はないんですか」
「叔母《おば》が一人《ひとり》ありますがな。こいつは今、浜《はま》で運漕業をやつてます」
「叔母《おば》さんが?」
「叔母《おば》が遣《や》つてる訳でもないんでせうが、まあ叔父《おぢ》ですな」
「其所《そこ》へでも頼《たの》んで使つて貰《もら》つちや、どうです。運漕業なら大分|人《ひと》が要《い》るでせう」
「根が怠惰《なまけ》もんですからな。大方断わるだらうと思つてるんです」
「さう自任してゐちや困る。実は君の御母《おつか》さんが、家《うち》の婆さんに頼んで、君を僕の宅《うち》へ置いて呉れまいかといふ相談があるんですよ」
「えゝ、何だかそんな事を云つてました」
「君自身は、一体どう云ふ気なんです」
「えゝ、成るべく怠《なま》けない様にして……」
「家《うち》へ来《く》る方が好《い》いんですか」
「まあ、左様《さう》ですな」
「然し寐て散歩する丈ぢや困る」
「そりや大丈夫です。身体《からだ》の方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」
「風呂は水道があるから汲まないでも可《い》い」
「ぢや、掃除でもしませう」
 門野《かどの》は斯う云ふ条件で代助の書生になつたのである。

一の四

 代助はやがて食事を済まして、烟草を吹《ふ》かし出した。今迄茶|箪笥《だんす》の陰《かげ》に、ぽつねんと膝《ひざ》を抱《かゝ》へて柱に倚《よ》り懸《かゝ》つてゐた門野《かどの》は、もう好《い》い時分だと思つて、又主人に質問を掛《か》けた。
「先生、今朝《けさ》は心臓の具合はどうですか」
 此間《このあひだ》から代助の癖を知つてゐるので、幾分か茶化した調子である。
「今日《けふ》はまだ大丈夫だ」
「何だか明日《あした》にも危《あや》しくなりさうですな。どうも先生見た様に身体《からだ》を気にしちや、――仕舞には本当の病気に取《と》つ付《つ》かれるかも知れませんよ」
「もう病気ですよ」
 門野《かどの》は只《たゞ》へえゝと云つた限《ぎり》、代助の光沢《つや》の好《い》い顔色《かほいろ》や肉《にく》の豊《ゆた》かな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる。代助はこんな場合になると何時《いつ》でも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年の頭《あたま》は、牛《うし》の脳味噌《のうみそ》で一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。話《はなし》をすると、平民の通《とほ》る大通りを半町位しか付《つ》いて来《こ》ない。たまに横町へでも曲《まが》ると、すぐ迷児《まいご》になつて仕舞ふ。論理の地盤を竪《たて》に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼《かれ》の神経系に至つては猶更粗末である。恰も荒縄《あらなは》で組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為《ため》に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも此《この》のらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞《ふるまひ》たがる。其上頑強一点張りの肉体を笠《かさ》に着《き》て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来《く》る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報《むくひ》に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為《な》れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野《かどの》にはそんな事は丸で分らない。
「門野《かどの》さん、郵便は来《き》て居《ゐ》なかつたかね」
「郵便ですか。斯《か》うつと。来《き》てゐました。端書《はがき》と封書が。机の上に置きました。持つて来《き》ますか」
「いや、僕が彼方《あつち》へ行つても可《い》い」
 歯切《はぎ》れのわるい返事なので、門野《かどの》はもう立つて仕舞つた。さうして端書《はがき》と郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日《あす》午前|会《あ》ひたし、と薄墨《うすずみ》の走《はし》り書《がき》の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋《やどや》の名《な》と平岡常《ひらをかつね》次郎といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。
「もう来《き》たのか、昨日《きのふ》着《つ》いたんだな」と独《ひと》り言《ごと》の様に云ひながら、封書の方を取り上《あ》げると、是は親爺《おやぢ》の手蹟《て》である。二三日前帰つて来《き》た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、此手紙が着《つ》いたら来てくれろと書《か》いて、あとには京都の花がまだ早かつたの、急行列車が一杯で窮屈だつた抔といふ閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べてゐた。
「君、電話を掛けて呉れませんか。家《うち》へ」
「はあ、御宅《おたく》へ。何《なん》て掛《か》けます」
「今日《けふ》は約束があつて、待《ま》ち合《あは》せる人があるから上《あ》がれないつて。明日《あした》か明後日《あさつて》屹度伺ひますからつて」
「はあ。何方《どなた》に」
「親爺《おやぢ》が旅行から帰つて来《き》て、話があるから一寸《ちよつと》来《こ》いつて云ふんだが、――何《なに》親爺《おやぢ》を呼《よ》び出さないでも可《い》いから、誰《だれ》にでも左様《さう》云つて呉《く》れ給へ」
「はあ」
 門野《かどの》は無雑作に出《で》て行つた。代助は茶の間《ま》から、座敷を通《とほ》つて書斎へ帰つた。見ると、奇麗に掃除《さうじ》が出来てゐる。落椿《おちつばき》も何所《どこ》かへ掃《は》き出されて仕舞つた。代助は花瓶《くわへい》の右手《みぎて》にある組《く》み重《かさ》ねの書棚《しよだな》の前《まへ》へ行つて、上《うへ》に載せた重い写真帖を取り上《あ》げて、立《た》ちながら、金《きん》の留金《とめがね》を外《はづ》して、一枚二枚と繰《く》り始めたが、中頃迄|来《き》てぴたりと手《て》を留《と》めた。其所《そこ》には廿歳《はたち》位の女の半身《はんしん》がある。代助は眼《め》を俯せて凝《じつ》と女の顔を見詰めてゐた。

二の一

 着物《きもの》でも着換《きか》へて、此方《こつち》から平岡《ひらをか》の宿《やど》を訪《たづ》ね様かと思つてゐる所へ、折よく先方《むかふ》から遣《や》つて来《き》た。車《くるま》をがら/\と門前迄乗り付けて、此所《こゝ》だ/\と梶《かぢ》棒を下《おろ》さした声は慥《たし》かに三年前|分《わか》れた時そつくりである。玄関で、取次《とりつぎ》の婆さんを捕《つら》まへて、宿《やど》へ蟇口《がまぐち》を忘れて来《き》たから、一寸《ちよつと》二十銭借してくれと云つた所などは、どうしても学校時代の平岡を思ひ出さずにはゐられない。代助は玄関迄|馳《か》け出して行つて、手を執《と》らぬ許りに旧友を座敷へ上《あ》げた。
「何《ど》うした。まあ緩《ゆつ》くりするが好《い》い」
「おや、椅子《いす》だね」と云ひながら平岡は安楽|椅子《いす》へ、どさりと身体《からだ》を投《な》げ掛《か》けた。十五貫目以上もあらうと云ふわが肉《にく》に、三文の価値《ねうち》を置いてゐない様な扱《あつ》かひ方《かた》に見えた。それから椅子《いす》の脊《せ》に坊主頭《ぼうずあたま》を靠《も》たして、一寸《ちよつと》部屋の中《うち》を見廻しながら、
「中々《なか/\》、好《い》い家《うち》だね。思つたより好《い》い」と賞《ほ》めた。代助は黙《だま》つて巻莨入《まきたばこいれ》の蓋《ふた》を開《あ》けた。
「それから、以後《いご》何《ど》うだい」
「何《ど》うの、斯《か》うのつて、――まあ色々《いろ/\》話すがね」
「もとは、よく手紙が来《き》たから、様子が分《わか》つたが、近頃ぢや些《ちつ》とも寄《よこ》さないもんだから」
「いや何所《どこ》も彼所《かしこ》も御無沙汰で」と平岡は突然《とつぜん》眼鏡《めがね》を外《はづ》して、脊広の胸から皺だらけの手帛《ハンケチ》を出して、眼《め》をぱち/\させながら拭《ふ》き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝《じつ》と其様子を眺めてゐた。
「僕より君はどうだい」と云ひながら、細《ほそ》い蔓《つる》を耳《みゝ》の後《うしろ》へ絡《から》みつけに、両手で持つて行つた。
「僕は相変らずだよ」
「相変らずが一番|好《い》いな。あんまり相変るものだから」
 そこで平岡《ひらをか》は八《はち》の字《じ》を寄《よ》せて、庭の模様を眺め出《だ》したが、不意に語調を更《か》へて、
「やあ、桜《さくら》がある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違ふ」と云つた。話の具合が何だか故《もと》の様にしんみりしない。代助も少し気の抜《ぬ》けた風に、
「向ふは大分|暖《あつた》かいだらう」と序《ついで》同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法|外《ぐわい》に熱《ねつ》した具合で、
「うん、大分暖かい」と力の這入つた返事があつた。恰も自己の存在を急に意識して、はつと思つた調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨《まきたばこ》に火を点《つ》けた。其時婆さんが漸く急須《きうす》に茶を注《い》れて持つて出た。今しがた鉄瓶に水《みづ》を射《さ》して仕舞つたので、煮立《にたて》るのに暇《ひま》が入つて、つい遅《おそ》くなつて済《す》みませんと言訳をしながら、洋卓《テーブル》の上《うへ》へ盆《ぼん》を載せた。二人《ふたり》は婆《ばあ》さんの喋舌《しやべつ》てる間《あひだ》、紫檀の盆《ぼん》を見《み》て黙《だま》つてゐた。婆さんは相手にされないので、独《ひと》りで愛想笑ひをして座敷を出《で》た。
「ありや何《なん》だい」
「婆《ばあ》さんさ。雇《やと》つたんだ。飯《めし》を食《く》はなくつちやならないから」
「御世辞が好《い》いね」
 代助は赤い唇《くちびる》の両|端《はし》を、少し弓《ゆみ》なりに下《した》の方へ彎《ま》げて蔑《さげす》む様に笑つた。
「今迄斯んな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」
「君の家《うち》から誰《だれ》か連《つ》れて呉れば好《い》いのに。大勢《おほぜい》ゐるだらう」
「みんな若《わか》いの許りでね」と代助は真面目《まじめ》に答へた。平岡は此時始めて声を出して笑つた。
「若《わか》けりや猶結構ぢやないか」
「兎に角|家《うち》の奴《やつ》は好《よ》くないよ」
「あの婆《ばあ》さんの外《ほか》に誰《だれ》かゐるのかい」
「書生が一人《ひとり》ゐる」
 門野《かどの》は何時《いつ》の間《ま》にか帰つて、台所《だいどころ》の方で婆さんと話《はなし》をしてゐた。
「それ限《ぎ》りかい」
「それ限《ぎ》りだ。何故《なぜ》」
「細君はまだ貰《もら》はないのかい」
 代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になつた。
「妻《さい》を貰つたら、君の所へ通知|位《ぐらゐ》する筈ぢやないか。夫《それ》よりか君の」と云ひかけて、ぴたりと已めた。

二の二

 代助と平岡とは中学時代からの知り合で、殊に学校を卒業して後《のち》、一年間といふものは、殆んど兄弟の様に親しく往来した。其時分は互に凡てを打ち明けて、互に力《ちから》に為《な》り合《あ》ふ様なことを云ふのが、互に娯楽の尤もなるものであつた。この娯楽が変じて実行となつた事も少なくないので、彼等は双互の為めに口《くち》にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでゐると確信してゐた。さうして其犠牲を即座に払へば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云ふ陳腐な事実にさへ気が付かずにゐた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤《つと》めてゐる銀行の、京坂地方のある支店詰になつた。代助は、出立《しつたつ》の当時、新夫婦を新橋の停車場に送つて、愉快さうに、直《ぢき》帰つて来給《きたま》へと平岡の手を握つた。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云つたが、其|眼鏡《めがね》の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急に此友達を憎らしく思つた。家《うち》へ帰つて、一日《いちにち》部屋に這入つたなり考へ込んでゐた。嫂《あによめ》を連れて音楽会へ行く筈《はづ》の所を断わつて、大いに嫂《あによめ》に気を揉ました位である。
 平岡からは断えず音信《たより》があつた。安着の端書《はがき》、向ふで世帯を持つた報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あつた。手紙の来《く》るたびに、代助は何時《いつ》も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事を書《か》くときは、何時《いつ》でも一種の不安に襲はれる。たまには我慢するのが厭《いや》になつて、途中で返事を已めて仕舞ふ事がある。たゞ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来《く》る場合に限つて、安々《やす/\》と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。
 そのうち段々手紙の遣《や》り取りが疎遠になつて、月に二遍が、一遍になり、一遍が又|二《ふた》月、三《み》月に跨がる様に間《あひだ》を置《お》いて来《く》ると、今度は手紙を書《か》かない方が、却つて不安になつて、何の意味もないのに、只この感じを駆逐する為《ため》に封筒の糊《のり》を湿《しめ》す事があつた。それが半年ばかり続くうちに、代助の頭《あたま》も胸《むね》も段々組織が変つて来《く》る様に感ぜられて来《き》た。此変化に伴《ともな》つて、平岡へは手紙を書《か》いても書《か》かなくつても、丸で苦痛を覚えない様になつて仕舞つた。現《げん》に代助が一戸を構へて以来、約一年余と云ふものは、此春《このはる》年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らした丈である。
 それでも、ある事情があつて、平岡の事は丸で忘れる訳には行かなかつた。時々《とき/″\》思ひ出《だ》す。さうして今頃は何《ど》うして暮《くら》してゐるだらうと、色々に想像して見る事がある。然したゞ思ひ出す丈で、別段問ひ合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日迄|過《すご》して来《き》た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。其手紙には近々当地を引き上《あ》げて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思つてくれては困る。少し考があつて、急に職業替をする気になつたから、着京の上は何分《なにぶん》宜しく頼《たの》むとあつた。此何分宜しく頼《たの》むの頼《たの》むは本当の意味の頼《たの》むか、又は単に辞令上の頼《たの》むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあつたのは争ふべからざる事実である。代助は其時はつと思つた。
 それで、逢《あ》ふや否や此変動の一部始終を聞かうと待設けて居たのだが、不幸にして話が外《そ》れて容易に其所《そこ》へ戻《もど》つて来《こ》ない。折を見て此方《こつち》から持ち掛けると、まあ緩《ゆ》つくり話すとか何とか云つて、中々《なか/\》埒《らち》を開《あ》けない。代助は仕方《しかた》なしに、仕舞に、
「久《ひさ》し振《ぶ》りだから、其所《そこ》いらで飯《めし》でも食はう」と云ひ出した。平岡は、それでも、まだ、何《いづ》れ緩《ゆつ》くりを繰返したがるのを、無理に引張つて、近所の西洋料理へ上《あが》つた。

二の三

 両人《ふたり》は其所《そこ》で大分《だいぶ》飲《の》んだ。飲《の》む事《こと》と食《く》ふ事は昔《むかし》の通りだねと言《い》つたのが始《はじま》りで、硬《こわ》い舌《した》が段々《だんだん》弛《ゆる》んで来《き》た。代助は面白さうに、二三日|前《まへ》自分の観《み》に行つた、ニコライの復活祭の話をした。御祭《おまつり》が夜《よ》の十二時を相図に、世の中の寐鎮《ねしづ》まる頃を見計《みはから》つて始《はじま》る。参詣《さんけい》人が長い廊下を廻《まは》つて本堂へ帰つて来《く》ると、何時《いつ》の間《ま》にか幾千本《いくせんぼん》の蝋燭が一度《いちど》に点《つ》いてゐる。法衣《ころも》を着《き》た坊主が行列して向ふを通るときに、黒《くろ》い影《かげ》が、無地《むぢ》の壁《かべ》へ非常に大きく映《うつ》る。――平岡は頬杖を突《つ》いて、眼鏡《めがね》の奥の二重瞼《ふたへまぶち》を赤くしながら聞いてゐた。代助はそれから夜の二時頃|広《ひろ》い御成《おなり》街道を通《とほ》つて、深夜《しんや》の鉄軌《レール》が、暗《くら》い中《なか》を真直《まつすぐ》に渡《わた》つてゐる上《うへ》を、たつた一人《ひとり》上野《うへの》の森《もり》迄|来《き》て、さうして電燈に照らされた花《はな》の中《なか》に這入《はい》つた。
「人気《ひとけ》のない夜桜《よざくら》は好《い》いもんだよ」と云つた。平岡は黙《だま》つて盃《さかづき》を干《ほ》したが、一寸《ちよつと》気の毒さうに口元《くちもと》を動《うご》かして、
「好《い》いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似《まね》が出来《でき》る間《あひだ》はまだ気楽なんだよ。世の中《なか》へ出《で》ると、中々《なか/\》それ所《どころ》ぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。其所《そこ》でこんな答をした。
「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」
 平岡は酔つた眼《め》を心持大きくした。
「大分《だいぶ》考へが違《ちが》つて来《き》た様だね。――けれども其苦痛が後《あと》から薬《くすり》になるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」
「そりや不見識な青年が、流俗の諺《ことわざ》に降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」
「だつて、君だつて、もう大抵世の中《なか》へ出《で》なくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」
「世の中《なか》へは昔《むかし》から出《で》てゐるさ。ことに君と分《わか》れてから、大変世の中が広《ひろ》くなつた様な気がする。たゞ君の出《で》てゐる世《よ》の中《なか》とは種類が違《ちが》ふ丈だ」
「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」
「無論食ふに困る様になれば、何時《いつ》でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を嘗《な》めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」
 平岡の眉の間《あひだ》に、一寸《ちよつと》不快の色が閃《ひら》めいた。赤い眼《め》を据ゑてぷか/\烟草《たばこ》を吹かしてゐる。代助は、ちと云ひ過ぎたと思つて、少《すこ》し調子を穏《おだ》やかにした。――
「僕の知つたものに、丸で音楽の解《わか》らないものがある。学校の教師をして、一軒ぢや飯《めし》が食《く》へないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやつてゐるが、そりや気の毒なもんで、下読《したよみ》をするのと、教場へ出《で》て器械的に口《くち》を動《うご》かしてゐるより外に全く暇《ひま》がない。たまの日曜抔は骨休めとか号して一日ぐう/\寐てゐる。だから何所《どこ》に音楽会があらうと、どんな名人が外国から来《き》やうと聞《きゝ》に行く機会がない。つまり楽《がく》といふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。麺麭《ぱん》に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭《ぱん》を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」
 平岡は巻莨《まきたばこ》の灰を、皿《さら》の上《うへ》にはたきながら、沈《しづ》んだ暗《くら》い調子で、
「うん、何時《いつ》迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其|重《おも》い言葉の足《あし》が、富《とみ》に対する一種の呪咀を引《ひ》き摺《ず》つてゐる様に聴《きこ》えた。