2008年11月14日金曜日

一の一

 誰《だれ》か慌《あは》たゞしく門前《もんぜん》を馳《か》けて行く足音《あしおと》がした時、代助《だいすけ》の頭《あたま》の中《なか》には、大きな俎下駄《まないたげた》が空《くう》から、ぶら下《さが》つてゐた。けれども、その俎《まないた》下駄は、足音《あしおと》の遠退《とほの》くに従つて、すうと頭《あたま》から抜《ぬ》け出《だ》して消えて仕舞つた。さうして眼《め》が覚めた。
 枕元《まくらもと》を見ると、八重の椿《つばき》が一輪《いちりん》畳《たゝみ》の上に落ちてゐる。代助《だいすけ》は昨夕《ゆふべ》床《とこ》の中《なか》で慥かに此花の落ちる音《おと》を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬《ごむまり》を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更《ふ》けて、四隣《あたり》が静かな所為《せゐ》かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋《あばら》のはづれに正《たゞ》しく中《あた》る血《ち》の音《おと》を確《たし》かめながら眠《ねむり》に就いた。
 ぼんやりして、少時《しばらく》、赤ん坊の頭《あたま》程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当《あ》てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈《みやく》を聴《き》いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確《たしか》に打つてゐた。彼は胸に手を当《あ》てた儘、此鼓動の下に、温《あたた》かい紅《くれなゐ》の血潮の緩く流れる様《さま》を想像して見た。是が命《いのち》であると考へた。自分は今流れる命《いのち》を掌《てのひら》で抑へてゐるんだと考へた。それから、此|掌《てのひら》に応《こた》へる、時計の針に似た響《ひゞき》は、自分を死《し》に誘《いざな》ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生《い》きてゐられたなら、――血を盛《も》る袋《ふくろ》が、時《とき》を盛《も》る袋《ふくろ》の用を兼ねなかつたなら、如何《いか》に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生《せい》を味はひ得るだらう。けれども――代助《だいすけ》は覚えず悚《ぞつ》とした。彼は血潮《ちしほ》によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生《い》きたがる男である。彼は時々《とき/″\》寐《ね》ながら、左の乳《ちゝ》の下《した》に手を置いて、もし、此所《こゝ》を鉄槌《かなづち》で一つ撲《どや》されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。
 彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中《なか》から両手を出《だ》して、大きく左右に開《ひら》くと、左側《ひだりがは》に男が女を斬《き》つてゐる絵があつた。彼はすぐ外《ほか》の頁《ページ》へ眼《め》を移した。其所《そこ》には学校騒動が大きな活字で出てゐる。代助は、しばらく、それを読んでゐたが、やがて、惓怠《だる》さうな手から、はたりと新聞を夜具の上《うへ》に落した。夫から烟草を一本|吹《ふ》かしながら、五寸許り布団を摺《ず》り出して、畳の上の椿《つばき》を取つて、引つ繰《く》り返《かへ》して、鼻の先へ持《も》つて来《き》た。口《くち》と口髭《くちひげ》と鼻の大部分が全く隠《かく》れた。烟りは椿《つばき》の瓣《はなびら》と蕊《ずい》に絡《から》まつて漂《たゞよ》ふ程濃く出た。それを白《しろ》い敷布《しきふ》の上《うへ》に置くと、立ち上《あ》がつて風呂場《ふろば》へ行つた。
 其所《そこ》で叮嚀《ていねい》に歯《は》を磨《みが》いた。彼《かれ》は歯並《はならび》の好《い》いのを常に嬉しく思つてゐる。肌《はだ》を脱《ぬ》いで綺麗《きれい》に胸《むね》と脊《せ》を摩擦《まさつ》した。彼《かれ》の皮膚《ひふ》には濃《こまや》かな一種の光沢《つや》がある。香油を塗《ぬ》り込んだあとを、よく拭き取《と》つた様に、肩《かた》を揺《うご》かしたり、腕《うで》を上《あ》げたりする度《たび》に、局所《きよくしよ》の脂肪《しぼう》が薄《うす》く漲《みなぎ》つて見える。かれは夫《それ》にも満足である。次に黒い髪《かみ》を分《わ》けた。油《あぶら》を塗《つ》けないでも面白い程自由になる。髭《ひげ》も髪《かみ》同様に細《ほそ》く且つ初々《うい/\》しく、口《くち》の上《うへ》を品よく蔽ふてゐる。代助《だいすけ》は其ふつくらした頬《ほゝ》を、両手で両三度撫でながら、鏡の前《まへ》にわが顔《かほ》を映《うつ》してゐた。丸で女《をんな》が御白粉《おしろい》を付《つ》ける時の手付《てつき》と一般であつた。実際彼は必要があれば、御白粉《おしろい》さへ付《つ》けかねぬ程に、肉体に誇《ほこり》を置く人である。彼の尤も嫌ふのは羅漢の様な骨骼と相好《さうごう》で、鏡に向ふたんびに、あんな顔に生《うま》れなくつて、まあ可《よ》かつたと思ふ位である。其代り人から御洒落《おしやれ》と云はれても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えてゐる。

一の二

 約《やく》三十分の後《のち》彼は食卓に就いた。熱《あつ》い紅茶を啜《すゝ》りながら焼麺麭《やきぱん》に牛酪《バタ》を付けてゐると、門野《かどの》と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。四つ折りにしたのを座布団の傍《わき》へ置きながら、
「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。此書生は代助を捕《つら》まへては、先生先生と敬語を使ふ。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへゝゝ、だつて先生と、すぐ先生にして仕舞ふので、已を得ず其儘にして置いたのが、いつか習慣になつて、今では、此男に限《かぎ》つて、平気に先生として通《とほ》してゐる。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云ふことを、書生を置いて見て、代助も始めて悟つたのである。
「学校騒動の事ぢやないか」と代助は落付いた顔をして麺麭《ぱん》を食《く》つて居た。
「だつて痛快ぢやありませんか」
「校長排斥がですか」
「えゝ、到底辞職もんでせう」と嬉《うれ》しがつてゐる。
「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事《こと》でもあるんですか」
「冗談云つちや不可《いけ》ません。さう損得《そんとく》づくで、痛快がられやしません」
 代助は矢つ張り麺麭《ぱん》を食《く》つてゐた。
「君、あれは本当に校長が悪《にく》らしくつて排斥するのか、他《ほか》に損得《そんとく》問題があつて排斥するのか知つてますか」と云ひながら鉄瓶の湯を紅茶々碗の中《なか》へ注《さ》した。
「知りませんな。何《なん》ですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得《とく》にならないと思つて、あんな騒動をやるもんかね。ありや方便だよ、君」
「へえ、左様《そん》なもんですかな」と門野《かどの》は稍|真面目《まじめ》な顔をした。代助はそれぎり黙《だま》つて仕舞つた。門野《かどの》は是より以上通じない男である。是より以上は、いくら行つても、へえ左様《そん》なもんですかなで押し通して澄《す》ましてゐる。此方《こちら》の云ふことが応《こた》へるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない。代助は、其所《そこ》が漠然として、刺激が要《い》らなくつて好《い》いと思つて書生に使つてゐるのである。其代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日《いつにち》ごろ/\してゐる。君、ちつと、外国語でも研究しちやどうだなどゝ云ふ事がある。すると門野《かどの》は何時《いつ》でも、左様《さう》でせうか、とか、左様《そん》なもんでせうか、とか答《こた》へる丈である。決して為《し》ませうといふ事は口《くち》にしない。又かう、怠惰《なまけ》ものでは、さう判然《はつきり》した答《こたへ》が出来ないのである。代助の方でも、門野《かどの》を教育しに生《うま》れて来《き》た訳でもないから、好加減《いゝかげん》にして放《ほう》つて置く。幸《さいは》ひ頭《あたま》と違《ちが》つて、身体《からだ》の方は善く動《うご》くので、代助はそこを大いに重宝がつてゐる。代助ばかりではない、従来からゐる婆さんも門野《かどの》の御蔭で此頃は大変助かる様になつた。その原因で婆さんと門野《かどの》とは頗る仲《なか》が好《い》い。主人の留守などには、よく二人《ふたり》で話をする。
「先生は一体《いつたい》何《なに》を為《す》る気なんだらうね。小母《おば》さん」
「あの位《くらゐ》になつて入らつしやれば、何《なん》でも出来《でき》ますよ。心配するがものはない」
「心配はせんがね。何《なに》か為《し》たら好《よ》ささうなもんだと思ふんだが」
「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探《おさが》しなさる御積りなんでせうよ」
「いゝ積《つも》りだなあ。僕も、あんな風に一日《いちんち》本《ほん》を読んだり、音楽を聞きに行つたりして暮《くら》して居たいな」
「御前《おまへ》さんが?」
「本《ほん》は読まんでも好《い》いがね。あゝ云ふ具合に遊んで居たいね」
「夫《それ》はみんな、前世《ぜんせ》からの約束だから仕方がない」
「左様《そん》なものかな」
 まづ斯う云ふ調子である。門野《かどの》が代助の所へ引き移る二週|間《かん》前には、此若い独身の主人と、此|食客《ゐさうらふ》との間に下の様な会話があつた。

一の三

「君は何方《どつか》の学校へ行つてるんですか」
「もとは行きましたがな。今は廃《や》めちまいました」
「もと、何処《どこ》へ行つたんです」
「何処《どこ》つて方々《ほう/″\》行きました。然しどうも厭《あ》きつぽいもんだから」
「ぢき厭《いや》になるんですか」
「まあ、左様《さう》ですな」
「で、大《たい》して勉強する考もないんですか」
「えゝ、一寸《ちよつと》有りませんな。それに近頃|家《うち》の都合が、あんまり好《よ》くないもんですから」
「家《うち》の婆《ばあ》さんは、あなたの御母《おつか》さんを知つてるんだつてね」
「えゝ、もと、直《ぢき》近所に居たもんですから」
「御母《おつか》さんは矢っ張り……」
「矢っ張りつまらない内職をしてゐるんですが、どうも近頃《ちかごろ》は不景気で、余《あん》まり好《よ》くない様です」
「好《よ》くない様ですつて、君、一所《いつしよ》に居るんぢやないですか」
「一所《いつしよ》に居ることは居ますが、つい面倒だから聞《き》いた事《こと》もありません。何でも能《よ》くこぼしてる様です」
「兄《にい》さんは」
「兄《あに》は郵便局の方へ出てゐます」
「家《うち》は夫《それ》丈ですか」
「まだ弟がゐます。是は銀行の――まあ小使《こづかひ》に少し毛の生えた位な所なんでせう」
「すると遊《あす》んでるのは、君許りぢやないか」
「まあ、左様《そん》なもんですな」
「それで、家《うち》にゐるときは、何をしてゐるんです」
「まあ、大抵|寐《ね》てゐますな。でなければ散歩でも為《し》ますかな」
「外《ほか》のものが、みんな稼《かせ》いでるのに、君許り寐てゐるのは苦痛ぢやないですか」
「いえ、左様《さう》でもありませんな」
「家庭が余《よ》つ程円満なんですか」
「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」
「だつて、御母《おつか》さんや兄《にい》さんから云つたら、一日《いちにち》も早く君に独立して貰《もら》ひたいでせうがね」
「左様《さう》かも知れませんな」
「君は余つ程気楽な性分《しやうぶん》と見える。それが本当の所なんですか」
「えゝ、別に嘘《うそ》を吐《つ》く料簡もありませんな」
「ぢや全くの呑気《のんき》屋なんだね」
「えゝ、まあ呑気《のんき》屋つて云ふもんでせうか」
「兄《にい》さんは何歳《いくつ》になるんです」
「斯《か》うつと、取つて六《ろく》になりますか」
「すると、もう細君でも貰はなくちやならないでせう。兄《にい》さんの細君が出来ても、矢っ張り今の様にしてゐる積ですか」
「其時に為《な》つて見なくつちや、自分でも見当が付きませんが、何《なに》しろ、どうか為《な》るだらうと思つてます」
「其外《そのほか》に親類はないんですか」
「叔母《おば》が一人《ひとり》ありますがな。こいつは今、浜《はま》で運漕業をやつてます」
「叔母《おば》さんが?」
「叔母《おば》が遣《や》つてる訳でもないんでせうが、まあ叔父《おぢ》ですな」
「其所《そこ》へでも頼《たの》んで使つて貰《もら》つちや、どうです。運漕業なら大分|人《ひと》が要《い》るでせう」
「根が怠惰《なまけ》もんですからな。大方断わるだらうと思つてるんです」
「さう自任してゐちや困る。実は君の御母《おつか》さんが、家《うち》の婆さんに頼んで、君を僕の宅《うち》へ置いて呉れまいかといふ相談があるんですよ」
「えゝ、何だかそんな事を云つてました」
「君自身は、一体どう云ふ気なんです」
「えゝ、成るべく怠《なま》けない様にして……」
「家《うち》へ来《く》る方が好《い》いんですか」
「まあ、左様《さう》ですな」
「然し寐て散歩する丈ぢや困る」
「そりや大丈夫です。身体《からだ》の方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」
「風呂は水道があるから汲まないでも可《い》い」
「ぢや、掃除でもしませう」
 門野《かどの》は斯う云ふ条件で代助の書生になつたのである。

一の四

 代助はやがて食事を済まして、烟草を吹《ふ》かし出した。今迄茶|箪笥《だんす》の陰《かげ》に、ぽつねんと膝《ひざ》を抱《かゝ》へて柱に倚《よ》り懸《かゝ》つてゐた門野《かどの》は、もう好《い》い時分だと思つて、又主人に質問を掛《か》けた。
「先生、今朝《けさ》は心臓の具合はどうですか」
 此間《このあひだ》から代助の癖を知つてゐるので、幾分か茶化した調子である。
「今日《けふ》はまだ大丈夫だ」
「何だか明日《あした》にも危《あや》しくなりさうですな。どうも先生見た様に身体《からだ》を気にしちや、――仕舞には本当の病気に取《と》つ付《つ》かれるかも知れませんよ」
「もう病気ですよ」
 門野《かどの》は只《たゞ》へえゝと云つた限《ぎり》、代助の光沢《つや》の好《い》い顔色《かほいろ》や肉《にく》の豊《ゆた》かな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる。代助はこんな場合になると何時《いつ》でも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年の頭《あたま》は、牛《うし》の脳味噌《のうみそ》で一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。話《はなし》をすると、平民の通《とほ》る大通りを半町位しか付《つ》いて来《こ》ない。たまに横町へでも曲《まが》ると、すぐ迷児《まいご》になつて仕舞ふ。論理の地盤を竪《たて》に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼《かれ》の神経系に至つては猶更粗末である。恰も荒縄《あらなは》で組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為《ため》に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも此《この》のらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞《ふるまひ》たがる。其上頑強一点張りの肉体を笠《かさ》に着《き》て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来《く》る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報《むくひ》に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為《な》れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野《かどの》にはそんな事は丸で分らない。
「門野《かどの》さん、郵便は来《き》て居《ゐ》なかつたかね」
「郵便ですか。斯《か》うつと。来《き》てゐました。端書《はがき》と封書が。机の上に置きました。持つて来《き》ますか」
「いや、僕が彼方《あつち》へ行つても可《い》い」
 歯切《はぎ》れのわるい返事なので、門野《かどの》はもう立つて仕舞つた。さうして端書《はがき》と郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日《あす》午前|会《あ》ひたし、と薄墨《うすずみ》の走《はし》り書《がき》の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋《やどや》の名《な》と平岡常《ひらをかつね》次郎といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。
「もう来《き》たのか、昨日《きのふ》着《つ》いたんだな」と独《ひと》り言《ごと》の様に云ひながら、封書の方を取り上《あ》げると、是は親爺《おやぢ》の手蹟《て》である。二三日前帰つて来《き》た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、此手紙が着《つ》いたら来てくれろと書《か》いて、あとには京都の花がまだ早かつたの、急行列車が一杯で窮屈だつた抔といふ閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べてゐた。
「君、電話を掛けて呉れませんか。家《うち》へ」
「はあ、御宅《おたく》へ。何《なん》て掛《か》けます」
「今日《けふ》は約束があつて、待《ま》ち合《あは》せる人があるから上《あ》がれないつて。明日《あした》か明後日《あさつて》屹度伺ひますからつて」
「はあ。何方《どなた》に」
「親爺《おやぢ》が旅行から帰つて来《き》て、話があるから一寸《ちよつと》来《こ》いつて云ふんだが、――何《なに》親爺《おやぢ》を呼《よ》び出さないでも可《い》いから、誰《だれ》にでも左様《さう》云つて呉《く》れ給へ」
「はあ」
 門野《かどの》は無雑作に出《で》て行つた。代助は茶の間《ま》から、座敷を通《とほ》つて書斎へ帰つた。見ると、奇麗に掃除《さうじ》が出来てゐる。落椿《おちつばき》も何所《どこ》かへ掃《は》き出されて仕舞つた。代助は花瓶《くわへい》の右手《みぎて》にある組《く》み重《かさ》ねの書棚《しよだな》の前《まへ》へ行つて、上《うへ》に載せた重い写真帖を取り上《あ》げて、立《た》ちながら、金《きん》の留金《とめがね》を外《はづ》して、一枚二枚と繰《く》り始めたが、中頃迄|来《き》てぴたりと手《て》を留《と》めた。其所《そこ》には廿歳《はたち》位の女の半身《はんしん》がある。代助は眼《め》を俯せて凝《じつ》と女の顔を見詰めてゐた。

二の一

 着物《きもの》でも着換《きか》へて、此方《こつち》から平岡《ひらをか》の宿《やど》を訪《たづ》ね様かと思つてゐる所へ、折よく先方《むかふ》から遣《や》つて来《き》た。車《くるま》をがら/\と門前迄乗り付けて、此所《こゝ》だ/\と梶《かぢ》棒を下《おろ》さした声は慥《たし》かに三年前|分《わか》れた時そつくりである。玄関で、取次《とりつぎ》の婆さんを捕《つら》まへて、宿《やど》へ蟇口《がまぐち》を忘れて来《き》たから、一寸《ちよつと》二十銭借してくれと云つた所などは、どうしても学校時代の平岡を思ひ出さずにはゐられない。代助は玄関迄|馳《か》け出して行つて、手を執《と》らぬ許りに旧友を座敷へ上《あ》げた。
「何《ど》うした。まあ緩《ゆつ》くりするが好《い》い」
「おや、椅子《いす》だね」と云ひながら平岡は安楽|椅子《いす》へ、どさりと身体《からだ》を投《な》げ掛《か》けた。十五貫目以上もあらうと云ふわが肉《にく》に、三文の価値《ねうち》を置いてゐない様な扱《あつ》かひ方《かた》に見えた。それから椅子《いす》の脊《せ》に坊主頭《ぼうずあたま》を靠《も》たして、一寸《ちよつと》部屋の中《うち》を見廻しながら、
「中々《なか/\》、好《い》い家《うち》だね。思つたより好《い》い」と賞《ほ》めた。代助は黙《だま》つて巻莨入《まきたばこいれ》の蓋《ふた》を開《あ》けた。
「それから、以後《いご》何《ど》うだい」
「何《ど》うの、斯《か》うのつて、――まあ色々《いろ/\》話すがね」
「もとは、よく手紙が来《き》たから、様子が分《わか》つたが、近頃ぢや些《ちつ》とも寄《よこ》さないもんだから」
「いや何所《どこ》も彼所《かしこ》も御無沙汰で」と平岡は突然《とつぜん》眼鏡《めがね》を外《はづ》して、脊広の胸から皺だらけの手帛《ハンケチ》を出して、眼《め》をぱち/\させながら拭《ふ》き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝《じつ》と其様子を眺めてゐた。
「僕より君はどうだい」と云ひながら、細《ほそ》い蔓《つる》を耳《みゝ》の後《うしろ》へ絡《から》みつけに、両手で持つて行つた。
「僕は相変らずだよ」
「相変らずが一番|好《い》いな。あんまり相変るものだから」
 そこで平岡《ひらをか》は八《はち》の字《じ》を寄《よ》せて、庭の模様を眺め出《だ》したが、不意に語調を更《か》へて、
「やあ、桜《さくら》がある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違ふ」と云つた。話の具合が何だか故《もと》の様にしんみりしない。代助も少し気の抜《ぬ》けた風に、
「向ふは大分|暖《あつた》かいだらう」と序《ついで》同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法|外《ぐわい》に熱《ねつ》した具合で、
「うん、大分暖かい」と力の這入つた返事があつた。恰も自己の存在を急に意識して、はつと思つた調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨《まきたばこ》に火を点《つ》けた。其時婆さんが漸く急須《きうす》に茶を注《い》れて持つて出た。今しがた鉄瓶に水《みづ》を射《さ》して仕舞つたので、煮立《にたて》るのに暇《ひま》が入つて、つい遅《おそ》くなつて済《す》みませんと言訳をしながら、洋卓《テーブル》の上《うへ》へ盆《ぼん》を載せた。二人《ふたり》は婆《ばあ》さんの喋舌《しやべつ》てる間《あひだ》、紫檀の盆《ぼん》を見《み》て黙《だま》つてゐた。婆さんは相手にされないので、独《ひと》りで愛想笑ひをして座敷を出《で》た。
「ありや何《なん》だい」
「婆《ばあ》さんさ。雇《やと》つたんだ。飯《めし》を食《く》はなくつちやならないから」
「御世辞が好《い》いね」
 代助は赤い唇《くちびる》の両|端《はし》を、少し弓《ゆみ》なりに下《した》の方へ彎《ま》げて蔑《さげす》む様に笑つた。
「今迄斯んな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」
「君の家《うち》から誰《だれ》か連《つ》れて呉れば好《い》いのに。大勢《おほぜい》ゐるだらう」
「みんな若《わか》いの許りでね」と代助は真面目《まじめ》に答へた。平岡は此時始めて声を出して笑つた。
「若《わか》けりや猶結構ぢやないか」
「兎に角|家《うち》の奴《やつ》は好《よ》くないよ」
「あの婆《ばあ》さんの外《ほか》に誰《だれ》かゐるのかい」
「書生が一人《ひとり》ゐる」
 門野《かどの》は何時《いつ》の間《ま》にか帰つて、台所《だいどころ》の方で婆さんと話《はなし》をしてゐた。
「それ限《ぎ》りかい」
「それ限《ぎ》りだ。何故《なぜ》」
「細君はまだ貰《もら》はないのかい」
 代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になつた。
「妻《さい》を貰つたら、君の所へ通知|位《ぐらゐ》する筈ぢやないか。夫《それ》よりか君の」と云ひかけて、ぴたりと已めた。

二の二

 代助と平岡とは中学時代からの知り合で、殊に学校を卒業して後《のち》、一年間といふものは、殆んど兄弟の様に親しく往来した。其時分は互に凡てを打ち明けて、互に力《ちから》に為《な》り合《あ》ふ様なことを云ふのが、互に娯楽の尤もなるものであつた。この娯楽が変じて実行となつた事も少なくないので、彼等は双互の為めに口《くち》にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでゐると確信してゐた。さうして其犠牲を即座に払へば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云ふ陳腐な事実にさへ気が付かずにゐた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤《つと》めてゐる銀行の、京坂地方のある支店詰になつた。代助は、出立《しつたつ》の当時、新夫婦を新橋の停車場に送つて、愉快さうに、直《ぢき》帰つて来給《きたま》へと平岡の手を握つた。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云つたが、其|眼鏡《めがね》の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急に此友達を憎らしく思つた。家《うち》へ帰つて、一日《いちにち》部屋に這入つたなり考へ込んでゐた。嫂《あによめ》を連れて音楽会へ行く筈《はづ》の所を断わつて、大いに嫂《あによめ》に気を揉ました位である。
 平岡からは断えず音信《たより》があつた。安着の端書《はがき》、向ふで世帯を持つた報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あつた。手紙の来《く》るたびに、代助は何時《いつ》も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事を書《か》くときは、何時《いつ》でも一種の不安に襲はれる。たまには我慢するのが厭《いや》になつて、途中で返事を已めて仕舞ふ事がある。たゞ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来《く》る場合に限つて、安々《やす/\》と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。
 そのうち段々手紙の遣《や》り取りが疎遠になつて、月に二遍が、一遍になり、一遍が又|二《ふた》月、三《み》月に跨がる様に間《あひだ》を置《お》いて来《く》ると、今度は手紙を書《か》かない方が、却つて不安になつて、何の意味もないのに、只この感じを駆逐する為《ため》に封筒の糊《のり》を湿《しめ》す事があつた。それが半年ばかり続くうちに、代助の頭《あたま》も胸《むね》も段々組織が変つて来《く》る様に感ぜられて来《き》た。此変化に伴《ともな》つて、平岡へは手紙を書《か》いても書《か》かなくつても、丸で苦痛を覚えない様になつて仕舞つた。現《げん》に代助が一戸を構へて以来、約一年余と云ふものは、此春《このはる》年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らした丈である。
 それでも、ある事情があつて、平岡の事は丸で忘れる訳には行かなかつた。時々《とき/″\》思ひ出《だ》す。さうして今頃は何《ど》うして暮《くら》してゐるだらうと、色々に想像して見る事がある。然したゞ思ひ出す丈で、別段問ひ合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日迄|過《すご》して来《き》た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。其手紙には近々当地を引き上《あ》げて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思つてくれては困る。少し考があつて、急に職業替をする気になつたから、着京の上は何分《なにぶん》宜しく頼《たの》むとあつた。此何分宜しく頼《たの》むの頼《たの》むは本当の意味の頼《たの》むか、又は単に辞令上の頼《たの》むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあつたのは争ふべからざる事実である。代助は其時はつと思つた。
 それで、逢《あ》ふや否や此変動の一部始終を聞かうと待設けて居たのだが、不幸にして話が外《そ》れて容易に其所《そこ》へ戻《もど》つて来《こ》ない。折を見て此方《こつち》から持ち掛けると、まあ緩《ゆ》つくり話すとか何とか云つて、中々《なか/\》埒《らち》を開《あ》けない。代助は仕方《しかた》なしに、仕舞に、
「久《ひさ》し振《ぶ》りだから、其所《そこ》いらで飯《めし》でも食はう」と云ひ出した。平岡は、それでも、まだ、何《いづ》れ緩《ゆつ》くりを繰返したがるのを、無理に引張つて、近所の西洋料理へ上《あが》つた。

二の三

 両人《ふたり》は其所《そこ》で大分《だいぶ》飲《の》んだ。飲《の》む事《こと》と食《く》ふ事は昔《むかし》の通りだねと言《い》つたのが始《はじま》りで、硬《こわ》い舌《した》が段々《だんだん》弛《ゆる》んで来《き》た。代助は面白さうに、二三日|前《まへ》自分の観《み》に行つた、ニコライの復活祭の話をした。御祭《おまつり》が夜《よ》の十二時を相図に、世の中の寐鎮《ねしづ》まる頃を見計《みはから》つて始《はじま》る。参詣《さんけい》人が長い廊下を廻《まは》つて本堂へ帰つて来《く》ると、何時《いつ》の間《ま》にか幾千本《いくせんぼん》の蝋燭が一度《いちど》に点《つ》いてゐる。法衣《ころも》を着《き》た坊主が行列して向ふを通るときに、黒《くろ》い影《かげ》が、無地《むぢ》の壁《かべ》へ非常に大きく映《うつ》る。――平岡は頬杖を突《つ》いて、眼鏡《めがね》の奥の二重瞼《ふたへまぶち》を赤くしながら聞いてゐた。代助はそれから夜の二時頃|広《ひろ》い御成《おなり》街道を通《とほ》つて、深夜《しんや》の鉄軌《レール》が、暗《くら》い中《なか》を真直《まつすぐ》に渡《わた》つてゐる上《うへ》を、たつた一人《ひとり》上野《うへの》の森《もり》迄|来《き》て、さうして電燈に照らされた花《はな》の中《なか》に這入《はい》つた。
「人気《ひとけ》のない夜桜《よざくら》は好《い》いもんだよ」と云つた。平岡は黙《だま》つて盃《さかづき》を干《ほ》したが、一寸《ちよつと》気の毒さうに口元《くちもと》を動《うご》かして、
「好《い》いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似《まね》が出来《でき》る間《あひだ》はまだ気楽なんだよ。世の中《なか》へ出《で》ると、中々《なか/\》それ所《どころ》ぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。其所《そこ》でこんな答をした。
「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」
 平岡は酔つた眼《め》を心持大きくした。
「大分《だいぶ》考へが違《ちが》つて来《き》た様だね。――けれども其苦痛が後《あと》から薬《くすり》になるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」
「そりや不見識な青年が、流俗の諺《ことわざ》に降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」
「だつて、君だつて、もう大抵世の中《なか》へ出《で》なくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」
「世の中《なか》へは昔《むかし》から出《で》てゐるさ。ことに君と分《わか》れてから、大変世の中が広《ひろ》くなつた様な気がする。たゞ君の出《で》てゐる世《よ》の中《なか》とは種類が違《ちが》ふ丈だ」
「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」
「無論食ふに困る様になれば、何時《いつ》でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を嘗《な》めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」
 平岡の眉の間《あひだ》に、一寸《ちよつと》不快の色が閃《ひら》めいた。赤い眼《め》を据ゑてぷか/\烟草《たばこ》を吹かしてゐる。代助は、ちと云ひ過ぎたと思つて、少《すこ》し調子を穏《おだ》やかにした。――
「僕の知つたものに、丸で音楽の解《わか》らないものがある。学校の教師をして、一軒ぢや飯《めし》が食《く》へないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやつてゐるが、そりや気の毒なもんで、下読《したよみ》をするのと、教場へ出《で》て器械的に口《くち》を動《うご》かしてゐるより外に全く暇《ひま》がない。たまの日曜抔は骨休めとか号して一日ぐう/\寐てゐる。だから何所《どこ》に音楽会があらうと、どんな名人が外国から来《き》やうと聞《きゝ》に行く機会がない。つまり楽《がく》といふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。麺麭《ぱん》に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭《ぱん》を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」
 平岡は巻莨《まきたばこ》の灰を、皿《さら》の上《うへ》にはたきながら、沈《しづ》んだ暗《くら》い調子で、
「うん、何時《いつ》迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其|重《おも》い言葉の足《あし》が、富《とみ》に対する一種の呪咀を引《ひ》き摺《ず》つてゐる様に聴《きこ》えた。

二の四

 両人《ふたり》は酔《よ》つて、戸外《おもて》へ出《で》た。酒《さけ》の勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにゐる。
「少《すこ》し歩《ある》かないか」と代助が誘《さそ》つた。平岡も口《くち》程|忙《いそ》がしくはないと見えて、生返事《なまへんじ》をしながら、一所に歩《ほ》を運《はこ》んで来《き》た。通《とほり》を曲《まが》つて横町へ出《で》て、成る可《べ》く、話《はなし》の為好《しい》い閑《しづか》な場所を撰んで行くうちに、何時《いつ》か緒口《いとくち》が付《つ》いて、思ふあたりへ談柄《だんぺい》が落ちた。
 平岡の云ふ所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいて見た。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しやうと思つた位であつたが、地位が夫程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭《あたま》の中《なか》に入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時《いつ》も取り合はなかつた。六《む》※[#小書き濁点付き平仮名つ、25-10]かしい理窟抔を持ち出すと甚だ御機嫌が悪《わる》い。青二才に何が分るものかと云ふ様な風をする。其癖自分は実際何も分《わか》つて居ないらしい。平岡から見ると、其相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくつて、寧ろ相手にするのが怖《こわ》いからの様に思はれた。其所《そこ》に平岡の癪はあつた。衝突しかけた事《こと》も一度《いちど》や二度《にど》ではない。
 けれども、時日《じじつ》を経過するに従つて、肝癪が何時《いつ》となく薄らいできて、次第に自分の頭《あたま》が、周囲の空気と融和する様になつた。又成るべくは、融和する様に力《つと》めた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変つて来《き》た。時々《とき/″\》は向ふから相談をかける事さへある。すると学校を出《で》たての平岡でないから、先方《むかふ》に解《わか》らない、且つ都合のわるいことは成るべく云はない様にして置く。
「無暗に御世辞を使つたり、胡麻を摺《す》るのとは違ふが」と平岡はわざ/\断つた。代助は真面目《まじめ》な顔をして、「そりや無論さうだらう」と答へた。
 支店長は平岡の未来《みらい》の事に就て、色々《いろ/\》心配してくれた。近いうちに本店に帰る番に中《あた》つてゐるから、其時《そのとき》は一所に来《き》給へ抔《など》と冗談半分に約束迄した。其頃《そのころ》は事務《じむ》にも慣《な》れるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をする暇《ひま》が自然となくなつて、又勉強が却つて実務の妨《さまたげ》をする様に感ぜられて来《き》た。
 支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下の関《せき》といふ男を信任して、色々と相談相手にして居つた。所《ところ》が此男がある芸妓と関係《かゝりあ》つて、何時《いつ》の間《ま》にか会計に穴を明《あ》けた。それが曝露《ばくろ》したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放《ほう》つて置くと、支店長に迄多少の煩《わづらひ》が及んで来《き》さうだつたから、其所《そこ》で自分が責を引いて辞職を申し出《で》た。
 平岡の語る所は、ざつと斯うであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、上《うへ》になればなる程|旨《うま》い事が出来《でき》るものでね。実は関《せき》なんて、あれつ許《ばかり》の金を使ひ込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」といふ句があつたのから推したのである。
「ぢや支店長は一番|旨《うま》い事をしてゐる訳だね」と代助が聞いた。
「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁《にご》して仕舞つた。
「それで其男の使ひ込んだ金《かね》は何《ど》うした」
「千《せん》に足《た》らない金《かね》だつたから、僕が出して置《お》いた」
「よく有《あ》つたね。君も大分|旨《うま》い事をしたと見える」
 平岡《ひらをか》は苦《にが》い顔をして、ぢろりと代助を見た。
「旨《うま》い事《こと》をしたと仮定しても、皆《みんな》使つて仕舞つてゐる。生活《くらし》にさへ足りない位だ。其金は借《か》りたんだよ」
「さうか」と代助は落ち付き払つて受けた。代助は何《ど》んな時でも平生の調子を失はない男である。さうして其調子には低《ひく》く明《あき》らかなうちに一種の丸味《まるみ》が出てゐる。
「支店長から借《か》りて埋《う》めて置いた」
「何故《なぜ》支店長がぢかに其|関《せき》とか何とか云ふ男に貸して遣《や》らないのかな」
 平岡《ひらをか》は何とも答へなかつた。代助も押しては聞かなかつた。二人《ふたり》は無言の儘しばらくの間《あひだ》並《なら》んで歩《ある》いて行つた。

二の五

 代助は平岡《ひらをか》が語《かた》つたより外《ほか》に、まだ何《なに》かあるに違《ちがひ》ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有《も》つてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil《ニル》 admirari《アドミラリ》 の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚《びつくり》する程の山出《やまだし》ではなかつた。彼《かれ》の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅《か》いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。
 代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中《なか》で、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時《いつ》でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心《うぶ》と見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、洗《あら》ひ浚《ざら》ひ自分の弱点を打《う》ち明《あ》けては、徒《いたづ》らに馬糞《まぐそ》を投《な》げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想《あいそ》を尽《つ》かされるよりは黙《だま》つてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹が斯《か》う取《と》れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言《むごん》で歩《ある》いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視《こどもし》する程度に於て、あるひは其《そ》れ以上の程度に於て、代助は平岡を小供視《こどもし》し始《はじ》めたのである。けれども両人《ふたり》が十五六間|過《す》ぎて、又|話《はなし》を遣《や》り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更《さら》になかつた。最初に口《くち》を切つたのは代助であつた。
「それで、是《これ》から先《さき》何《ど》うする積《つもり》かね」
「さあ」
「矢っ張り今迄の経験もあるんだから、同じ職業が可《い》いかも知れないね」
「さあ。事情次第だが。実は緩《ゆつ》くり君に相談して見様と思つてゐたんだが。何《ど》うだらう、君《きみ》の兄《にい》さんの会社の方に口《くち》はあるまいか」
「うん、頼《たの》んで見様、二三日|内《うち》に家《うち》へ行く用があるから。然し何《ど》うかな」
「もし、実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」
「夫《それ》も好《い》いだらう」
 両人《ふたり》は又電車の通る通《とほり》へ出《で》た。平岡は向ふから来《き》た電車の軒《のき》を見てゐたが、突然是に乗つて帰ると云ひ出《だ》した。代助はさうかと答へた儘、留《と》めもしない、と云つて直《すぐ》分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄|歩《ある》いて来《き》た。そこで、
「三千代《みちよ》さんは何《ど》うした」と聞《き》いた。
「難有う、まあ相変らずだ。君に宜《よろ》しく云つてゐた。実は今日《けふ》連《つ》れて来《き》やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺《ゆ》れたんで頭《あたま》が悪《わる》いといふから宿《やど》屋へ置いて来《き》た」
 電車が二人《ふたり》の前で留《と》まつた。平岡は二三歩|早足《はやあし》に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼《かれ》の乗るべき車はまだ着《つ》かなかつたのである。
「子供は惜《お》しい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好《よ》かつた」
「其|後《ご》は何《ど》うだい。まだ後《あと》は出来ないか」
「うん、未《ま》だにも何にも、もう駄目《だめ》だらう。身体《からだ》があんまり好《よ》くないものだからね」
「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可《い》いかも知れない」
「夫《それ》もさうさ。一層《いつそ》君の様に一人身《ひとりみ》なら、猶の事、気楽で可《い》いかも知れない」
「一人身《ひとりみ》になるさ」
「冗談云つてら――夫よりか、妻《さい》が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未《ま》だだらうかつて気にしてゐたぜ」
 所へ電車が来《き》た。

三の一

 代助《だいすけ》の父《ちゝ》は長井得《ながゐとく》といつて、御維新のとき、戦争に出《で》た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きてゐる。役人を已《や》めてから、実業界に這入つて、何《なに》か彼《かに》かしてゐるうちに、自然と金が貯《たま》つて、此十四五年来は大分《だいぶん》の財産家になつた。
 誠吾《せいご》と云ふ兄《あに》がある。学校を卒業してすぐ、父《ちゝ》の関係してゐる会社へ出《で》たので、今では其所《そこ》で重要な地位を占める様になつた。梅子といふ夫人に、二人《ふたり》の子供《こども》が出来た。兄は誠太郎と云つて十五になる。妹は縫《ぬひ》といつて三つ違である。
 誠吾《せいご》の外に姉がまだ一人《ひとり》あるが、是はある外交官に嫁いで、今は夫《おつと》と共に西洋にゐる。誠吾《せいご》と此姉の間にもう一人《ひとり》、それから此姉と代助の間にも、まだ一人《ひとり》兄弟があつたけれども、それは二人《ふたり》とも早く死んで仕舞つた。母も死んで仕舞つた。
 代助の一家《いつけ》は是丈の人数《にんず》から出来上《できあが》つてゐる。そのうちで外《そと》へ出《で》てゐるものは、西洋に行つた姉と、近頃《ちかごろ》一戸を構へた代助ばかりだから、本家《ほんけ》には大小合せて四人《よつたり》残る訳になる。
 代助は月に一度《いちど》は必ず本家《ほんけ》へ金《かね》を貰ひに行く。代助は親《おや》の金《かね》とも、兄《あに》の金ともつかぬものを使《つか》つて生きてゐる。月《つき》に一度の外《ほか》にも、退屈になれば出掛けて行く。さうして子供に調戯《からか》つたり、書生と五目並《ごもくならべ》をしたり、嫂《あによめ》と芝居の評をしたりして帰つて来《く》る。
 代助は此|嫂《あによめ》を好《す》いてゐる。此|嫂《あによめ》は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継《つ》ぎ合《あは》せた様な一種の人物である。わざ/\仏蘭西《ふらんす》にゐる義妹《いもうと》に注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物《おりもの》を取寄せて、それを四五人で裁《た》つて、帯に仕立てゝ着《き》て見たり何《なに》かする。後《あと》で、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。夫《それ》から西洋の音楽が好《す》きで、よく代助に誘ひ出されて聞《きゝ》に行く。さうかと思ふと易断《うらなひ》に非常な興味を有《も》つてゐる。石龍子《せきりうし》と尾島某《おじまなにがし》を大いに崇拝する。代助も二三度御|相伴《しようばん》に、俥《くるま》で易者《えきしや》の許《もと》迄|食付《くつつ》いて行つた事がある。
 誠太郎と云ふ子は近頃ベースボールに熱中してゐる。代助が行つて時々《とき/″\》球《たま》を投《な》げてやる事がある。彼は妙な希望を持つた子供である。毎年《まいとし》夏《なつ》の初めに、多くの焼芋《やきいも》屋が俄然として氷水《こほりみづ》屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓《アイスクリーム》を食《く》ふものは誠太郎である。氷菓《アイスクリーム》がないときには、氷水《こほりみづ》で我慢する。さうして得意になつて帰つて来《く》る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番|先《さき》へ這入つて見たいと云つてゐる。叔父《おぢ》さん誰《だれ》か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。
 縫《ぬひ》といふ娘《むすめ》は、何か云ふと、好《よ》くつてよ、知らないわと答へる。さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。近頃は※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンの稽古に行く。帰つて来《く》ると、鋸《のこぎり》の目立《めた》ての様な声を出して御浚ひをする。たゞし人が見てゐると決して遣《や》らない。室《へや》を締《し》め切《き》つて、きい/\云はせるのだから、親《おや》は可なり上手だと思つてゐる。代助丈が時々《とき/″\》そつと戸を明《あ》けるので、好《よ》くつてよ、知らないわと叱《しか》られる。
 兄《あに》は大抵不在|勝《がち》である。ことに忙《いそ》がしい時になると、家《うち》で食《く》ふのは朝食《あさめし》位なもので、あとは、何《ど》うして暮《くら》してゐるのか、二人《ふたり》の子供には全く分《わか》らない。同程度に於て代助にも分らない。是は分《わか》らない方が好《この》ましいので、必要のない限《かぎ》りは、兄《あに》の日々の戸外《こぐわい》生活に就て決して研究しないのである。
 代助は二人《ふたり》の子供に大変人望がある。嫂《あによめ》にも可《か》なりある。兄《あに》には、あるんだか、ないんだか分《わか》らない。会《たま》に兄《あに》と弟《おとゝ》が顔を合せると、たゞ浮世《うきよ》話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣《や》つてゐる。陳腐に慣《な》れ抜《ぬ》いた様子である。

三の二

 代助の尤《もつと》も応《こた》へるのは親爺《おやぢ》である。好《い》い年《とし》をして、若《わか》い妾《めかけ》を持《も》つてゐるが、それは構《かま》はない。代助から云《い》ふと寧ろ賛成な位なもので、彼《かれ》は妾《めかけ》を置く余裕のないものに限《かぎ》つて、蓄妾《ちくしよう》の攻撃をするんだと考へてゐる。親爺《おやぢ》は又|大分《だいぶ》の八釜《やかま》し屋《や》である。小供のうちは心魂《しんこん》に徹《てつ》して困却した事がある。しかし成人《せいじん》の今日《こんにち》では、それにも別段辟易する必要を認《みと》めない。たゞ応《こた》へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共|大《たい》した変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世に処《しよ》した時の心掛《こゝろが》けでもつて、代助も遣《や》らなくつては、嘘《うそ》だといふ論理になる。尤も代助の方では、何《なに》が嘘《うそ》ですかと聞き返した事がない。だから決して喧嘩にはならない。代助は小供の頃非常な肝癪持で、十八九の時分|親爺《おやぢ》と組打をした事が一二返ある位だが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、此肝癪がぱたりと已《や》んで仕舞つた。それから以後ついぞ怒《おこ》つた試《ため》しがない。親爺《おやぢ》はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇《ほこ》つてゐる。
 実際を云ふと親爺《おやぢ》の所謂薫育は、此父子の間《あひだ》に纏綿する暖《あたゝ》かい情味を次第に冷却せしめた丈である。少なくとも代助はさう思つてゐる。所が親爺《おやぢ》の腹のなかでは、それが全く反対《あべこべ》に解釈されて仕舞つた。何《なに》をしやうと血肉《けつにく》の親子《おやこ》である。子が親《おや》に対する天賦の情|合《あひ》が、子を取扱ふ方法の如何に因つて変る筈《はづ》がない。教育の為《た》め、少しの無理はしやうとも、其結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺《おやぢ》は、固く斯う信じてゐた。自分が代助に存在を与へたといふ単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考へた親爺《おやぢ》は、その信念をもつて、ぐん/\押して行つた。さうして自分に冷淡な一個の息子《むすこ》を作り上《あ》げた。尤も代助の卒業前後からは其待遇法も大分変つて来《き》て、ある点から云へば、驚ろく程寛大になつた所もある。然しそれは代助が生《うま》れ落ちるや否や、此|親爺《おやぢ》が代助に向つて作つたプログラムの一部分の遂行に過ぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかつたのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至つては、今に至つて全く気が付かずにゐる。
 親爺《おやぢ》は戦争に出《で》たのを頗る自慢にする。稍《やゝ》もすると、御|前《まへ》抔はまだ戦争をした事がないから、度胸が据《すわ》らなくつて不可《いか》んと一概にけなして仕舞ふ。恰も度胸が人間《にんげん》至上な能力であるかの如き言草《いひぐさ》である。代助はこれを聞《き》かせられるたんびに厭《いや》な心持がする。胆力は命《いのち》の遣《や》り取《と》りの劇《はげ》しい、親爺《おやぢ》の若い頃の様な野蛮時代にあつてこそ、生存に必要な資格かも知れないが、文明の今日から云へば、古風な弓術撃剣の類《たぐひ》と大差はない道具と、代助は心得てゐる。否、胆力とは両立し得ないで、しかも胆力以上に難有がつて然るべき能力が沢山ある様に考へられる。御父《おとう》さんから又胆力の講釈を聞いた。御父《おとう》さんの様に云ふと、世の中《なか》で石地蔵が一番|偉《えら》いことになつて仕舞ふ様だねと云つて、嫂《あによめ》と笑つた事がある。
 斯う云ふ代助は無論臆病である。又臆病で恥づかしいといふ気は心《しん》から起らない。ある場合には臆病を以て自任したくなる位である。子供の時、親爺《おやぢ》の使嗾で、夜中《よなか》にわざ/\青山《あをやま》の墓地迄出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなつて、蒼青な顔をして家《うち》へ帰つて来《き》た。其折は自分でも残念に思つた。あくる朝《あさ》親爺《おやぢ》に笑はれたときは、親爺《おやぢ》が憎《にく》らしかつた。親爺《おやぢ》の云ふ所によると、彼《かれ》と同時代の少年は、胆力修養の為《た》め、夜半《やはん》に結束《けつそく》して、たつた一人《ひとり》、御|城《しろ》の北《きた》一里にある剣《つるぎ》が峰《みね》の天頂《てつぺん》迄|登《のぼ》つて、其所《そこ》の辻堂で夜明《よあかし》をして、日の出《で》を拝《おが》んで帰《かへ》つてくる習慣であつたさうだ。今の若いものとは心得|方《かた》からして違ふと親爺が批評した。
 斯んな事を真面目《まじめ》に口《くち》にした、又今でも口《くち》にしかねまじき親爺《おやぢ》は気の毒なものだと、代助は考へる。彼は地震が嫌《きらひ》である。瞬間の動揺でも胸《むね》に波《なみ》が打《う》つ。あるときは書斎で凝《じつ》と坐《すは》つてゐて、何かの拍子に、あゝ地震が遠くから寄せて来《く》るなと感ずる事がある。すると、尻の下に敷《し》いてゐる坐蒲団も、畳《たゝみ》も、乃至|床《ゆか》板も明らかに震《ふる》へる様に思はれる。彼《かれ》はこれが自分の本来だと信じてゐる。親爺《おやぢ》の如きは、神経|未熟《みじゆく》の野人か、然らずんば己《おの》れを偽《いつ》はる愚者としか代助には受け取れないのである。

三の三

 代助は今《いま》此《この》親爺《おやぢ》と対坐してゐる。廂《ひさし》の長い小《ちい》さな部屋なので、居《ゐ》ながら庭《には》を見ると、廂《ひさし》の先《さき》で庭《には》が仕切《しき》られた様な感がある。少《すく》なくとも空《そら》は広《ひろ》く見えない。其代り静《しづ》かで、落ち付いて、尻《しり》の据《すわ》り具合が好《い》い。
 親爺《おやぢ》は刻《きざ》み烟草《たばこ》を吹《ふ》かすので、手《て》のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々《とき/″\》灰吹《はいふき》をぽん/\と叩《たゝ》く。それが静かな庭《には》へ響いて好《い》い音《おと》がする。代助の方は金《きん》の吸口《すひくち》を四五本|手烙《てあぶり》の中《なか》へ並《なら》べた。もう鼻《はな》から烟《けむ》を出すのが厭《いや》になつたので、腕組《うでぐみ》をして親爺《おやぢ》の顔《かほ》を眺《なが》めてゐる。其|顔《かほ》には年《とし》の割に肉《にく》が多い。それでゐて頬《ほゝ》は痩《こ》けてゐる。濃《こ》い眉《まゆ》の下《した》に眼《め》の皮《かは》が弛《たる》んで見える。髭《ひげ》は真白《まつしろ》と云はんよりは、寧ろ黄色《きいろ》である。さうして、話《はなし》をするときに相手《あいて》の膝頭《ひざがしら》と顔《かほ》とを半々《はん/\》に見較べる癖《くせ》がある。其時の眼《め》の動《うご》かし方《かた》で、白眼《しろめ》が一寸《ちよつと》ちらついて、相手《あいて》に妙な心|持《もち》をさせる。
 老人《ろうじん》は今《いま》斯んな事を云つてゐる。――
「さう人間《にんげん》は自分丈を考へるべきではない。世の中《なか》もある。国家もある。少しは人《ひと》の為《ため》に何《なに》かしなくつては心持のわるいものだ。御前だつて、さう、ぶら/\してゐて心持の好《い》い筈はなからう。そりや、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んで居て面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出《で》るものだからな」
「左様《さう》です」と代助は答へてゐる。親爺《おやぢ》から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云ふ習慣になつてゐる。代助に云はせると、親爺《おやぢ》の考は、万事|中途半端《ちうとはんぱ》に、或物《あるもの》を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有してゐない。しかのみならず、今利他本位でやつてるかと思ふと、何時《いつ》の間《ま》にか利己本位に変つてゐる。言葉丈は滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談《くうだん》である。それを基礎から打ち崩して懸《か》かるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めより成るべく触《さは》らない様にしてゐる。所が親爺《おやぢ》の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得てゐるので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来《く》る。そこで代助も已を得ず親爺《おやぢ》といふ老太陽の周囲を、行儀よく廻転する様に見せてゐる。
「それは実業が厭《いや》なら厭《いや》で好《い》い。何も金《かね》を儲ける丈が日本の為《ため》になるとも限るまいから。金《かね》は取《と》らんでも構《かま》はない。金《かね》の為《ため》に兎や角云ふとなると、御前も心持がわるからう。金《かね》は今迄通り己《おれ》が補助して遣《や》る。おれも、もう何時《いつ》死《し》ぬか分《わか》らないし、死《し》にや金《かね》を持つて行く訳にも行《い》かないし。月々《つき/″\》御前の生計《くらし》位どうでもしてやる。だから奮発して何か為《す》るが好《い》い。国民の義務としてするが好《い》い。もう三十だらう」
「左様《さう》です」
「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」
 代助は決してのらくらして居《ゐ》るとは思はない。たゞ職業の為《ため》に汚《けが》されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考へてゐる丈である。親爺《おやぢ》が斯んな事を云ふたびに、実は気の毒になる。親爺《おやぢ》の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日《つきひ》を利用しつゝある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹き出《だ》してゐるのが、全く映《うつ》らないのである。仕方がないから、真面目《まじめ》な顔をして、
「えゝ、困ります」と答へた。老人《ろうじん》は頭《あたま》から代助を小僧視してゐる上《うへ》に、其返事が何時《いつ》でも幼気《おさなげ》を失はない、簡単な、世帯離《しよたいばな》れをした文句だものだから、馬鹿《ばか》にするうちにも、どうも坊ちやんは成人しても仕様がない、困つたものだと云ふ気になる。さうかと思ふと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もぢ付《つ》かず尋常極まつてゐるので、此奴《こいつ》は手の付け様がないといふ気にもなる。

三の四

「身体《からだ》は丈夫だね」
「二三年このかた風邪《かぜ》を引《ひ》いた事《こと》もありません」
「頭《あたま》も悪《わる》い方ぢやないだらう。学校の成蹟も可《か》なりだつたんぢやないか」
「まあ左様《さう》です」
「夫《それ》で遊《あそ》んでゐるのは勿体ない。あの何とか云つたね、そら御前《おまへ》の所へ善《よ》く話しに来《き》た男があるだらう。己《おれ》も一二度逢つたことがある」
「平岡ですか」
「さう平岡。あの人なぞは、あまり出来の可《い》い方ぢやなかつたさうだが、卒業すると、すぐ何処《どこ》かへ行つたぢやないか」
「其代り失敗《しくじつ》て、もう帰《かへ》つて来《き》ました」
 老人は苦笑を禁じ得なかつた。
「どうして」と聞いた。
「詰《つま》り食《く》ふ為《ため》に働《はた》らくからでせう」
 老人には此意味が善《よ》く解《わか》らなかつた。
「何《なに》か面白くない事でも遣《や》つたのかな」と聞き返した。
「其場合々々で当然の事を遣るんでせうけれども、其当然が矢っ張り失敗《しくじり》になるんでせう」
「はあゝ」と気の乗らない返事をしたが、やがて調子を易《か》へて、説き出した。
「若い人がよく失敗《しくじる》といふが、全く誠実と熱心が足りないからだ。己《おれ》も多年の経験で、此年《このとし》になる迄|遣《や》つて来《き》たが、どうしても此二つがないと成功しないね」
「誠実と熱心があるために、却つて遣り損ふこともあるでせう」
「いや、先《まづ》ないな」
 親爺《おやぢ》の頭《あたま》の上《うへ》に、誠者天之道也と云ふ額が麗々と掛けてある。先代の旧藩主に書いて貰つたとか云つて、親爺《おやぢ》は尤も珍重してゐる。代助は此額が甚だ嫌である。第一字が嫌だ。其上文句が気に喰はない。誠は天の道なりの後《あと》へ、人の道にあらずと附け加へたい様な心持がする。
 其昔し藩の財政が疲弊して、始末が付かなくなつた時、整理の任に当つた長井は、藩侯に縁故のある町人を二三人呼び集めて、刀《かたな》を脱いで其前に頭《あたま》を下《さ》げて、彼等に一時の融通を頼んだ事がある。固より返《かへ》せるか、返せないか、分らなかつたんだから、分らないと真直に自白して、それがために其時成功した。その因縁で此|額《がく》を藩主に書《か》いて貰《もら》つたんである。爾来長井は何時《いつ》でも、之を自分の居間《ゐま》に掛けて朝夕眺めてゐる。代助は此額の由来を何遍|聞《き》かされたか知れない。
 今から十五六年前に、旧藩主の家《いへ》で、月々《つき/″\》の支出が嵩《かさ》んできて、折角持ち直した経済が又|崩《くづ》れ出した時にも、長井は前年の手腕によつて、再度の整理を委託された。其時長井は自分で風呂の薪《まき》を焚いて見《み》て、実際の消費|高《だか》と帳面づらの消費|高《だか》との差違から調《しら》べにかゝつたが、終日終夜この事丈に精魂を打ち込んだ結果は、約一ヶ月内に立派な方法を立て得るに至つた。それより以後藩主の家では比較的豊かな生計《くらし》をしてゐる。
 斯う云ふ過去の歴史を持つてゐて、此過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考へる事を敢てしない長井は、何《なん》によらず、誠実と熱心へ持つて行きたがる。
「御前は、どう云ふものか、誠実と熱心が欠けてゐる様だ。それぢや不可ん。だから何にも出来ないんだ」
「誠実も熱心もあるんですが、たゞ人事上に応用出来ないんです」
「何《ど》う云ふ訳で」
 代助は又返答に窮した。代助の考によると、誠実だらうが、熱心だらうが、自分が出来合《できあひ》の奴《やつ》を胸に蓄《たく》はへてゐるんぢやなくつて、石と鉄と触れて火花《ひばな》の出《で》る様に、相手次第で摩擦の具合がうまく行けば、当事者|二人《ににん》の間に起るべき現象である。自分の有する性質と云ふよりは寧ろ精神の交換作用である。だから相手が悪《わる》くつては起《おこ》り様がない。
「御父《おとう》さんは論語だの、王陽明だのといふ、金《きん》の延金《のべがね》を呑《の》んで入らつしやるから、左様《さう》いふ事を仰しやるんでせう」
「金《きん》の延金《のべがね》とは」
 代助はしばらく黙《だま》つてゐたが、漸やく、
「延金《のべがね》の儘|出《で》て来《く》るんです」と云つた。長井は、書物癖のある、偏窟な、世慣れない若輩のいひたがる不得要領の警句として、好奇心のあるにも拘はらず、取り合ふ事を敢てしなかつた。

三の五

 それから約四十分程して、老人は着物《きもの》を着換《きか》えて、袴《はかま》を穿《は》いて、俥《くるま》に乗《の》つて、何処《どこ》かへ出《で》て行《い》つた。代助も玄関迄送つて出たが、又引き返して客間《きやくま》の戸を開けて中《なか》へ這入《はい》つた。是《これ》は近頃《ちかごろ》になつて建《た》て増した西洋作りで、内部の装飾其他の大部分は、代助の意匠に本《もと》づいて、専門家へ注文して出来上つたものである。ことに欄間《らんま》の周囲に張つた模様画は、自分の知り合ひの去る画家に頼《たの》んで、色々相談の揚句《あげく》に成つたものだから、特更興味が深い。代助は立ちながら、画巻物《ゑまきもの》を展開《てんかい》した様な、横長《よこなが》の色彩《しきさい》を眺めてゐたが、どう云ふものか、此前《このまへ》来《き》て見た時よりは、痛《いた》く見劣りがする。是では頼《たの》もしくないと思ひながら、猶局部々々に眼《め》を付《つ》けて吟味してゐると、突然|嫂《あによめ》が這入つて来た。
「おや、此所《こゝ》に入《い》らつしやるの」と云つたが、「一寸《ちよいと》其所《そこい》らに私《わたくし》の櫛《くし》が落ちて居《ゐ》なくつて」と聞いた。櫛《くし》は長椅子《ソーフア》の足《あし》の所《ところ》にあつた。昨日《きのふ》縫子《ぬひこ》に貸《か》して遣《や》つたら、何所《どこ》かへ失《なく》なして仕舞つたんで、探《さが》しに来《き》たんださうである。両手で頭《あたま》を抑へる様にして、櫛《くし》を束髪の根方《ねがた》へ押し付けて、上眼《うはめ》で代助を見ながら、
「相変らず茫乎《ぼんやり》してるぢやありませんか」と調戯《からか》つた。
「御父《おとう》さんから御談義を聞《き》かされちまつた」
「また? 能く叱《しか》られるのね。御帰り匆々、随分気が利かないわね。然し貴方《あなた》もあんまり、好《よ》かないわ。些とも御父《おとう》さんの云ふ通りになさらないんだもの」
「御父《おとう》さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしてゐるんです」
「だから猶始末が悪《わる》いのよ。何か云ふと、へい/\つて、さうして、些《ちつ》とも云ふ事を聞かないんだもの」
 代助は苦笑して黙《だま》つて仕舞つた。梅子《うめこ》は代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した。脊《せい》のすらりとした、色の浅黒い、眉の濃《こ》い、唇の薄い女である。
「まあ、御掛《おか》けなさい。少し話し相手になつて上《あ》げるから」
 代助は矢っ張り立つた儘、嫂《あによめ》の姿《すがた》を見守つてゐた。
「今日《けふ》は妙な半襟《はんえり》を掛けてますね」
「これ?」
 梅子は顎《あご》を縮《ちゞ》めて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見やうとした。
「此間《こないだ》買つたの」
「好《い》い色だ」
「まあ、そんな事は、何《ど》うでも可《い》いから、其所《そこ》へ御掛《おか》けなさいよ」
 代助は嫂《あによめ》の真《ま》正面へ腰を卸した。
「へえ掛《か》けました」
「一体《いつたい》今日《けふ》は何を叱《しか》られたんです」
「何を叱《しか》られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父《おとう》さんの国家社会の為《ため》に尽すには驚ろいた。何でも十八の年《とし》から今日迄《こんにちまで》のべつに尽《つく》してるんだつてね」
「それだから、あの位に御成りになつたんぢやありませんか」
「国家社会の為に尽《つく》して、金《かね》が御父《おとう》さん位儲かるなら、僕も尽《つく》しても好《い》い」
「だから遊んでないで、御|尽《つく》しなさいな。貴方《あなた》は寐てゐて御金《おかね》を取《と》らうとするから狡猾よ」
「御金《おかね》を取らうとした事は、まだ有《あ》りません」
「取《と》らうとしなくつても、使《つか》ふから同《おんな》じぢやありませんか」
「兄《にい》さんが何《なん》とか云つてましたか」
「兄《にい》さんは呆《あき》れてるから、何とも云やしません」
「随分猛烈だな。然し御父《おとう》さんより兄《にい》さんの方が偉《えら》いですね」
「何《ど》うして。――あら悪《にく》らしい、又あんな御世辞を使つて。貴方《あなた》はそれが悪《わる》いのよ。真面目《まじめ》な顔をして他《ひと》を茶化すから」
「左様《そん》なもんでせうか」
「左様《そん》なもんでせうかつて、他《ひと》の事ぢやあるまいし。少《すこ》しや考へて御覧なさいな」
「何《ど》うも此所《こゝ》へ来《く》ると、丸で門野《かどの》と同《おんな》じ様になつちまふから困《こま》る」
「門野《かどの》つて何《なん》です」
「なに宅《うち》にゐる書生ですがね。人《ひと》に何か云はれると、屹度|左様《そん》なもんでせうか、とか、左様《さう》でせうか、とか答へるんです」
「あの人が? 余っ程妙なのね」

2008年11月13日木曜日

三の六

 代助は一寸《ちよつと》話《はなし》を已《や》めて、梅子《うめこ》の肩越《かたごし》に、窓掛《まどかけ》の間《あひだ》から、奇麗な空《そら》を透《す》かす様に見てゐた。遠くに大きな樹《き》が一本ある。薄茶色《うすちやいろ》の芽《め》を全体に吹いて、柔《やわ》らかい梢《こづえ》の端《はじ》が天《てん》に接《つゞ》く所は、糠雨《ぬかあめ》で暈《ぼか》されたかの如くに霞《かす》んでゐる。
「好《い》い気候になりましたね。何所《どこ》か御花見にでも行きませうか」
「行きませう。行くから仰《おつ》しやい」
「何《なに》を」
「御父《おとう》さまから云はれた事を」
「云はれた事は色々あるんですが、秩序立《ちつじよだ》てて繰《く》り返《かへ》すのは困るですよ。頭《あたま》が悪《わる》いんだから」
「まだ空《そら》つとぼけて居《ゐ》らつしやる。ちやんと知つてますよ」
「ぢや、伺《うかゞ》ひませうか」
 梅子は少しつんとした。
「貴方《あなた》は近頃余つ程|減《へ》らず口《ぐち》が達者におなりね」
「何《なに》、姉《ねえ》さんが辟易する程ぢやない。――時に今日《けふ》は大変静かですね。どうしました、小供達は」
「小供は学校です」
 十六七の小間使《こまづかひ》が戸《と》を開《あ》けて顔《かほ》を出した。あの、旦那様が、奥様に一寸《ちよつと》電話|口《ぐち》迄と取り次《つ》いだなり、黙つて梅子の返事を待つてゐる。梅子はすぐ立つた。代助も立つた。つゞいて客間《きやくま》を出やうとすると、梅子は振り向いた。
「あなたは、其所《そこ》に居《ゐ》らつしやい。少し話しがあるから」
 代助には嫂《あによめ》のかう云ふ命令的の言葉が何時《いつ》でも面白く感ぜられる。御緩《ごゆつくり》と見送つた儘、又腰を掛けて、再び例の画を眺め出《だ》した。しばらくすると、其色が壁《かべ》の上に塗り付けてあるのでなくつて、自分の眼球《めだま》の中《なか》から飛び出して、壁《かべ》の上《うへ》へ行つて、べた/\喰《く》つ付《つ》く様に見えて来《き》た。仕舞には眼球《めだま》から色を出す具合一つで、向ふにある人物樹木が、此方《こちら》の思ひ通りに変化出来る様になつた。代助はかくして、下手《へた》な個所々々を悉く塗り更《か》へて、とう/\自分の想像し得《う》る限りの尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚と坐《すは》つてゐた。所へ梅子《うめこ》が帰つて来《き》たので、忽ち当り前の自分に戻つて仕舞つた。
 梅子の用事と云ふのを改まつて聞いて見ると、又例の縁談の事であつた。代助は学校を卒業する前から、梅子の御蔭で写真実物色々な細君の候補者に接した。けれども、何《い》づれも不合格者ばかりであつた。始めのうちは体裁の好《い》い逃《にげ》口上で断わつてゐたが、二年程前からは、急に図迂《づう》々々しくなつて、屹度相手にけちを付ける。口《くち》と顎《あご》の角度が悪《わる》いとか、眼《め》の長さが顔の幅《はゞ》に比例しないとか、耳の位置が間違《まちが》つてるとか、必ず妙な非難を持つて来《く》る。それが悉く尋常な言草《いひぐさ》でないので、仕舞には梅子も少々考へ出した。是は必竟世話を焼き過ぎるから、付け上つて、人を困《こま》らせるのだらう。当分|打遣《うつちや》つて置いて、向ふから頼み出させるに若《し》くはない。と決心して、夫からは縁談の事をついぞ口《くち》にしなくなつた。所が本人は一向困つた様子もなく、依然として海のものとも、山のものとも見当が付かない態度で今日迄|暮《くら》して来《き》た。
 其所《そこ》へ親爺《おやぢ》が甚だ因念の深《ふか》いある候補者を見付けて、旅行|先《さき》から帰つた。梅子は代助の来《く》る二三日前に、其話を親爺《おやぢ》から聞かされたので、今日《けふ》の会談は必ずそれだらうと推したのである。然し代助は実際老人から結婚問題に付いては、此日《このひ》何にも聞《き》かなかつたのである。老人は或はそれを披露する気で、呼んだのかも知れないが、代助の態度を見て、もう少し控えて置く方が得策だといふ了見を起した結果、故意《わざ》と話題を避けたとも取れる。
 此候補者に対して代助は一種特殊な関係を有《も》つてゐた。候補者の姓は知つてゐる。けれど名は知らない。年齢、容貌、教育、性質に至つては全く知らない。何故《なぜ》その女が候補者に立つたと云ふ因念になると又能く知つて居る。

三の七

 代助の父《ちゝ》には一人《ひとり》の兄《あに》があつた。直記《なほき》と云つて、父《ちゝ》とはたつた一つ違ひの年上《としうへ》だが、父《ちゝ》よりは小柄《こがら》なうへに、顔付《かほつき》眼鼻立《めはなだち》が非常に似《に》てゐたものだから、知らない人には往々|双子《ふたご》と間違へられた。其折は父も得《とく》とは云はなかつた。誠之進といふ幼名で通《とほ》つてゐた。
 直記《なほき》と誠之進とは外貌のよく似てゐた如く、気質《きだて》も本当の兄弟であつた。両方に差支のあるときは特別、都合さへ付けば、同じ所に食《く》つ付き合つて、同じ事をして暮してゐた。稽古も同時同刻に往き返りをする。読書にも一つ燈火《ともしび》を分つた位|親《した》しかつた。
 丁度|直記《なほき》の十八の秋《あき》であつた。ある時|二人《ふたり》は城下外《じやうかはづれ》の等覚寺といふ寺へ親《おや》の使に行つた。これは藩主の菩提寺で、そこにゐる楚水といふ坊さんが、二人《ふたり》の親《おや》とは昵近《じつこん》なので、用の手紙を、此楚水さんに渡しに行つたのである。用は囲碁の招待か何かで返事にも及ばない程簡略なものであつたが、楚水さんに留《と》められて、色々話してゐるうちに遅《おそ》くなつて、日の暮れる一時間程前に漸く寺を出た。その日は何か祭のある折で、市中《しちう》は大分雑沓してゐた。二人《ふたり》は群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲らうとする角《かど》で、川向ひの方限《ほうぎ》りの某《なにがし》といふものに突き当つた。此|某《なにがし》と二人《ふたり》とは、かねてから仲《なか》が悪《わる》かつた。其時|某《なにがし》は大分酒気を帯びてゐたと見えて、二言三言《ふたことみこと》いひ争ふうちに刀《かたな》を抜《ぬ》いて、いきなり斬り付《つ》けた。斬り付《つ》けられた方は兄《あに》であつた。已を得ず是も腰の物を抜《ぬ》いて立ち向つたが、相手は平生から極めて評判のわるい乱暴もの丈あつて、酩酊してゐるにも拘はらず、強かつた。黙《だま》つてゐれば兄の方が負ける。そこで弟も刀を抜いた。さうして二人《ふたり》で滅茶苦茶に相手を斬り殺して仕舞つた。
 其|頃《ころ》の習慣として、侍《さむらひ》が侍《さむらひ》を殺せば、殺した方が切腹をしなければならない。兄弟は其覚悟で家《うち》へ帰つて来《き》た。父《ちゝ》も二人《ふたり》を並べて置いて順々に自分で介錯をする気であつた。所が母《はゝ》が生憎|祭《まつり》で知己《ちかづき》の家《うち》へ呼《よ》ばれて留守である。父は二人《ふたり》に切腹をさせる前、もう一遍|母《はゝ》に逢《あ》はしてやりたいと云ふ人情から、すぐ母《はゝ》を迎にやつた。さうして母の来《く》る間《あひだ》、二人《ふたり》に訓戒を加へたり、或は切腹する座敷の用意をさせたり可成愚図々々してゐた。
 母《はゝ》の客に行つてゐた所は、その遠縁《とほえん》にあたる高木《たかぎ》といふ勢力家であつたので、大変都合が好《よ》かつた。と云ふのは、其頃は世の中《なか》の動《うご》き掛けた当時で、侍《さむらひ》の掟《おきて》も昔の様には厳重に行はれなかつた。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であつた。ので高木は母とともに長井の家《いへ》へ来《き》て、何分の沙汰が公向《おもてむき》からある迄は、当分其儘にして、手を着けずに置くやうにと、父を諭《さと》した。
 高木はそれから奔走を始めた。さうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺された某《なにがし》の親《おや》は又、存外訳の解《わか》つた人で、平生から倅《せがれ》の行跡《ぎやうせき》の良くないのを苦に病んでゐたのみならず、斬り付けた当時も、此方《こつち》から狼藉をしかけたと同然であるといふ事が明瞭になつたので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかつた。兄弟はしばらく一間《ひとま》の内《うち》に閉ぢ籠つて、謹慎の意を表して後、二人《ふたり》とも人《ひと》知れず家《いへ》を捨《す》てた。
 三年の後|兄《あに》は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となつた。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。さうして妻を迎へて、得《とく》といふ一字|名《な》になつた。其時は自分の命《いのち》を助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になつてゐた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思つて色々勧めて見たが応じなかつた。此養子に子供が二人《ふたり》あつて、男の方は京都へ出て同志社へ這入《はい》つた。其所《そこ》を卒業してから、長らく亜米利加に居つたさうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になつてゐる。女の方は県下の多額納税者の所へ嫁《よめ》に行つた。代助の細君の候補者といふのは此多額納税者の娘である。
「大変込み入つてるのね。私《わたし》驚ろいちまつた」と嫂《あによめ》が代助に云つた。
「御父《おとう》さんから何返も聞いてるぢやありませんか」
「だつて、何時《いつ》もは御|嫁《よめ》の話《はなし》が出《で》ないから、好《い》い加減に聞いてるのよ」
「佐川《さがは》にそんな娘があつたのかな。僕も些《ち》つとも知らなかつた」
「御貰《おもらひ》なさいよ」
「賛成なんですか」
「賛成ですとも。因念つきぢやありませんか」
「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰ふ方が貰《もら》ひ好《い》い様だな」
「おや、左様《そん》なのがあるの」
 代助は苦笑して答へなかつた。

四の一

 代助は今読み切《き》つた許《ばかり》の薄《うす》い洋書を机の上に開《あ》けた儘、両|肱《ひぢ》を突《つ》いて茫乎《ぼんやり》考へた。代助の頭《あたま》は最後の幕《まく》で一杯になつてゐる。――遠くの向ふに寒《さむ》さうな樹が立つてゐる後《うしろ》に、二つの小さな角燈が音《おと》もなく揺《ゆら》めいて見えた。絞首台は其所《そこ》にある。刑人は暗《くら》い所に立つた。木履《くつ》を片足《かたあし》失《な》くなした、寒《さむ》いと一人《ひとり》が云ふと、何《なに》を? と一人《ひとり》が聞き直《なほ》した。木履《くつ》を失《な》くなして寒いと前《まへ》のものが同じ事を繰り返した。Mは何処《どこ》にゐると誰《だれ》か聞いた。此所《こゝ》にゐると誰《だれ》か答へた。樹《き》の間《あひだ》に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿《しめ》つぽい風《かぜ》が其所《そこ》から吹いて来《く》る。海だとGが云つた。しばらくすると、宣告文を書《か》いた紙《かみ》と、宣告文を持つた、白い手――手套《てぶくろ》を穿《は》めない――を角燈が照《て》らした。読上《よみあ》げんでも可《よ》からうといふ声がした。其の声は顫へてゐた。やがて角燈が消えた。……もう只《たつた》一人《ひとり》になつたとKが云つた。さうして溜息《ためいき》を吐《つ》いた。Sも死んで仕舞つた。Wも死んで仕舞つた。Mも死んで仕舞つた。只《たつた》一人《ひとり》になつて仕舞つた。……
 海から日《ひ》が上《あが》つた。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。さうして引き出した。長くなつた頸《くび》、飛び出《だ》した眼《め》、唇《くちびる》の上《うへ》に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡《あは》に濡《ぬ》れた舌《した》を積み込んで元《もと》の路へ引き返した。……
 代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所《こゝ》迄|頭《あたま》の中《なか》で繰り返して見て、竦《ぞつ》と肩《かた》を縮《すく》めた。斯《か》う云ふ時に、彼《かれ》が尤も痛切に感《かん》ずるのは、万一自分がこんな場に臨《のぞ》んだら、どうしたら宜からうといふ心配である。考へると到底死ねさうもない。と云つて、無理にも殺されるんだから、如何《いか》にも残酷である。彼は生《せい》の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練《みれん》に両方に往つたり来《き》たりする苦悶を心に描《ゑが》き出しながら凝《じつ》と坐《すは》つてゐると、脊中《せなか》一面《いちめん》の皮《かは》が毛穴《けあな》ごとにむづ/\して殆《ほと》んど堪《たま》らなくなる。
 彼《かれ》の父《ちゝ》は十七のとき、家中《かちう》の一人《ひとり》を斬り殺して、それが為《た》め切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語《かた》つてゐる。父《ちゝ》の考では兄《あに》の介錯を自分がして、自分の介錯を祖父《ぢゞ》に頼む筈であつたさうだが、能くそんな真似が出来るものである。父《ちゝ》が過去を語《かた》る度《たび》に、代助は父《ちゝ》をえらいと思ふより、不愉快な人間《にんげん》だと思ふ。さうでなければ嘘吐《うそつき》だと思ふ。嘘吐《うそつき》の方がまだ余っ程|父《ちゝ》らしい気がする。
 父許《ちゝばかり》ではない。祖父《ぢゞ》に就ても、こんな話がある。祖父《ぢゞ》が若い時分、撃剣の同門の何とかといふ男が、あまり技芸に達してゐた所から、他《ひと》の嫉妬《ねたみ》を受けて、ある夜縄手|道《みち》を城下へ帰る途中で、誰《だれ》かに斬り殺された。其時第一に馳け付《つ》けたものは祖父《ぢゞ》であつた。左の手に提灯を翳《かざ》して、右の手に抜身《ぬきみ》を持つて、其|抜身《ぬきみ》で死骸《しがい》を叩きながら、軍平《ぐんぺい》確《しつ》かりしろ、創《きづ》は浅《あさ》いぞと云つたさうである。
 伯父《おぢ》が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどや/\と、旅宿《やどや》に踏み込まれて、伯父は二階の廂《ひさし》から飛び下《お》りる途端、庭石に爪付《つまづ》いて倒れる所を上《うへ》から、容赦なく遣《や》られた為に、顔が膾《なます》の様になつたさうである。殺される十日|程《ほど》前、夜中《やちう》、合羽《かつぱ》を着《き》て、傘《かさ》に雪を除《よ》けながら、足駄《あしだ》がけで、四条から三条へ帰つた事がある。其時|旅宿《やど》の二丁程手前で、突然《とつぜん》後《うしろ》から長井|直記《なほき》どのと呼び懸けられた。伯父《おぢ》は振り向きもせず、矢張り傘《かさ》を差《さ》した儘、旅宿《やど》の戸口《とぐち》迄|来《き》て、格子《こうし》を開《あ》けて中《なか》へ這入《はいつ》た。さうして格子をぴしやりと締《し》めて、中《うち》から、長井|直記《なほき》は拙者だ。何御用か。と聞いたさうである。
 代助は斯んな話を聞く度《たび》に、勇《いさ》ましいと云ふ気持よりも、まづ怖い方が先に立《た》つ。度胸を買つてやる前に、腥《なま》ぐさい臭《にほひ》が鼻柱《はなばしら》を抜ける様に応《こた》へる。
 もし死が可能であるならば、それは発作《ほつさ》の絶高頂に達した一瞬にあるだらうとは、代助のかねて期待する所である。所が、彼は決して発作《ほつさ》性の男でない。手も顫《ふる》へる、足も顫《ふる》へる。声の顫《ふる》へる事や、心臓の飛び上《あ》がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆んどない。激すると云ふ心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびに死《し》に易くなるのは眼《め》に見えてゐるから、時には好奇心で、せめて、其近所迄押し寄せて見《み》たいと思ふ事もあるが、全く駄目である。代助は此頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、丸で違《ちが》つてゐるのに驚ろかずにはゐられない。

四の二

 代助は机の上の書物を伏せると立ち上《あ》がつた。縁側《えんがは》の硝子戸《がらすど》を細目《ほそめ》に開《あ》けた間《あひだ》から暖《あたゝ》かい陽気な風が吹き込んで来《き》た。さうして鉢植のアマランスの赤い瓣《はなびら》をふら/\と揺《うご》かした。日《ひ》は大きな花の上《うへ》に落ちてゐる。代助は曲《こゞ》んで、花の中《なか》を覗《のぞ》き込んだ。やがて、ひよろ長い雄|蕊《ずゐ》の頂《いたゞ》きから、花粉《くわふん》を取つて、雌蕊《しずゐ》の先《さき》へ持つて来《き》て、丹念《たんねん》に塗《ぬ》り付《つ》けた。
「蟻《あり》でも付《つ》きましたか」と門野《かどの》が玄関の方から出《で》て来《き》た。袴《はかま》を穿《は》いてゐる。代助は曲《こゞ》んだ儘顔を上《あ》げた。
「もう行《い》つて来《き》たの」
「えゝ、行《い》つて来《き》ました。何《なん》ださうです。明日《あした》御引移《おひきうつ》りになるさうです。今日《けふ》是から上《あ》がらうと思つてた所だと仰《おつ》しやいました」
「誰《だれ》が? 平岡が?」
「えゝ。――どうも何《なん》ですな。大分御|忙《いそ》がしい様ですな。先生た余つ程|違《ちが》つてますね。――蟻なら種油《たねあぶら》を御注《おつ》ぎなさい。さうして苦《くる》しがつて、穴から出《で》て来《く》る所を一々《いち/\》殺すんです。何なら殺《ころ》しませうか」
「蟻ぢやない。斯《か》うして、天気の好《い》い時に、花粉を取《と》つて、雌蕊《しずゐ》へ塗り付《つ》けて置くと、今に実《み》が結《な》るんです。暇《ひま》だから植木屋から聞《き》いた通り、遣《や》つてる所だ」
「なある程。どうも重宝な世の中《なか》になりましたね。――然し盆栽は好《い》いもんだ。奇麗で、楽しみになつて」
 代助は面倒臭《めんどくさ》いから返事をせずに黙つてゐた。やがて、
「悪戯《いたづら》も好加減《いゝかげん》に休《よ》すかな」と云ひながら立ち上《あ》がつて、縁側へ据付《すゑつけ》の、籐《と》の安楽|椅子《いす》に腰を掛けた。夫れ限《ぎ》りぽかんと何か考へ込んでゐる。門野《かどの》は詰《つま》らなくなつたから、自分の玄関|傍《わき》の三畳|敷《じき》へ引き取つた。障|子《じ》を開《あ》けて這入らうとすると、又縁側へ呼び返《かへ》された。
「平岡が今日《けふ》来《く》ると云つたつて」
「えゝ、来《く》る様な御話しでした」
「ぢや待《ま》つてゐやう」
 代助は外出を見合せた。実は平岡の事が此間《このあひだ》から大分気に掛《かゝ》つてゐる。
 平岡は此前《このぜん》、代助を訪問した当時、既《すで》に落ち付《つ》いてゐられない身分であつた。彼《かれ》自身の代助に語つた所によると、地位の心当りが二三ヶ所あるから、差し当り其方面へ運動して見る積りなんださうだが、其二三ヶ所が今どうなつてゐるか、代助は殆んど知らない。代助の方から神保町の宿《やど》を訪《たづ》ねた事が二返あるが、一度は留守であつた。一度は居つたには居《お》つた。が、洋服を着《き》た儘、部屋《へや》の敷居《しきゐ》の上に立つて、何《なに》か急《せわ》しい調子で、細君を極《き》め付《つ》けてゐた。――案内なしに廊下を伝《つた》つて、平岡の部屋の横《よこ》へ出《で》た代助には、突然ながら、たしかに左様《さう》取れた。其時平岡は一寸《ちよつと》振り向《む》いて、やあ君かと云つた。其顔にも容子にも、少しも快《こゝろ》よさゝうな所は見えなかつた。部屋の内《なか》から顔を出した細君は代助を見て、蒼白《あをじろ》い頬《ほゝ》をぽつと赤くした。代助は何となく席に就《つ》き悪《にく》くなつた。まあ這入れと申し訳に云ふのを聞き流して、いや別段用ぢやない。何《ど》うしてゐるかと思つて一寸《ちよつと》来《き》て見た丈だ。出掛《でか》けるなら一所に出様《でやう》と、此方《こつち》から誘ふ様にして表《おもて》へ出《で》て仕舞つた。
 其時平岡は、早く家《いへ》を探《さが》して落ち付きたいが、あんまり忙《いそが》しいんで、何《ど》うする事も出来ない、たまに宿《やど》のものが教へてくれるかと思ふと、まだ人が立ち退《の》かなかつたり、あるひは今|壁《かべ》を塗《ぬ》つてる最中《さいちう》だつたりする。などと、電車へ乗つて分れる迄諸事苦情づくめであつた。代助も気の毒になつて、そんなら家《いへ》は、宅《うち》の書生に探《さが》させやう。なに不景気だから、大分|空《あ》いてるのがある筈だ。と請合《うけあ》つて帰つた。
 夫《それ》から約束通り門野《かどの》を探《さが》しに出《だ》した。出《だ》すや否や、門野はすぐ恰好《かつこう》なのを見付けて来《き》た。門野《かどの》に案内をさせて平岡夫婦に見せると、大抵|可《よ》からうと云ふ事で分《わか》れたさうだが、門野《かどの》は家主《いへぬし》の方へ責任もあるし、又|其所《そこ》が気に入らなければ外《ほか》を探《さが》す考もあるからと云ふので、借りるか借りないか判然《はつきり》した所を、もう一遍確かめさしたのである。
「君、家主《いへぬし》の方へは借《か》りるつて、断わつて来《き》たんだらうね」
「えゝ、帰りに寄《よ》つて、明日《あした》引越すからつて、云つて来《き》ました」

四の三

 代助は椅子に腰《こし》を掛《か》けた儘、新《あた》らしく二度の世帯《しよたい》を東京に持つ、夫婦の未来を考へた。平岡は三年前新橋で分れた時とは、もう大分変つてゐる。彼《かれ》の経歴は処世の階子段《はしごだん》を一二段で踏《ふ》み外《はづ》したと同じ事である。まだ高い所へ上《のぼ》つてゐなかつた丈が、幸《さひはひ》と云へば云ふ様なものゝ、世間の眼《め》に映ずる程、身体《からだ》に打撲《だぼく》を受けてゐないのみで、其実精神状態には既に狂ひが出来てゐる。始めて逢つた時、代助はすぐ左様《さう》思つた。けれども、三年間に起つた自分の方の変化を打算《ださん》して見て、或は此方《こつち》の心《こゝろ》が向《むかふ》に反響を起したのではなからうかと訂正した。が、其後《そのご》平岡の旅宿へ尋ねて行つて、座敷へも這入らないで一所に外《そと》へ出《で》た時の、容子から言語動作を眼の前に浮べて見ると、どうしても又最初の判断に戻《もど》らなければならなくなつた。平岡は其時|顔《かほ》の中心《ちうしん》に一種の神経を寄せてゐた。風《かぜ》が吹《ふ》いても、砂《すな》が飛《と》んでも、強い刺激を受けさうな眉《まゆ》と眉《まゆ》の継目《つぎめ》を、憚《はゞか》らず、ぴくつかせてゐた。さうして、口《くち》にする事《こと》が、内容の如何に関はらず、如何にも急《せわ》しなく、且つ切《せつ》なさうに、代助の耳《みゝ》に響《ひゞ》いた。代助には、平岡の凡てが、恰も肺の強くない人の、重苦《おもくる》しい葛湯《くづゆ》の中《なか》を片息《かたいき》で泳《およ》いでゐる様に取れた。
「あんなに、焦《あせ》つて」と、電車へ乗つて飛んで行く平岡の姿《すがた》を見送つた代助は、口《くち》の内《うち》でつぶやいだ。さうして旅宿に残されてゐる細君の事を考へた。
 代助は此細君を捕《つら》まへて、かつて奥さんと云つた事がない。何時《いつ》でも三千代《みちよ》さん/\と、結婚しない前の通りに、本名《ほんみよう》を呼《よ》んでゐる。代助は平岡に分《わか》れてから又引き返して、旅宿《りよしゆく》へ行つて、三千代《みちよ》さんに逢つて話《はな》しをしやうかと思つた。けれども、何《なん》だか行《ゆ》けなかつた。足《あし》を停《と》めて思案《しあん》しても、今の自分には、行くのが悪《わる》いと云ふ意味はちつとも見出《みいだ》せなかつた。けれども、気《き》が咎《とが》めて行《い》かれなかつた。勇気を出《だ》せば行《い》かれると思つた。たゞ代助には是丈の勇気を出すのが苦痛であつた。夫《それ》で家《うち》へ帰つた。其代り帰つても、落《お》ち付《つ》かない様な、物足《ものた》らない様な、妙な心持がした。ので、又|外《そと》へ出《で》て酒を飲《の》んだ。代助は酒をいくらでも飲む男である。ことに其晩はしたゝかに飲んだ。
「あの時は、何《ど》うかしてゐたんだ」と代助は椅子に倚《よ》りながら、比較的|冷《ひや》やかな自己で、自己の影を批判した。
「何《なに》か御用ですか」と門野《かどの》が又|出《で》て来《き》た。袴《はかま》を脱《ぬ》いで、足袋《たび》を脱《ぬ》いで、団子《だんご》の様な素足《すあし》を出《だ》してゐる。代助は黙《だま》つて門野《かどの》の顔《かほ》を見た。門野《かどの》も代助の顔を見て、一寸《ちよつと》の間《あひだ》突立《つゝた》つてゐた。
「おや、御呼《および》になつたんぢやないですか。おや、おや」と云つて引込んで行つた。代助は別段|可笑《おか》しいとも思はなかつた。
「小母《おば》さん、御呼《およ》びになつたんぢやないとさ。何《ど》うも変だと思つた。だから手も何も鳴らないつて云ふのに」といふ言葉が茶の間《ま》の方で聞《きこ》えた。夫から門野《かどの》と婆《ばあ》さんの笑ふ声がした。
 其時、待ち設けてゐる御客が来《き》た。取次《とりつぎ》に出《で》た門野《かどの》は意外な顔をして這入つて来《き》た。さうして、其顔を代助の傍《そば》迄持つて来《き》て、先生、奥さんですと囁《さゝ》やく様に云つた。代助は黙《だま》つて椅子を離れて坐敷へ這入つた。

四の四

 平岡の細君は、色の白い割に髪《かみ》の黒い、細面《ほそおもて》に眉毛《まみへ》の判然《はつきり》映《うつ》る女である。一寸《ちよつと》見ると何所《どこ》となく淋《さみ》しい感じの起る所が、古版《こはん》の浮世絵に似てゐる。帰京後は色光沢《いろつや》がことに可《よ》くないやうだ。始めて旅宿で逢つた時、代助は少《すこ》し驚ろいた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思つて、聞いて見たら、左様《さう》ぢやない、始終|斯《か》うなんだと云はれた時は、気の毒になつた。
 三千代《みちよ》は東京を出《で》て一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶら/\してゐたが、何《ど》うしても、はか/″\しく癒らないので、仕舞に医者に見て貰《もら》つたら、能《よ》くは分《わか》らないが、ことに依《よ》ると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた。もし左様《さう》だとすれば、心臓から動脈へ出《で》る血《ち》が、少しづゝ、後戻《あともど》りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来る丈養生に手を尽した所為《せゐ》か、一年許りするうちに、好《い》い案排《あんばい》に、元気が滅切《めつき》りよくなつた。色光沢《いろつや》も殆んど元《もと》の様に冴々《さえ/″\》して見える日が多いので、当人も喜《よろ》こんでゐると、帰る一ヶ月ばかり前から、又|血色《けつしよく》が悪くなり出《だ》した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為《ため》ではない。心臓は、夫程丈夫にもならないが、決して前よりは悪《わる》くなつてゐない。弁《べん》の作用に故障があるものとは、今は決して認められないといふ診断であつた。――是は三千代が直《ぢか》に代助に話《はな》した所である。代助は其時三千代の顔を見て、矢っ張り何か心配の為《ため》ぢやないかしらと思つた。
 三千代《みちよ》は美《うつ》くしい線《せん》を奇麗に重ねた鮮《あざや》かな二重瞼《ふたへまぶた》を持つてゐる。眼《め》の恰好は細長い方であるが、瞳《ひとみ》を据ゑて凝《じつ》と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼《くろめ》の働らきと判断してゐた。三千代《みちよ》が細君にならない前、代助はよく、三千代《みちよ》の斯《か》う云ふ眼遣《めづかひ》を見た。さうして今でも善《よ》く覚えてゐる。三千代《みちよ》の顔を頭《あたま》の中《なか》に浮《うか》べやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来|上《あが》らないうちに、此|黒《くろ》い、湿《うる》んだ様に暈《ぼか》された眼《め》が、ぽつと出《で》て来《く》る。
 廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代《みちよ》は今代助の前に腰《こし》を掛けた。さうして奇麗な手を膝《ひざ》の上《うへ》に畳《かさ》ねた。下《した》にした手にも指輪《ゆびわ》を穿《は》めてゐる。上《うへ》にした手にも指輪《ゆびわ》を穿《は》めてゐる。上《うへ》のは細い金《きん》の枠《わく》に比較的大きな真珠《しんじゆ》を盛《も》つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。
 三千代《みちよ》は顔《かほ》を上《あ》げた。代助は、突然《とつぜん》例の眼《め》を認《みと》めて、思はず瞬《またゝき》を一つした。
 汽車で着いた明日《あくるひ》平岡と一所に来《く》る筈であつたけれども、つい気分が悪《わる》いので、来損《きそく》なつて仕舞つて、それからは一人《ひとり》でなくつては来《く》る機会がないので、つい出《で》ずにゐたが、今日《けふ》は丁度、と云ひかけて、句を切つて、それから急に思ひ出した様に、此間|来《き》て呉れた時は、平岡が出掛際《でかけぎは》だつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様な詫《わび》をして、
「待《ま》つてゐらつしやれば可《よ》かつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた。けれども其調子は沈んでゐた。尤も是《これ》は此女の持《もち》調子で、代助は却つて其昔を憶《おも》ひ出《だ》した。
「だつて、大変|忙《いそが》しさうだつたから」
「えゝ、忙《いそが》しい事は忙《いそが》しいんですけれども――好《い》いぢやありませんか。居《ゐ》らしつたつて。あんまり他人行儀ですわ」
 代助は、あの時、夫婦の間に何があつたか聞いて見様と思つたけれども、まづ已めにした。例《いつも》なら調戯《からかひ》半分に、あなたは何か叱《しか》られて、顔《かほ》を赤くしてゐましたね、どんな悪《わる》い事をしたんですか位言ひかねない間柄《あひだがら》なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後《あと》から其場《そのば》を取り繕ふ様に、いたましく聞えたので、冗談を云ひ募る元気も一寸《ちよつと》出《で》なかつた。

四の五

 代助は烟草《たばこ》へ火《ひ》を点《つ》けて、吸口《すひくち》を啣《くわ》へた儘、椅子の脊《せ》に頭《あたま》を持《も》たせて、寛《くつ》ろいだ様に、
「久し振《ぶ》りだから、何か御馳走しませうか」と聞《き》いた。さうして心《こゝろ》のうちで、自分の斯う云ふ態度が、幾分か此女の慰藉になる様に感じた。三千代は、
「今日《けふ》は沢山《たくさん》。さう緩《ゆつく》りしちやゐられないの」と云つて、昔《むかし》の金歯《きんば》を一寸《ちょつと》見せた。
「まあ、可《い》いでせう」
 代助は両手を頭《あたま》の後《うしろ》へ持《も》つて行つて、指《ゆび》と指《ゆび》を組み合せて三千代を見た。三千代はこゞんで帯の間《あひだ》から小さな時計を出《だ》した。代助が真珠の指輪を此女に贈《おくり》ものにする時、平岡は此時計を妻に買つて遣《や》つたのである。代助は、一つ店《みせ》で別々《べつ/\》の品物《しなもの》を買つた後《あと》、平岡と連《つ》れ立《だ》つて其所《そこ》の敷居《しきゐ》を跨《また》ぎながら互に顔を見合せて笑つた事を記憶してゐる。
「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思つてたら。――少し寄り道《みち》をしてゐたものだから」
と独り言《ごと》の様に説明を加へた。
「そんなに急《いそ》ぐんですか」
「えゝ、成《な》り丈《たけ》早く帰りたいの」
 代助は頭《あたま》から手《て》を放《はな》して、烟草《たばこ》の灰をはたき落した。
「三年《さんねん》のうちに大分《だいぶ》世帯染《しよたいじみ》ちまつた。仕方《しかた》がない」
 代助は笑つて斯う云つた。けれども其調子には何処《どこ》かに苦《にが》い所があつた。
「あら、だつて、明日《あした》引越《ひつこ》すんぢやありませんか」
 三千代《みちよ》の声は、此時《このとき》急に生々《いき/\》と聞《きこ》えた。代助は引越《ひつこし》の事を丸で忘れてゐた。
「ぢや引越《ひつこ》してから緩《ゆつ》くり来《く》れば可《い》いのに」
 代助は相手の快《こゝろ》よささうな調子に釣り込まれて、此方《こつち》からも他愛《たあい》なく追窮した。
「でも」と云つた、三千代は少し挨拶に困つた色を、額《ひたひ》の所へあらはして、一寸《ちょつと》下《した》を見たが、やがて頬《ほゝ》を上《あ》げた。それが薄赤く染《そ》まつて居た。
「実《じつ》は私《わたくし》少し御願《おねがひ》があつて上《あ》がつたの」
 疳《かん》の鋭どい代助は、三千代の言葉を聞くや否や、すぐ其用事の何であるかを悟つた。実は平岡が東京へ着いた時から、いつか此問題に出逢ふ事だらうと思つて、半意識《はんいしき》の下《した》で覚悟してゐたのである。
「何ですか、遠慮なく仰しやい」
「少し御金《おかね》の工面《くめん》が出来《でき》なくつて?」
 三千代の言葉《ことば》は丸で子供の様に無邪気であるけれども、両方の頬《ほゝ》は矢つ張り赤くなつてゐる。代助は、此女に斯んな気恥《きは》づかしい思ひをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思つた。
 段々聞いて見ると、明日《あした》引越をする費用や、新らしく世帯を持つ為《た》めの金《かね》が入用なのではなかつた。支店の方を引き上《あ》げる時、向ふへ置き去《ざ》りにして来《き》た借金が三口《みくち》とかあるうちで、其|一口《ひとくち》を是非片付けなくてはならないのださうである。東京へ着《つ》いたら一週間うちに、どうでもすると云ふ堅《かた》い約束をして来《き》た上《うへ》に、少し訳があつて、他《ほか》の様に放《ほう》つて置《お》けない性質《たち》のものだから、平岡も着《つ》いた明日《あくるひ》から心配して、所々奔走してゐるけれども、まだ出来さうな様子が見えないので、已を得ず三千代に云ひ付けて代助の所に頼みに寄《よこ》したと云ふ事が分《わか》つた。
「支店長から借りたと云ふ奴《やつ》ですか」
「いゝえ。其方《そのほう》は何時《いつ》迄延ばして置いても構はないんですが、此方《こつち》の方を何《ど》うかしないと困るのよ。東京で運動する方に響《ひゞ》いて来《く》るんだから」
 代助は成程そんな事があるのかと思つた。金高《かねだか》を聞くと五百円と少し許である。代助はなんだ其位と腹の中《なか》で考へたが、実際自分は一文もない。代助は、自分が金《かね》に不自由しない様でゐて、其実大いに不自由してゐる男だと気が付いた。
「何《なん》でまた、そんなに借金をしたんですか」
「だから私《わたくし》考へると厭《いや》になるのよ。私《わたくし》も病気をしたのが、悪《わる》いには悪《わる》いけれども」
「病気の時の費用なんですか」
「ぢやないのよ。薬代《くすりだい》なんか知れたもんですわ」
 三千代は夫《それ》以上を語《かた》らなかつた。代助も夫《それ》以上を聞く勇気がなかつた。たゞ蒼白《あをしろ》い三千代の顔を眺めて、その中《うち》に、漠然たる未来の不安を感じた。

五の一

 翌日《よくじつ》朝《あさ》早《はや》く門野《かどの》は荷車《にぐるま》を三台|雇《やと》つて、新橋の停車場《ていしやば》迄平岡の荷物《にもつ》を受取《うけと》りに行《い》つた。実は疾《と》うから着《つ》いて居たのであるけれども、宅《うち》がまだ極《きま》らないので、今日《けふ》迄其儘にしてあつたのである。往復の時間と、向ふで荷物を積み込む時間を勘定して見ると、何《ど》うしても半日仕事である。早く行かなけりや、間《ま》に合はないよと代助は寐床を出るとすぐ注意した。門野《かどの》は例の調子で、なに訳《わけ》はありませんと答へた。此男は、時間の考などは、あまりない方だから、斯う簡便な返事が出来たんだが、代助から説明を聞いて始めて成程と云ふ顔をした。それから荷物を平岡の宅《うち》へ届《とゞ》けた上に、万事奇麗に片付く迄手伝をするんだと云はれた時は、えゝ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行つた。
 それから十一時|過《すぎ》迄代助は読書してゐた。が不図ダヌンチオと云ふ人が、自分の家《いへ》の部屋《へや》を、青色《あをいろ》と赤色《あかいろ》に分《わか》つて装飾してゐると云ふ話を思ひ出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、此二色に外《ほか》ならんと云ふ点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、即ち音楽室とか書斎とか云ふものは、成るべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする。と云ふのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。
 代助は何故《なぜ》ダヌンチオの様な刺激を受け易い人に、奮興色とも見傚し得べき程強烈な赤《あか》の必要があるだらうと不思議に感じた。代助自身は稲荷の鳥居を見ても余り好《い》い心持はしない。出来得るならば、自分の頭《あたま》丈でも可《い》いから、緑《みどり》のなかに漂はして安らかに眠りたい位である。いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる脊の高い女を画《か》いた。代助は多くの出品のうちで、あれ丈が好《い》い気持に出来てゐると思つた。つまり、自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつたからである。
 代助は縁側へ出て、庭《には》から先《さき》にはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散つて、今は新芽《しんめ》若葉《わかば》の初期である。はなやかな緑《みどり》がぱつと顔《かほ》に吹き付けた様な心持ちがした。眼《め》を醒《さま》す刺激の底《そこ》に何所《どこ》か沈《しづ》んだ調子のあるのを嬉しく思ひながら、鳥打《とりうち》帽を被《かむ》つて、銘仙《めいせん》の不断|着《ぎ》の儘|門《もん》を出《で》た。
 平岡の新宅へ来て見ると、門《もん》が開《あ》いて、がらんとしてゐる丈で、荷物の着《つ》いた様子もなければ、平岡夫婦の来《き》てゐる気色も見えない。たゞ車夫体の男が一人《ひとり》縁側に腰を懸《か》けて烟草を呑んでゐた。聞いて見ると、先刻《さつき》一返|御出《おいで》になりましたが、此案排ぢや、どうせ午過《ひるすぎ》だらうつて又御帰りになりましたといふ答である。
「旦那と奥さんと一所に来《き》たかい」
「えゝ御一所です」
「さうして一所に帰つたかい」
「えゝ御一所に御帰りになりました」
「荷物もそのうち着《つ》くだらう。御苦労さま」と云つて、又通りへ出《で》た。
 神田へ来《き》たが、平岡の旅館へ寄る気はしなかつた。けれども二人《ふたり》の事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸《ちょつと》顔《かほ》を出《だ》した。夫婦は膳《ぜん》を並《なら》べて飯《めし》を食《く》つてゐた。下女《げじよ》が盆《ぼん》を持《も》つて、敷居に尻《しり》を向けてゐる。其|後《うしろ》から、声を懸けた。
 平岡は驚ろいた様に代助を見た。其眼《そのめ》が血ばしつてゐる。二三日|能《よ》く眠《ねむ》らない所為《せゐ》だと云ふ。三千代は仰山なものゝ云ひ方《かた》だと云つて笑つた。代助は気の毒にも思つたが、又安心もした。留《と》めるのを外《そと》へ出《で》て、飯《めし》を食つて、髪《かみ》を刈つて、九段の上《うへ》へ一寸《ちょつと》寄つて、又帰りに新|宅《たく》へ行つて見た。三千代は手拭を姉《ねえ》さん被《かぶ》りにして、友禅の長繻絆をさらりと出して、襷《たすき》がけで荷物の世話を焼《や》いてゐた。旅宿で世話をして呉れたと云ふ下女も来《き》てゐる。平岡は縁側で行李の紐《ひも》を解いてゐたが、代助を見て、笑ひながら、少し手伝《てつだ》はないかと云つた。門野《かどの》は袴を脱《ぬ》いで、尻《しり》を端折つて、重《かさ》ね箪笥を車夫と一所に坐敷へ抱《かゝ》へ込みながら、先生どうです、此|服装《なり》は、笑《わら》つちや不可《いけ》ませんよと云つた。

五の二

 翌日《よくじつ》、代助が朝食《あさめし》の膳《ぜん》に向《むか》つて、例の如く紅茶を呑《の》んでゐると、門野《かどの》が、洗《あら》ひ立《た》ての顔《かほ》を光《ひか》らして茶の間《ま》へ這入つて来《き》た。
「昨夕《ゆふべ》は何時《いつ》御帰《おかへ》りでした。つい疲《つか》れちまつて、仮寐《うたゝね》をしてゐたものだから、些《ちつ》とも気が付きませんでした。――寐《ね》てゐる所を御覧になつたんですか、先生も随分|人《ひと》が悪《わる》いな。全体何時|頃《ごろ》なんです、御帰りになつたのは。夫迄《それまで》何所《どこ》へ行《い》つて居《ゐ》らしつた」と平生《いつも》の調子で苦《く》もなく※[#「口+堯」、71-2]舌《しやべ》り立てた。代助は真面目《まじめ》で、
「君、すつかり片付迄《かたづくまで》居《ゐ》て呉《く》れたんでせうね」と聞いた。
「えゝ、すつかり片付《かたづ》けちまいました。其代り、何《ど》うも骨《ほね》が折れましたぜ。何《なに》しろ、我々の引越《ひつこし》と違《ちが》つて、大きな物が色々《いろ/\》あるんだから。奥《おく》さんが坐敷《ざしき》の真中《まんなか》へ立《た》つて、茫然《ぼんやり》、斯《か》う周囲《まはり》を見回《みまは》してゐた様子《やうす》つたら、――随分|可笑《おかし》なもんでした」
「少《すこ》し身体《からだ》の具合が悪《わる》いんだからね」
「どうも左様《さう》らしいですね。色《いろ》が何《なん》だか可《よ》くないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格は好《い》いですね。昨夕《ゆふべ》一所に湯《ゆ》に入つて驚ろいた」
 代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本|書《か》いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人|宛《あて》で、先達《せんだつ》て送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿《あねむこ》宛で、タナグラの安いのを見付《みつ》けて呉れといふ依頼である。
 昼過《ひるすぎ》散歩の出掛《でが》けに、門野《かどの》の室《へや》を覗《のぞ》いたら又|引繰《ひつく》り返つて、ぐう/\寐てゐた。代助は門野《かどの》の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた。実を云ふと、自分は昨夕《ゆふべ》寐《ね》つかれないで大変難義したのである。例に依《よ》つて、枕《まくら》の傍《そば》へ置《お》いた袂《たもと》時計が、大変大きな音《おと》を出《だ》す。夫《それ》が気になつたので、手を延《の》ばして、時計を枕《まくら》の下《した》へ押し込んだ。けれども音《おと》は依然として頭《あたま》の中《なか》へ響《ひゞ》いて来《く》る。其音《そのおと》を聞《き》きながら、つい、うと/\する間《ま》に、凡ての外《ほか》の意識は、全く暗窖《あんこう》の裡《うち》に降下《こうか》した。が、たゞ独り夜《よる》を縫《ぬ》ふミシンの針《はり》丈が刻《きざ》み足に頭《あたま》の中《なか》を断《た》えず通《とほ》つてゐた事を自覚してゐた。所が其音《そのおと》が何時《いつ》かりん/\といふ虫の音《ね》に変つて、奇麗な玄関の傍《わき》の植込《うゑご》みの奥で鳴いてゐる様になつた。――代助は昨夕《ゆふべ》の夢を此所《こゝ》迄|辿《たど》つて来《き》て、睡|眠《みん》と覚醒《かくせい》との間《あひだ》を繋《つな》ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。
 代助は、何事によらず一度《いちど》気にかゝり出《だ》すと、何処《どこ》迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿|気《げ》さ加減の程度を明らかに見積《みつも》る丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方《かた》が猶|眼《め》に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何《いか》にして夢《ゆめ》に入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。夜《よる》、蒲団へ這入つて、好《い》い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所《こゝ》だ、斯《か》うして眠《ねむ》るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼《め》が冴《さ》えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所《こゝ》だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰《く》り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇《くらやみ》を検査する為《ため》に蝋燭を点《とも》したり、独楽《こま》の運動を吟味する為《ため》に独楽《こま》を抑《おさ》へる様なもので、生涯|寐《ね》られつこない訳になる。と解《わか》つてゐるが晩《ばん》になると又はつと思ふ。
 此困難は約一年許りで何時《いつ》の間《ま》にか漸く遠退《とほの》いた。代助は昨夕《ゆふべ》の夢《ゆめ》と此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己《じこ》の一部分を切り放《はな》して、其儘の姿《すがた》として、知らぬ間《ま》に夢の中《なか》へ譲《ゆづ》り渡す方が趣《おもむき》があると思つたからである。同時に、此作用は気狂《きちがひ》になる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂《きちがひ》にはなれないと信じてゐたのである。

五の三

 それから二三日は、代助も門野《かどの》も平岡の消息を聞《き》かずに過《す》ごした。四日目《よつかめ》の午過《ひるすぎ》に代助は麻布《あざぶ》のある家《いへ》へ園遊会に呼ばれて行《い》つた。御客は男女を合せて、大分《だいぶ》来《き》たが、正賓と云ふのは、英国の国会議員とか実業家とかいふ、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけた其細君とであつた。これは中《なか》々の美人で、日本抔へ来《く》るには勿体ない位な容色だが、何処《どこ》で買つたものか、岐阜《ぎふ》出来《でき》の絵日傘《ゑひがさ》を得意に差《さ》してゐた。
 尤も其日は大変な好《い》い天気で、広い芝生の上《うへ》にフロツクで立つてゐると、もう夏《なつ》が来《き》たといふ感じが、肩《かた》から脊中《せなか》へ掛けて著《いちゞ》るしく起《おこ》つた位、空《そら》が真蒼《まつさを》に透《す》き通《とほ》つてゐた。英国の紳士は顔《かほ》をしかめて空《そら》を見《み》て、実《じつ》に美くしいと云つた。すると細君がすぐ、ラツヴレイと答《こた》へた。非常に疳《かん》の高《たか》い声で尤も力を入れた挨拶の仕様であつたので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思つた。
 代助も二言三言《ふたことみこと》此細君から話《はな》しかけられた。が三分《さんぷん》と経《た》たないうちに、遣《や》り切れなくなつて、すぐ退却した。あとは、日本服を着《き》て、わざと島田に結《い》つた令嬢と、長らく紐育《ニユーヨーク》で商業に従事してゐたと云ふ某が引き受けた。此某は英語を喋舌《しやべ》る天才を以て自ら任ずる男で、欠《か》かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話を遣《や》つて、それから英語で卓上演説をするのを、何よりの楽《たのし》みにしてゐる。何か云つては、あとでさも可笑《おか》しさうに、げら/\笑《わら》ふ癖《くせ》がある。英国人が時によると怪訝《けげん》な顔《かほ》をしてゐる。代助はあれ丈は已めたら可《よ》からうと思つた。令嬢も中々|旨《うま》い。是は米国婦人を家庭教師に雇つて、英語を使ふ事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考へながら、つく/″\感心して聞いてゐた。
 代助が此所《こゝ》へ呼ばれたのは、個人的に此所《こゝ》の主人や、此英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分の父《ちゝ》と兄《あに》との社交的勢力の余波で、招待状が廻つて来たのである。だから、万遍なく方々へ行《い》つて、好い加減に頭《あたま》を下《さ》げて、ぶら/\してゐた。其中《そのうち》に兄《あに》も居《ゐ》た。
「やあ、来《き》たな」と云つた儘、帽子に手も掛けない。
「何《ど》うも、好《い》い天気ですね」
「あゝ。結構だ」
 代助も脊の低《ひく》い方ではないが、兄《あに》は一層|高《たか》く出来てゐる。其上この五六年来次第に肥満して来《き》たので、中々《なか/\》立派に見える。
「何《ど》うです、彼方《あつち》へ行《い》つて、ちと外国人と話《はなし》でもしちや」
「いや、真平《まつぴら》だ」と云つて兄《あに》は苦笑《にがわら》ひをした。さうして大きな腹《はら》にぶら下《さ》がつてゐる金鎖《きんぐさり》を指《ゆび》の先《さき》で弄《いぢく》つた。
「何《ど》うも外国人は調子が可《い》いですね。少《すこ》し可《よ》すぎる位だ。あゝ賞《ほ》められると、天気の方でも是非|好《よ》くならなくつちやならなくなる」
「そんなに天気を賞《ほ》めてゐたのかい。へえ。少し暑過《あつす》ぎるぢやないか」
「私《わたし》にも暑過《あつす》ぎる」
 誠吾と代助は申し合せた様に、白い手巾《ハンケチ》を出《だ》して額《ひたひ》を拭《ふ》いた。両人《ふたり》共|重《おも》い絹帽《シルクハツト》を被《かぶ》つてゐる。
 兄弟は芝生の外《はづ》れの木蔭《こかげ》迄|来《き》て留《とま》つた。近所には誰《だれ》もゐない。向ふの方で余興か何《なに》か始まつてゐる。それを、誠吾は、宅《うち》にゐると同じ様な顔をして、遠くから眺めた。
「兄《あに》の様になると、宅《うち》にゐても、客に来《き》ても同じ心持ちなんだらう。斯《か》う世の中《なか》に慣れ切つて仕舞つても、楽しみがなくつて、詰《つま》らないものだらう」と思ひながら代助は誠吾の様子を見てゐた。
「今日《けふ》は御父《おとう》さんは何《ど》うしました」
「御父《おとう》さんは詩《し》の会《くわい》だ」
 誠吾は相変らず普通の顔で答へたが、代助の方は多少|可笑《おか》しかつた。
「姉《ねえ》さんは」
「御客の接待掛りだ」
 また嫂《あによめ》が後《あと》で不平を云ふ事だらうと考へると、代助は又|可笑《おか》しくなつた。

五の四

 代助は、誠吾の始終|忙《いそが》しがつてゐる様子を知つてゐる。又その忙《いそが》しさの過半は、斯《か》う云ふ会合から出来上《できあ》がつてゐるといふ事実も心得てゐる。さうして、別に厭《いや》な顔《かほ》もせず、一口《ひとくち》の不平も零《こぼ》さず、不規則に酒を飲んだり、物《もの》を食《く》つたり、女を相手にしたり、してゐながら、何時《いつ》見ても疲《つか》れた態《たい》もなく、噪《さわ》ぐ気色もなく、物外に平然として、年々肥満してくる技倆に敬服してゐる。
 誠吾が待合へ這入つたり、料理茶屋へ上《あが》つたり、晩餐に出《で》たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行つたり、新橋に人を送つたり、横浜に人を迎へたり、大磯へ御機嫌伺ひに行つたり、朝から晩迄多勢の集まる所へ顔を出《だ》して、得意にも見えなければ、失意にも思はれない様子は、斯《か》う云ふ生活に慣《な》れ抜《ぬ》いて、海月《くらげ》が海《うみ》に漂《たゞよ》ひながら、塩水《しほみづ》を辛《から》く感じ得ない様なものだらうと代助は考へてゐる。
 其所《そこ》が代助には難有い。と云ふのは、誠吾は父《ちゝ》と異《ちが》つて、嘗て小六※[#小書き濁点付き平仮名つ、77-6]かしい説法抔を代助に向つて遣《や》つた事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云ふ窮窟なものは、てんで、これつ許《ぱかり》も口《くち》にしないんだから、有《ある》んだか、無《な》いんだか、殆んど要領を得ない。其代り、此窮窟な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいふものを積極的《せききよくてき》に打《う》ち壊《こは》して懸《かゝ》つた試《ためし》もない。実に平凡で好《い》い。
 だが面白くはない。話し相手としては、兄《あに》よりも嫂《あによめ》の方が、代助に取つて遥かに興味がある。兄《あに》に逢ふと屹度|何《ど》うだいと云ふ。以太利に地震があつたぢやないかと云ふ。土耳古の天子が廃されたぢやないかと云ふ。其外、向ふ島の花はもう駄目になつた、横浜にある外国船の船底《ふなぞこ》に大蛇《だいぢや》が飼《か》つてあつた、誰《だれ》が鉄道で轢《ひ》かれた、ぢやないかと云ふ。みんな新聞に出た事|許《ばかり》である。其代り、当らず障らずの材料はいくらでも持つて居る。いつ迄|経《た》つても種《たね》が尽きる様子が見えない。
 さうかと思ふと。時にトルストイと云ふ人は、もう死んだのかね抔と妙な事を聞く事がある。今《いま》日本《にほん》の小説家では誰《だれ》が一番|偉《えら》いのかねと聞く事もある。要するに文芸には丸で無頓着で且つ驚ろくべく無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立つて平気で聞くんだから、代助も返事がし易《やす》い。
 斯《か》う云ふ兄《あに》と差し向《むか》ひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁《あく》がなくつて、気楽で好《い》い。たゞ朝から晩迄|出歩《である》いてゐるから滅多に捕《つら》まへる事が出来《でき》ない。嫂《あによめ》でも、誠太郎でも、縫子でも、兄《あに》が終日《しうじつ》宅《うち》に居て、三度の食事を家族と共に欠《か》かさず食《く》ふと、却つて珍《めづ》らしがる位である。
 だから木蔭《こかげ》に立つて、兄《あに》と肩《かた》を比《なら》べた時《とき》、代助は丁度|好《い》い機会だと思つた。
「兄《にい》さん、貴方《あなた》に少し話《はなし》があるんだが。何時《いつ》か暇《ひま》はありませんか」
「暇《ひま》」と繰り返《かへ》した誠吾は、何《なん》にも説明せずに笑つて見せた。
「明日《あした》の朝《あさ》は何《ど》うです」
「明日《あした》の朝《あさ》は浜《はま》迄|行《い》つて来《こ》なくつちやならない」
「午《ひる》からは」
「午《ひる》からは、会社の方に居る事はゐるが、少《すこ》し相談があるから、来《き》ても緩《ゆつ》くり話《はな》しちやゐられない」
「ぢや晩《ばん》なら宜《よ》からう」
「晩《ばん》は帝国ホテルだ。あの西洋人夫婦を明日《あした》の晩《ばん》帝国ホテルへ呼ぶ事になつてるから駄目だ」
 代助は口《くち》を尖《とん》がらかして、兄《あに》を凝《じつ》と見た。さうして二人《ふたり》で笑ひ出した。
「そんなに急《いそ》ぐなら、今日《けふ》ぢや、何《ど》うだ。今日《けふ》なら可《い》い。久し振《ぶ》りで一所に飯《めし》でも食《く》はうか」
 代助は賛成した。所が倶楽部《くらぶ》へでも行《ゆ》くかと思ひの外《ほか》、誠吾は鰻《うなぎ》が可《よ》からうと云ひ出した。
「絹帽《シルクハツト》で鰻《うなぎ》屋へ行くのは始《はじめ》てだな」と代助は逡巡した。
「何《なに》構《かま》ふものか」
 二人《ふたり》は園遊会を辞して、車《くるま》に乗つて、金杉橋《かなすぎばし》の袂《たもと》にある鰻屋《うなぎや》へ上《あが》つた。

五の五

 其所《そこ》は河《かは》が流れて、柳《やなぎ》があつて、古風な家《いへ》であつた。黒《くろ》くなつた床柱《とこばしら》の傍《わき》の違《ちが》ひ棚《だな》に、絹帽《シルクハツト》を引繰返《ひつくりかへ》しに、二つ並《なら》べて置いて見て、代助は妙だなと云《い》つた。然し明《あ》け放《はな》した二階の間《ま》に、たつた二人《ふたり》で胡坐《あぐら》をかいてゐるのは、園遊会より却つて楽《らく》であつた。
 二人《ふたり》は好《い》い心持《こゝろもち》に酒を飲《の》んだ。兄《あに》は飲《の》んで、食《く》つて、世間話《せけんばなし》をすれば其|外《ほか》に用はないと云ふ態度《たいど》であつた。代助も、うつかりすると、肝心の事件を忘《わす》れさうな勢であつた。が下女が三本目の銚子を置いて行つた時に、始めて用談に取り掛《かゝ》つた。代助の用談と云ふのは、言ふ迄もなく、此間|三千代《みちよ》から頼《たの》まれた金策の件である。
 実を云ふと、代助は今日迄まだ誠吾に無心を云つた事がない。尤も学校を出た時少々芸者買をし過《す》ぎて、其尻を兄《あに》になすり付けた覚はある。其時|兄《あに》は叱るかと思ひの外《ほか》、さうか、困り者だな、親爺《おやぢ》には内々で置けと云つて嫂《あによめ》を通《とほ》して、奇麗に借金を払つてくれた。さうして代助には一口《ひとくち》の小言《こごと》も云はなかつた。代助は其時から、兄《あにき》に恐縮して仕舞つた。其後《そののち》小遣《こづかひ》に困《こま》る事はよくあるが、困るたんびに嫂《あによめ》を痛《いた》めて事を済ましてゐた。従つて斯《か》う云ふ事件に関して兄《あに》との交渉は、まあ初対面の様なものである。
 代助から見ると、誠吾は蔓《つる》のない薬鑵《やくわん》と同じことで、何処《どこ》から手を出して好《い》いか分《わか》らない。然しそこが代助には興味があつた。
 代助は世間話《せけんばなし》の体《てい》にして、平岡夫婦の経歴をそろ/\話《はな》し始めた。誠吾は面倒な顔色もせず、へえ/\と拍子を取る様に、飲みながら、聞いてゐる。段々進んで三千代が金《かね》を借《か》りに来《き》た一段になつても、矢っ張りへえ/\と合槌を打つてゐる丈である。代助は、仕方なしに、
「で、私《わたし》も気の毒だから、何《ど》うにか心配して見様つて受合つたんですがね」と云つた。
「へえ。左様《さう》かい」
「何《ど》うでせう」
「御前《おまい》金《かね》が出来《でき》るのかい」
「私《わたし》や一文も出来《でき》やしません。借《か》りるんです」
「誰《だれ》から」
 代助は始めから此所《こゝ》へ落《おと》す積《つもり》だつたんだから、判然《はつきり》した調子で、
「貴方《あなた》から借りて置《お》かうと思ふんです」と云つて、改めて誠吾の顔《かほ》を見た。兄《あに》は矢っ張り普通の顔をしてゐた。さうして、平気に、
「そりや、御|廃《よ》しよ」と答へた。
 誠吾の理由を聞いて見ると、義理や人情に関係がない許《ばかり》ではない、返《かへ》す返《かへ》さないと云ふ損得にも関係がなかつた。たゞ、そんな場合には放《ほう》つて置けば自《おのづ》から何《ど》うかなるもんだと云ふ単純な断定である。
 誠吾は此断定を証明する為めに、色々な例を挙げた。誠吾の門内に藤野と云ふ男が長屋を借りて住《す》んでゐる。其藤野が近頃遠縁のものゝ息子《むすこ》を頼《たの》まれて宅《うち》へ置いた。所が其子が徴兵検査で急に国へ帰らなければならなくなつたが、前《まへ》以て国から送つてある学資も旅費も藤野が使《つか》ひ込《こ》んでゐると云ふので、一時の繰り合せを頼《たの》みに来《き》た事がある。無論誠吾が直《ぢか》に逢つたのではないが、妻《さい》に云ひ付《つ》けて断《ことわ》らした。夫でも其子《そのこ》は期日迄に国へ帰つて差支なく検査を済《す》ましてゐる。夫から此藤野の親類の何とか云ふ男は、自分の持つてゐる貸家《かしや》の敷金《しききん》を、つい使《つか》つて仕舞つて、借家人《しやくやにん》が明日《あす》引越すといふ間際になつても、まだ調達が出来ないとか云つて、矢っ張り藤野から泣き付いて来《き》た事がある。然し是も断《ことわ》らした。夫でも別《べつ》に不都合はなく敷金は返せてゐる。――まだ其外にもあつたが、まあ斯《こ》んな種類の例ばかりであつた。
「そりや、姉《ねえ》さんが蔭《かげ》へ廻《まわ》つて恵《めぐ》んでゐるに違《ちがひ》ない。ハヽヽヽ。兄《にい》さんも余っ程呑気だなあ」
と代助は大きい声を出して笑つた。
「何《なに》、そんな事があるものか」
 誠吾は矢張当り前の顔をしてゐた。さうして前にある猪口を取つて口《くち》へ持つて行つた。

六の一

 其日誠吾は中々《なか/\》金《かね》を貸して遣《や》らうと云はなかつた。代助も三千代《みちよ》が気の毒だとか、可哀想だとか云ふ泣言《なきごと》は、可成避ける様にした。自分が三千代に対してこそ、さう云ふ心持もあるが、何にも知らない兄《あに》を、其所《そこ》迄|連《つ》れて行くのには一通りでは駄目だと思ふし、と云つて、無暗にセンチメンタルな文句を口《くち》にすれば、兄《あに》には馬鹿にされる、ばかりではない、かねて自分を愚弄する様な気がするので、矢っ張り平生の代助の通り、のらくらした所を、彼方《あつち》へ行《い》つたり此方《こつち》へ来《き》たりして、飲んでゐた。飲みながらも、親爺《おやぢ》の所謂熱誠が足りないとは、此所《こゝ》の事だなと考へた。けれども、代助は泣いて人を動かさうとする程、低級趣味のものではないと自信してゐる。凡そ何が気障《きざ》だつて、思はせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障《きざ》なものはないと自覚してゐる。兄《あに》には其辺の消息がよく解《わか》つてゐる。だから此手で遣《や》り損《そこ》なひでもしやうものなら、生涯自分の価値を落《おと》す事になる。と気が付《つ》いてゐる。
 代助は飲むに従つて、段々|金《かね》を遠《とほ》ざかつて来《き》た。たゞ互が差し向ひであるが為めに、旨《うま》く飲《の》めたと云ふ自覚を、互に持ち得る様な話をした。が茶漬を食ふ段《だん》になつて、思ひ出した様に、金《かね》は借りなくつても好《い》いから、平岡を何処《どこ》か使《つか》つて遣《や》つて呉れないかと頼《たの》んだ。
「いや、さう云ふ人間は御免蒙る。のみならず此不景気ぢや仕様がない」と云つて誠吾はさく/\飯《めし》を掻き込んでゐた。
 明日《あくるひ》眼《め》が覚《さ》めた時、代助は床《とこ》の中《なか》でまづ第一番に斯う考へた。
「兄《あに》を動《うご》かすのは、同じ仲間《なかま》の実業家でなくつちや駄目だ。単に兄弟《けうだい》の好《よしみ》丈では何《ど》うする事も出来ない」
 斯《か》う考へた様なものゝ、別に兄《あに》を不人情と思ふ気は起らなかつた。寧ろその方が当然であると悟つた。此兄が自分の放蕩費を苦情も云はずに弁償して呉れた事があるんだから可笑しい。そんなら自分が今|茲《こゝ》で平岡の為《ため》に判《はん》を押《お》して、連借でもしたら、何《ど》うするだらう。矢っ張り彼《あ》の時の様に奇麗に片付けて呉れるだらうか。兄《あに》は其所《そこ》迄考へてゐて、断わつたんだらうか。或は自分がそんな無理な事はしないものと初から安心して借さないのかしらん。
 代助自身の今の傾向から云ふと、到底人の為《ため》に判なぞを押しさうにもない。自分もさう思つてゐる。けれども、兄《あに》が其所《そこ》を見抜いて金《かね》を貸さないとすると、一寸《ちよつと》意外な連帯をして、兄がどんな態度に変るか、試験して見たくもある。――其所《そこ》迄|来《き》て、代助は自分ながら、あんまり性質《たち》が能くないなと心《こころ》のうちで苦笑した。
 けれども、唯|一《ひと》つ慥《たしか》な事がある。平岡は早晩借用証書を携へて、自分の判を取りにくるに違ない。
 斯う考へながら、代助は床《とこ》を出た。門野《かどの》は茶《ちや》の間《ま》で、胡坐《あぐら》をかいて新聞を読んでゐたが、髪《かみ》を濡《ぬ》らして湯殿《ゆどの》から帰《かへ》つて来《く》る代助を見るや否や、急に坐三昧《ゐざんまい》を直《なほ》して、新聞を畳んで坐《ざ》蒲団の傍《そば》へ押《お》し遣《や》りながら、
「何《ど》うも『煤烟《ばいえん》』は大変な事になりましたな」と大きな声で云つた。
「君読んでるんですか」
「えゝ、毎朝《まいあさ》読《よ》んでます」
「面白《おもしろ》いですか」
「面白《おもしろ》い様ですな。どうも」
「何《ど》んな所が」
「何《ど》んな所がつて。さう改《あら》たまつて聞《き》かれちや困りますが。何ぢやありませんか、一体に、斯う、現代的の不安が出《で》てゐる様ぢやありませんか」
「さうして、肉の臭《にほ》ひがしやしないか」
「しますな。大いに」
 代助は黙《だま》つて仕舞つた。

六の二

 紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へ腰《こし》を懸けて、茫然《ぼんやり》庭《には》を眺《なが》めてゐると、瘤《こぶ》だらけの柘榴《ざくろ》の枯枝《かれえだ》と、灰色《はいいろ》の幹《みき》の根方《ねがた》に、暗緑《あんりよく》と暗紅《あんかう》を混《ま》ぜ合《あ》はした様な若《わか》い芽が、一面に吹き出《だ》してゐる。代助の眼《め》には夫《それ》がぱつと映《えい》じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。
 代助の頭《あたま》には今具体的な何物をも留《とゞ》めてゐない。恰かも戸外《こぐわい》の天気の様に、それが静《しづ》かに凝《じつ》と働《はた》らいてゐる。が、其底には微塵《みじん》の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪《ちいず》の中《なか》で、いくら虫《むし》が動《うご》いても、乾酪《ちいず》が元《もと》の位置にある間《あひだ》は、気が付かないと同じ事で、代助も此|微震《びしん》には殆んど自覚を有してゐなかつた。たゞ、それが生理的に反射して来《く》る度《たび》に、椅子の上《うへ》で、少し宛《づゝ》身体《からだ》の位置を変《か》へなければならなかつた。
 代助は近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉を、あまり口《くち》にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐると考へたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである。
 代助は露西亜文学に出《で》て来《く》る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈してゐる。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見てゐる。ダヌンチオによつて代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断してゐる。だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側《がは》からのみ社会を描《ゑが》き出すのを、舶来の唐物《とうぶつ》の様に見傚してゐる。
 理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、有《あ》つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりと留《とま》つて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石を抛《な》げた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければ可《よ》かつたと思つてゐる。禅坊さんの所謂|大疑現前《だいぎげんぜん》抔と云ふ境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国である。代助は、斯《か》う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口《りこう》に生れ過《す》ぎた男である。
 代助は門野《かどの》の賞《ほ》めた「煤烟」を読んでゐる。今日《けふ》は紅茶々碗の傍《そば》に新聞を置いたなり、開《あ》けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金《かね》に不自由のない男だから、贅沢《ぜいたく》の結果《けつくわ》あゝ云ふ悪戯《いたづら》をしても無理とは思へないが、「煤烟」の主人公に至つては、そんな余地のない程に貧《まづ》しい人である。それを彼所迄《あすこまで》押《お》して行くには、全く情愛《じやうあい》の力でなくつちや出来る筈のものでない。所が、要吉といふ人物にも、朋子《ともこ》といふ女にも、誠《まこと》の愛で、已むなく社会の外《そと》に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動《うご》かす内面の力は何であらうと考へると、代助は不審である。あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ。代助は独りで考へるたびに、自分は特殊人《オリヂナル》だと思ふ。けれども要吉の特殊人《オリヂナル》たるに至つては、自分より遥かに上手《うはて》であると承認した。それで此間《このあひだ》迄は好奇心に駆《か》られて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、眼《め》を通さない事がよくある。
 代助は椅子の上《うへ》で、時々《とき/″\》身を動《うご》かした。さうして、自分では飽く迄落ち付いて居ると思つてゐた。やがて、紅茶を呑んで仕舞つて、例《いつも》の通り読書《どくしよ》に取りかゝつた。約二時間ばかりは故障なく進行したが、ある頁《ページ》の中頃まで来《き》て急に休《や》めて頬杖を突《つ》いた。さうして、傍《そば》にあつた新聞を取つて、「煤烟」を読んだ。呼吸の合はない事は同じ事である。それから外《ほか》の雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつゝある生徒側の味方をしてゐる。それが中々強い言葉で出《で》てゐる。代助は斯う云ふ記事を読《よ》むと、是は大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為《ため》の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出《だ》した。

六の三

 午過《ひるすぎ》になつてから、代助は自分が落ち付いてゐないと云ふ事を、漸く自覚し出《だ》した。腹《はら》のなかに小《ちい》さな皺《しわ》が無数に出来《でき》て、其皺《そのしわ》が絶えず、相互《さうご》の位地と、形状《かたち》とを変《か》へて、一面に揺《うご》いてゐる様な気持がする。代助は時々《とき/″\》斯う云ふ情調の支配を受ける事がある。さうして、此種の経験を、今日迄、単なる生理上の現象としてのみ取り扱つて居つた。代助は昨日《きのふ》兄《あに》と一所に鰻《うなぎ》を食《く》つたのを少し後悔した。散歩がてらに、平岡の所へ行て見《み》やうかと思ひ出《だ》したが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかつた。婆さんに着物を出《だ》さして、着換《きか》へやうとしてゐる所へ、甥《をひ》の誠太郎が来《き》た。帽子を手に持《も》つた儘、恰好の好《い》い円《まる》い頭《あたま》を、代助の頭へ出して、腰《こし》を掛《か》けた。
「もう学校は引けたのかい。早過《はやす》ぎるぢやないか」
「ちつとも早《はや》かない」と云つて、笑《わら》ひながら、代助の顔《かほ》を見てゐる。代助は手《て》を敲《たゝ》いて婆《ばあ》さんを呼《よ》んで、
「誠太郎、チヨコレートを飲《の》むかい」と聞いた。
「飲《の》む」
 代助はチヨコレートを二杯命じて置いて誠太郎に調戯《からかひ》だした。
「誠太郎、御前はベースボール許《ばかり》遣《や》るもんだから、此頃《このごろ》手が大変大きくなつたよ。頭《あたま》より手の方が大きいよ」
 誠太郎はにこ/\して、右の手で、円《まる》い頭《あたま》をぐる/″\撫《な》でた。実際大きな手を持《も》つてゐる。
「叔父《おぢ》さんは、昨日《きのふ》御父《おとう》さんから奢《おご》つて貰《もら》つたんですつてね」
「あゝ、御馳走になつたよ。御蔭《おかげ》で今日《けふ》は腹具合《はらぐあひ》が悪《わる》くつて不可《いけ》ない」
「又《また》神経《しんけい》だ」
「神経《しんけい》ぢやない本当だよ。全《まつ》たく兄《にい》さんの所為《せゐ》だ」
「だつて御父《おとう》さんは左様《さう》云つてましたよ」
「何《なん》て」
「明日《あした》学校の帰りに代助の所へ廻つて何か御馳走して貰《もら》へつて」
「へえゝ、昨日《きのふ》の御礼にかい」
「えゝ、今日《けふ》は己《おれ》が奢《おご》つたから、明日《あした》が向《むか》ふの番《ばん》だつて」
「それで、わざ/\遣《や》つて来《き》たのかい」
「えゝ」
「兄《あにき》の子丈あつて、中々《なか/\》抜《ぬ》けないな。だから今チヨコレートを飲《の》まして遣《や》るから可《い》いぢやないか」
「チヨコレートなんぞ」
「飲《の》まないかい」
「飲《の》む事は飲《の》むけれども」
 誠太郎の注文を能《よ》く聞《き》いて見ると、相撲が始まつたら、回向院へ連《つ》れて行つて、正面の最上等の所で見物させろといふのであつた。代助は快《こゝろ》よく引き受けた。すると誠太郎は嬉《うれ》しさうな顔《かほ》をして、突然《とつぜん》、
「叔父《おぢ》さんはのらくらして居るけれども実際|偉《えら》いんですつてね」と云つた。代助も是には一寸《ちよつと》呆《あき》れた。仕方なしに、
「偉《えら》いのは知れ切つてるぢやないか」と答へた。
「だつて、僕《ぼく》は昨夕《ゆふべ》始《はじ》めて御父《おとう》さんから聞《き》いたんですもの」と云ふ弁解があつた。
 誠太郎の云ふ所によると、昨夕《ゆふべ》兄《あに》が宅《うち》へ帰つてから、父《ちゝ》と嫂《あによめ》と三人して、代助の合評をしたらしい。小供のいふ事だから、能く分《わか》らないが、比較的|頭《あたま》が可《い》いので、能く断片的に其時の言葉を覚えてゐる。父《ちゝ》は代助を、どうも見込がなささうだと評したのださうだ。兄《あに》は之に対して、あゝ遣《や》つてゐても、あれで中々|解《わか》つた所がある。当分|放《ほう》つて置《お》くが可《い》い。放《ほう》つて置《お》いても大丈夫だ、間違はない。いづれ其内に何か遣《や》るだらうと弁護したのださうだ。すると嫂《あによめ》がそれに賛成して、一週間許り前|占者《うらなひしや》に見てもらつたら、此人《このひと》は屹度人の上《かみ》に立つに違ないと判断したから大丈夫だと主張したのださうだ。
 代助はうん、それから、と云つて、始終面白さうに聞いて居たが、占者《うらなひしや》の所《ところ》へ来《き》たら、本当に可笑しくなつた。やがて着物《きもの》を着換《きかへ》て、誠太郎を送りながら表へ出て、自分は平岡の家《いへ》を訪《たづ》ねた。

六の四

 平岡《ひらをか》の家《いへ》は、此十数年来の物価騰|貴《き》に伴《つ》れて、中流社会が次第々々に切《き》り詰《つ》められて行《ゆ》く有様を、住宅《じうたく》の上《うへ》に善《よ》く代表してゐる、尤も粗悪な見苦《みぐる》しき構《かま》へである。とくに代助には左様《さう》見えた。
 門《もん》と玄関の間《あひだ》が一間《いつけん》位しかない。勝手口《かつてぐち》も其通りである。さうして裏にも、横《よこ》にも同じ様な窮屈な家《いへ》が建《た》てられてゐる。東京市の貧弱なる膨脹に付《つ》け込《こ》んで、最低度の資本家が、なけなしの元手《もとで》を二割乃至三割の高利《こうり》に廻《まは》さうと目論《もくろん》で、あたぢけなく拵《こしら》へ上《あ》げた、生存競争の記念《かたみ》である。
 今日《こんにち》の東京市、ことに場末《ばすえ》の東京市には、至る所に此種《このしゆ》の家《いへ》が散点してゐる、のみならず、梅雨《つゆ》に入《い》つた蚤《のみ》の如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつゝある。代助はかつて、是を敗亡の発展《はつてん》と名《な》づけた。さうして、之を目下の日本を代表する最好の象徴《シンボル》とした。
 彼等のあるものは、石油缶《せきゆくわん》の底《そこ》を継《つ》ぎ合《あ》はせた四角な鱗《うろこ》で蔽はれてゐる。彼等の一つを借りて、夜中《よなか》に柱《はしら》の割れる音《おと》で眼《め》を醒《さ》まさないものは一人《ひとり》もない。彼等の戸には必ず節穴《ふしあな》がある。彼等の襖《ふすま》は必ず狂《くる》ひが出ると極つてゐる。資本を頭《あたま》の中《なか》へ注《つ》ぎ込《こ》んで、月々《つき/″\》其|頭《あたま》から利息を取つて生活しやうと云ふ人間《にんげん》は、みんな斯《か》ういふ所を借《か》りて立《た》て籠《こも》つてゐる。平岡も其|一人《いちにん》である。
 代助は垣根《かきね》の前《まへ》を通るとき、先づ其|屋根《やね》に眼《め》が付《つ》いた。さうして、どす黒《ぐろ》い瓦の色が妙に彼《かれ》の心を刺激した。代助には此|光《ひかり》のない土《つち》の板《いた》が、いくらでも水《みづ》を吸《す》ひ込《こ》む様に思はれた。玄関前に、此間《このあひだ》引越のときに解《ほど》いた菰包《こもづゝみ》の藁屑《わらくづ》がまだ零《こぼ》れてゐた。座敷《ざしき》へ通《とほ》ると、平岡は机の前《まへ》へ坐《すは》つて、長《なが》い手紙《てがみ》を書《か》き掛《か》けてゐる所であつた。三千代《みちよ》は次《つぎ》の部屋《へや》で簟笥の環《くわん》をかたかた鳴らしてゐた。傍《そば》に大《おほ》きな行李《こり》が開《あ》けてあつて、中《なか》から奇麗《きれい》な長繻絆《ながじゆばん》の袖《そで》が半分《はんぶん》出《で》かかつてゐた。
 平岡が、失敬だが鳥渡《ちよつと》待《ま》つて呉れと云つた間《あひだ》に、代助は行李《こり》と長繻絆《ながじゆばん》と、時々《とき/″\》行李《こり》の中《なか》へ落《お》ちる繊《ほそ》い手とを見てゐた。襖《ふすま》は明《あ》けた儘|閉《た》て切《き》る様子もなかつた。が三千代の顔は陰《かげ》になつて見えなかつた。
 やがて、平岡は筆《ふで》を机《つくえ》の上へ抛《な》げ付ける様にして、座《ざ》を直《なほ》した。何《なん》だか込み入つた事を懸命に書いてゐたと見えて、耳を赤《あか》くしてゐた。眼《め》も赤くしてゐた。
「何《ど》うだい。此間《このあひだ》は色々《いろ/\》難有う。其|後《ご》一寸《ちよつと》礼《れい》に行《い》かうと思つて、まだ行《い》かない」
 平岡の言葉は言訳《いひわけ》と云はんより寧ろ挑|戦《せん》の調子を帯びてゐる様に聞《き》こえた。襯衣《シヤツ》も股引《もゝひき》も着《つ》けずにすぐ胡坐《あぐら》をかいた。襟《えり》を正《たゞ》しく合《あは》せないので、胸毛《むなげ》が少し出《で》ゝゐる。
「まだ落《お》ち付《つ》かないだらう」と代助が聞いた。
「落ち付く所《どころ》か、此分《このぶん》ぢや生涯落ち付きさうもない」と、いそがしさうに烟草を吹かし出《だ》した。
 代助は平岡が何故《なぜ》こんな態度で自分に応接するか能く心得てゐた。決して自分に中《あた》るのぢやない、つまり世間《せけん》に中《あた》るんである、否|己《おの》れに中《あた》つてゐるんだと思つて、却つて気の毒になつた。けれども代助の様な神経には、此調子が甚だ不愉快に響いた。たゞ腹《はら》が立たない丈である。
「宅《うち》の都合は、どうだい。間取《まどり》の具合は可《よ》ささうぢやないか」
「うん、まあ、悪《わる》くつても仕方《しかた》がない。気に入つた家《うち》へ這入らうと思へば、株《かぶ》でも遣《や》るより外に仕様がなからう。此頃東京に出来る立派な家《うち》はみんな株屋が拵《こしら》へるんだつて云ふぢやないか」
「左様《さう》かも知れない。其代り、あゝ云ふ立派な家《うち》が一軒|立《た》つと、其|陰《かげ》に、どの位沢山な家《うち》が潰《つぶ》れてゐるか知れやしない」
「だから猶《なほ》住《す》み好《い》いだらう」
 平岡は斯《か》う云つて大いに笑《わら》つた。其所《そこ》へ三千代《みちよ》が出《で》て来《き》た。先達てはと、軽《かる》く代助に挨拶をして、手に持《も》つた赤いフランネルのくる/\と巻《ま》いたのを、坐《すは》ると共に、前《まへ》へ置《お》いて、代助に見せた。
「何ですか、それは」
「赤※[#小書き平仮名ん、94-8]坊の着物《きもの》なの。拵《こしら》へた儘、つい、まだ、解《ほど》かずにあつたのを、今|行李《こり》の底《そこ》を見《み》たら有《あ》つたから、出《だ》して来《き》たんです」と云ひながら、附紐《つけひも》を解《と》いて筒袖《つゝそで》を左右に開《ひら》いた。
「こら」
「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊《こわ》して雑巾にでもして仕舞へ」

六の五

 三千代《みちよ》は小供《こども》の着物《きもの》を膝の上《うへ》に乗《の》せた儘、返事もせずしばらく俯向《うつむ》いて眺めてゐたが、
「貴方《あなた》のと同《おんな》じに拵《こしら》へたのよ」と云つて夫《おつと》の方を見た。
「是《これ》か」
 平岡は絣《かすり》の袷《あはせ》の下《した》へ、ネルを重《かさ》ねて、素肌《すはだ》に着《き》てゐた。
「是《これ》はもう不可《いか》ん。暑《あつ》くて駄目《だめ》だ」
 代助は始《はじ》めて、昔《むかし》の平岡《ひらをか》を当面《まのあたり》に見《み》た。
「袷《あはせ》の下《した》にネルを重《かさ》ねちやもう暑《あつ》い。繻絆にすると可《い》い」
「うん、面倒だから着《き》てゐるが」
「洗濯をするから御|脱《ぬ》ぎなさいと云つても、中々《なか/\》脱《ぬ》がないのよ」
「いや、もう脱《ぬ》ぐ、己《おれ》も少々|厭《いや》になつた」
 話《はなし》は死《し》んだ小供《こども》の事をとう/\離《はな》れて仕舞つた。さうして、来《き》た時よりは幾分か空気に暖味《あたゝかみ》が出来《でき》た。平岡は久し振りに一杯飲まうと云ひ出《だ》した。三千代《みちよ》も支度《したく》をするから、緩《ゆつく》りして行《い》つて呉《く》れと頼《たの》む様に留《と》めて、次《つぎ》の間《ま》へ立《た》つた。代助は其|後姿《うしろすがた》を見て、どうかして金《かね》を拵《こしら》へてやりたいと思つた。
「君|何所《どこ》か奉公|口《ぐち》の見当は付《つ》いたか」と聞いた。
「うん、まあ、ある様な無《な》い様なもんだ。無《な》ければ当分|遊《あそ》ぶ丈の事だ。緩《ゆつ》くり探《さが》してゐるうちには何《ど》うかなるだらう」
 云ふ事は落ち付《つ》いてゐるが、代助が聞《き》くと却つて焦《あせ》つて探《さが》してゐる様にしか取れない。代助は、昨日《きのふ》兄《あに》と自分の間に起つた問答の結果を、平岡に知らせやうと思つてゐたのだが、此一言を聞いて、しばらく見合せる事にした。何だか、構《かま》へてゐる向ふの体面を、わざと此方《こつち》から毀損する様な気がしたからである。其上《そのうへ》金《かね》の事に付《つ》いては平岡からはまだ一言《いちげん》の相談も受けた事もない。だから表向《おもてむき》挨拶をする必要もないのである。たゞ、斯《か》うして黙《だま》つてゐれば、平岡からは、内心で、冷淡な奴《やつ》だと悪《わる》く思はれるに極《きま》つてゐる。けれども今《いま》の代助はさう云ふ非難に対して、殆んど無感覚である。又実際自分はさう熱烈な人間《にんげん》ぢやないと考へてゐる。三四年前の自分になつて、今の自分を批判して見れば、自分は、堕落してゐるかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧して見ると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使ひ回《まは》してゐた。渡金《めつき》を金《きん》に通用させ様とする切《せつ》ない工面より、真鍮を真鍮で通《とほ》して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽《らく》である。と今は考へてゐる。
 代助が真鍮を以て甘《あま》んずる様になつたのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果を来《き》たしたといふ様な、小説じみた歴史を有《も》つてゐる為《ため》ではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によつて、次第々々に渡金《めつき》を自分で剥がして来《き》たに過《す》ぎない。代助は此|渡金《めつき》の大半をもつて、親爺《おやぢ》が捺摺《なす》り付けたものと信じてゐる。其|時分《じぶん》は親爺《おやぢ》が金《きん》に見えた。多くの先輩が金《きん》に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金《きん》に見えた。だから自分の渡金《めつき》が辛《つら》かつた。早く金《きん》になりたいと焦《あせ》つて見た。所が、他《ほか》のものゝ地金《ぢがね》へ、自分の眼光がぢかに打《ぶ》つかる様になつて以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思はれ出《だ》した。
 代助は同時に斯う考へた。自分が三四年の間に、是迄変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化してゐるだらう。昔しの自分なら、可成平岡によく思はれたい心から、斯んな場合には兄《あに》と喧嘩をしても、父《ちゝ》と口論をしても、平岡の為《ため》に計つたらう、又其|計《はか》つた通りを平岡の所へ来《き》て事々《こと/″\》しく吹聴したらうが、それを予期するのは、矢っ張り昔しの平岡で、今の彼は左程に友達を重くは見てゐまい。
 それで肝心の話は一二言で已《や》めて、あとは色々な雑談に時を過《す》ごすうちに酒が出《で》た。三千代が徳利の尻《しり》を持つて御酌をした。

六の六

 平岡は酔《よ》ふに従つて、段々|口《くち》が多くなつて来《き》た。此男《このをとこ》はいくら酔つても、中《なか》/\平生を離れない事がある。かと思ふと、大変に元気づいて、調子に一種の悦楽《えつらく》を帯びて来《く》る。さうなると、普通の酒家以上に、能く弁する上に、時としては比較的|真面目《まじめ》な問題を持ち出して、相手と議論を上下して楽《たの》し気《げ》に見える。代助は其昔し、麦酒《ビール》の壜《びん》を互《たがひ》の間《あひだ》に並《なら》べて、よく平岡と戦《たゝか》つた事を覚えてゐる。代助に取つて不思議とも思はれるのは、平岡が斯《か》う云ふ状態に陥つた時が、一番平岡と議論がしやすいと云ふ自覚であつた。又酒を呑んで本音《ほんね》を吐《は》かうか、と平岡の方からよく云つたものだ。今日《こんにち》の二人《ふたり》の境界は其|時分《じぶん》とは、大分|離《はな》れて来《き》た。さうして、其離れて、近《ちか》づく路《みち》を見出し悪《にく》い事実を、双方共に腹の中《なか》で心得てゐる。東京へ着《つ》いた翌日《あくるひ》、三年振りで邂逅した二人《ふたり》は、其時《そのとき》既《すで》に、二人《ふたり》ともに何時《いつ》か互《たがひ》の傍《そば》を立退《たちの》いてゐたことを発見した。
 所が今日《けふ》は妙である。酒《さけ》に親《した》しめば親《した》しむ程、平岡が昔《むかし》の調子を出《だ》して来《き》た。旨《うま》い局所へ酒が回《まは》つて、刻下《こくか》の経済や、目前の生活や、又それに伴ふ苦痛やら、不平やら、心の底の騒《さわ》がしさやらを全然|痲痺《まひ》[#「痲痺」は底本では「痳痺」]して仕舞つた様に見える。平岡の談話は一躍《いちやく》して高《たか》い平面に飛び上《あ》がつた。
「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働《はた》らいてゐる。又是からも働《はた》らく積《つもり》だ。君は僕の失敗したのを見て笑つてゐる。――笑はないたつて、要するに笑つてると同じ事に帰着するんだから構はない。いゝか、君は笑つてゐる。笑つてゐるが、其君《そのきみ》は何も為《し》ないぢやないか。君は世の中《なか》を、有《あり》の儘《まゝ》で受け取る男だ。言葉を換えて云ふと、意志を発展させる事の出来ない男だらう。意志がないと云ふのは嘘《うそ》だ。人間だもの。其証拠には、始終物足りないに違《ちがひ》ない。僕は僕の意志を現実社会に働《はたら》き掛《か》けて、其現実社会が、僕の意志の為《ため》に、幾分でも、僕の思ひ通りになつたと云ふ確証を握らなくつちや、生きてゐられないね。そこに僕と云ふものゝ存在の価値《かち》を認めるんだ。君はたゞ考へてゐる。考へてる丈だから、頭《あたま》の中《なか》の世界と、頭《あたま》の外《そと》の世界を別々《べつ/\》に建立《こんりう》して生きてゐる。此大不調和を忍んでゐる所が、既に無形の大失敗ぢやないか。何故《なぜ》と云つて見給へ。僕のは其不調和を外《そと》へ出《だ》した迄で、君のは内に押し込んで置く丈の話だから、外面《ぐわいめん》に押し掛けた丈、僕の方が本当の失敗の度《ど》は少《すく》ないかも知れない。でも僕は君に笑はれてゐる。さうして僕は君を笑ふ事が出来ない。いや笑ひたいんだが、世間から見ると、笑つちや不可《いけ》ないんだらう」
「何《なに》笑《わら》つても構はない。君が僕を笑ふ前に、僕は既に自分を笑つてゐるんだから」
「そりや、嘘《うそ》だ。ねえ三千代《みちよ》」
 三千代《みちよ》は先刻《さつき》から黙《だま》つて坐《すは》つてゐたが、夫《おつと》から不意に相談を受けた時、にこりと笑つて、代助を見た。
「本当でせう、三千代《みちよ》さん」と云ひながら、代助は盃《さかづき》を出《だ》して、酒を受《う》けた。
「そりや嘘《うそ》だ。おれの細君が、いくら弁護《べんご》したつて、嘘《うそ》だ。尤も君は人《ひと》を笑《わら》つても、自分を笑つても、両方共|頭《あたま》の中《なか》で遣《や》る人だから、嘘《うそ》か本当か其辺はしかと分《わか》らないが……」
「冗談云つちや不可《いけ》ない」
「冗談ぢやない。全く本気の沙汰であります。そりや昔《むかし》の君《きみ》はさうぢや無《な》かつた。昔の君はさうぢや無《な》かつたが、今の君は大分|違《ちが》つてるよ。ねえ三千代《みちよ》。長井《ながゐ》は誰《だれ》が見たつて、大得意ぢやないか」
「何《なん》だか先刻《さつき》から、傍《そば》で伺《うか》がつてると、貴方《あなた》の方が余っ程御得意の様よ」
 平岡は大きな声を出してハヽヽと笑つた。三千代《みちよ》は燗《かん》徳利を持つて次《つぎ》の間へ立《た》つた。

六の七

 平岡は膳の上《うへ》の肴《さかな》を二口三口《ふたくちみくち》、箸《はし》で突つついて、下を向いた儘、むしや/\云はしてゐたが、やがて、どろんとした眼《め》を上げて、云つた。――
「今日《けふ》は久し振《ぶ》りに好《い》い心持に酔つた。なあ君。――君はあんまり好《い》い心持にならないね。何《ど》うも怪《け》しからん。僕が昔《むかし》の平岡常次郎になつてるのに、君が昔《むかし》の長井代助にならないのは怪《け》しからん。是非なり給《たま》へ。さうして、大いに遣《や》つて呉《く》れ給《たま》へ。僕《ぼく》も是《これ》から遣《や》る。から君《きみ》も遣《や》つて呉れ給《たま》へ」
 代助は此言葉のうちに、今の自己を昔《むかし》に返《かへ》さうとする真卒な又無邪気な一種の努力を認《みと》めた。さうして、それに動《うご》かされた。けれども一方では、一昨日《おとゝひ》、食《く》つた麺麭《パン》を今|返《かへ》せと強請《ねだ》られる様な気がした。
「君は酒を呑むと、言葉丈酔払つても、頭《あたま》は大抵|確《たし》かな男だから、僕も云ふがね」
「それだ。それでこそ長井君だ」
 代助は急に云ふのが厭《いや》になつた。
「君、頭《あたま》は確《たしか》かい」と聞いた。
「確《たしか》だとも。君さへ確《たしか》なら此方《こつち》は何時《いつ》でも確《たしか》だ」と云つて、ちやんと代助の顔を見た。実際自分の云ふ通りの男である。そこで代助が云つた。――
「君はさつきから、働《はた》らかない/\と云つて、大分|僕《ぼく》を攻撃したが、僕は黙《だま》つてゐた。攻撃される通り僕は働《はた》らかない積《つもり》だから黙《だま》つてゐた」
「何故《なぜ》働《はたら》かない」
「何故《なぜ》働《はたら》かないつて、そりや僕が悪《わる》いんぢやない。つまり世《よ》の中《なか》が悪《わる》いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働《はたら》かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏|震《ぶる》ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時《いつ》になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許《ばか》りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行《おくゆき》を削《けづ》つて、一等国丈の間口《まぐち》を張《は》つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨《ひさん》なものだ。牛《うし》と競争をする蛙《かへる》と同じ事で、もう君、腹《はら》が裂《さ》けるよ。其影響はみんな我々個人の上《うへ》に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭《あたま》に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日《こんにち》の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊《こんぱい》と、身体の衰弱とは不幸にして伴《とも》なつてゐる。のみならず、道徳の敗退《はいたい》も一所に来《き》てゐる。日本国中|何所《どこ》を見渡したつて、輝《かゞや》いてる断面《だんめん》は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其|間《あひだ》に立つて僕|一人《ひとり》が、何と云つたつて、何を為《し》たつて、仕様がないさ。僕は元来|怠《なま》けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠《なま》けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣《や》る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝《か》つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来《く》るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂|有《あり》の儘の世界を、有の儘で受取つて、其|中《うち》僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外《ほか》の人を、此方《こつち》の考へ通りにするなんて、到底|出来《でき》た話ぢやありやしないもの――」
 代助は一寸《ちよつと》息《いき》を継《つ》いだ。さうして、一寸《ちよつと》窮屈《きうくつ》さうに控えてゐる三《み》千代の方を見て、御世辞を遣《つか》つた。
「三千代《みちよ》さん。どうです、私《わたし》の考《かんがへ》は。随分|呑気《のんき》で宜《い》いでせう。賛成しませんか」
「何《なん》だか厭世の様な呑気《のんき》の様な妙なのね。私《わたくし》よく分《わか》らないわ。けれども、少し胡麻化《ごまくわ》して入らつしやる様よ」
「へええ。何処《どこ》ん所《ところ》を」
「何処《どこ》ん所《ところ》つて、ねえ貴方《あなた》」と三千代《みちよ》は夫《おつと》を見た。平岡は股《もゝ》の上《うへ》へ肱《ひぢ》を乗《の》せて、肱《ひぢ》の上へ顎《あご》を載《の》せて黙《だま》つてゐたが、何にも云はずに盃《さかづき》を代助の前に出《だ》した。代助も黙つて受けた。三千代は又酌をした。

六の八

 代助は盃《さかづき》へ唇《くちびる》を付《つ》けながら、是から先《さき》はもう云ふ必要がないと感じた。元来が平岡を自分の様に考へ直《なほ》させる為《ため》の弁論でもなし、又平岡から意見されに来《き》た訪問でもない。二人《ふたり》はいつ迄|立《た》つても、二人《ふたり》として離《はな》れてゐなければならない運命を有《も》つてゐるんだと、始めから心付《こゝろづい》てゐるから、議論は能い加減に引き上《あ》げて、三千代《みちよ》の仲間《なかま》入りの出来る様な、普通の社交上の題目に談話を持つて来《き》やうと試みた。
 けれども、平岡は酔ふとしつこくなる男であつた。胸毛《むなげ》の奥《おく》迄赤くなつた胸《むね》を突き出《だ》して、斯う云つた。
「そいつは面白い。大いに面白い。僕見た様に局部に当《あた》つて、現実と悪闘《あくとう》してゐるものは、そんな事を考へる余地がない。日本が貧弱《ひんじやく》だつて、弱虫《よはむし》だつて、働《はた》らいてるうちは、忘れてゐるからね。世の中《なか》が堕落《だらく》したつて、世の中《なか》の堕落に気が付《つ》かないで、其|中《うち》に活動するんだからね。君の様な暇人《ひまじん》から見れば日本の貧乏《びんぼう》や、僕等の堕落《だらく》が気になるかも知れないが、それは此社会に用のない傍観者にして始めて口《くち》にすべき事だ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、さうなるんだ。忙《いそ》がしい時は、自分の顔の事なんか、誰だつて忘れてゐるぢやないか」
 平岡は※[#「口+堯」、104-10]舌《しやべ》つてるうち、自然と此比喩に打《ぶ》つかつて、大いなる味方を得た様な心持がしたので、其所《そこ》で得意に一段落をつけた。代助は仕方《しかた》なしに薄笑《うすわら》ひをした。すると平岡はすぐ後《あと》を附加《つけくは》へた。
「君は金《かね》に不自由しないから不可《いけ》ない。生活に困《こま》らないから、働《はた》らく気にならないんだ。要するに坊《ぼつ》ちやんだから、品《ひん》の好《い》い様なこと許《ばつ》かり云つてゐて、――」
 代助は少々平岡が小憎《こにくら》しくなつたので、突然中途で相手を遮《さへ》ぎつた。
「働《はた》らくのも可《い》いが、働《はた》らくなら、生活以上の働《はたらき》でなくつちや名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭《パン》を離れてゐる」
 平岡は不思議に不愉快な眼《め》をして、代助の顔《かほ》を窺《うかゞ》つた。さうして、
「何故《なぜ》」と聞《き》いた。
「何故《なぜ》つて、生活の為《た》めの労力は、労力の為《た》めの労力でないもの」
「そんな論理学の命題《めいだい》見た様なものは分《わか》らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云つてくれ」
「つまり食《く》ふ為《た》めの職業は、誠実にや出来|悪《にく》いと云ふ意味さ」
「僕の考へとは丸で反対だね。食ふ為めだから、猛烈に働らく気になるんだらう」
「猛烈には働《はた》らけるかも知れないが誠実には働《はた》らき悪《にく》いよ。食《く》ふ為《ため》の働《はた》らきと云ふと、つまり食《く》ふのと、働《はた》らくのと何方《どつち》が目的だと思ふ」
「無論|食《く》ふ方さ」
「夫れ見給へ。食《く》ふ方が目的で働《はた》らく方が方便なら、食《く》ひ易《やす》い様に、働《はた》らき方《かた》を合《あは》せて行くのが当然だらう。さうすりや、何を働《はた》らいたつて、又どう働《はた》らいたつて、構はない、只|麺麭《パン》が得られゝば好《い》いと云ふ事に帰着して仕舞ふぢやないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から掣肘される以上は、其労力は堕落の労力だ」
「まだ理論的だね、何《ど》うも。夫で一向差支ないぢやないか」
「では極《ごく》上品な例で説明してやらう。古臭《ふるくさ》い話《はなし》だが、ある本で斯《こ》んな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱へた所が、始めて、其料理人の拵《こしら》へたものを食《く》つて見ると頗《すこぶ》る不味《まづ》かつたんで、大変|小言《こごと》を云つたさうだ。料理人の方では最上の料理を食《く》はして、叱《しか》られたものだから、其次《そのつぎ》からは二流もしくは三流の料理を主人《しゆじん》にあてがつて、始終|褒《ほ》められたさうだ。此料理人を見給へ。生活の為《ため》に働らく事は抜目《ぬけめ》のない男だらうが、自分の技芸たる料理其物のために働《はた》らく点から云へば、頗る不誠実ぢやないか、堕落料理人ぢやないか」
「だつて左様《さう》しなければ解雇されるんだから仕方があるまい」
「だからさ。衣食に不自由のない人が、云はゞ、物数奇にやる働《はた》らきでなくつちや、真面目《まじめ》な仕事は出来《でき》るものぢやないんだよ」
「さうすると、君の様な身分のものでなくつちや、神聖の労力は出来ない訳だ。ぢや益《ます/\》遣《や》る義務がある。なあ三千代」
「本当ですわ」
「何だか話《はなし》が、元《もと》へ戻つちまつた。是だから議論は不可《いけ》ないよ」と云つて、代助は頭《あたま》を掻《か》いた。議論はそれで、とう/\御仕舞になつた。

七の一

 代助は風呂《ふろ》へ這入《はいつ》た。
「先生、何《ど》うです、御燗《おかん》は。もう少し燃《も》させませうか」と門野《かどの》が突然《とつぜん》入り口《ぐち》から顔《かほ》を出《だ》した。門野《かどの》は斯《か》う云ふ事には能《よ》く気《き》の付《つ》く男である。代助は、凝《じつ》と湯《ゆ》に浸《つか》つた儘、
「結構《けつこう》」と答へた。すると、門野《かどの》が、
「ですか」と云ひ棄《す》てゝ、茶の間《ま》の方へ引き返《かへ》した。代助は門野《かどの》の返事のし具合に、いたく興味を有《も》つて、独りにや/\と笑つた。代助には人《ひと》の感じ得ない事を感じる神経がある。それが為《ため》時々《とき/″\》苦しい思《おもひ》もする。ある時、友達の御親爺《おやぢ》さんが死んで、葬式の供《とも》に立つたが、不図其友達が装束を着《き》て、青竹を突《つ》いて、柩《ひつぎ》のあとへ付《つ》いて行く姿《すがた》を見て可笑《おか》しくなつて困つた事がある。又ある時は、自分の父《ちゝ》から御談義を聞いてゐる最中に、何の気もなく父《ちゝ》の顔を見たら、急に吹き出《だ》したくなつて弱り抜《ぬ》いた事がある。自宅に風呂を買《か》はない時分には、つい近所の銭湯《せんとう》に行つたが、其所《そこ》に一人《ひとり》の骨骼《こつかく》の逞ましい三助《さんすけ》がゐた。是が行くたんびに、奥《おく》から飛び出《だ》して来《き》て、流《なが》しませうと云つては脊中《せなか》を擦《こす》る。代助は其奴《そいつ》に体《からだ》をごし/\遣《や》られる度《たび》に、どうしても、埃及人《エジプトじん》に遣《や》られてゐる様な気がした。いくら思ひ返しても日本人とは思へなかつた。
 まだ不思議な事がある。此間、ある書物を読んだら、ウエーバーと云ふ生理学者は自分の心臓《しんぞう》の鼓動を、増したり、減《へら》したり、随意に変化さしたと書いてあつたので、平生から鼓動を試験する癖《くせ》のある代助は、ためしに遣《や》つて見たくなつて、一日《いちじつ》に二三回位|怖々《こわ/″\》ながら試《ため》してゐるうちに、何《ど》うやら、ウエーバーと同じ様になりさうなので、急に驚ろいて已めにした。
 湯のなかに、静《しづ》かに浸《つか》つてゐた代助は、何の気なしに右の手を左の胸の上《うへ》へ持つて行つたが、どん/\と云ふ命《いのち》の音《おと》を二三度聞くや否や、忽ちウエーバーを思ひ出《だ》して、すぐ流《なが》しへ下《お》りた。さうして、其所《そこ》に胡坐《あぐら》をかいた儘、茫然と、自分の足《あし》を見詰めてゐた。すると其|足《あし》が変になり始めた。どうも自分の胴から生《は》えてゐるんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所《そこ》に無作法に横《よこた》はつてゐる様に思はれて来《き》た。さうなると、今迄は気が付《つ》かなかつたが、実《じつ》に見るに堪えない程醜くいものである。毛が不揃《むら》に延《の》びて、青《あを》い筋《すぢ》が所々《ところ/″\》に蔓《はびこ》つて、如何にも不思議な動物である。
 代助は又|湯《ゆ》に這入つて、平岡の云つた通り、全たく暇《ひま》があり過《す》ぎるので、こんな事迄考へるのかと思つた。湯から出《で》て、鏡に自分の姿を写《うつ》した時、又平岡の言葉を思ひ出《だ》した。幅の厚《あつ》い西洋|髪剃《かみそり》で、顎《あご》と頬を剃《そ》る段《だん》になつて、其|鋭《する》どい刃《は》が、鏡《かゞみ》の裏《うら》で閃《ひらめ》く色が、一種むづ痒《がゆ》い様な気持を起《おこ》さした。是《これ》が烈敷《はげしく》なると、高い塔の上から、遥かの下《した》を見下《みおろ》すのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃り終《おは》つた。
 茶の間《ま》を抜《ぬ》け様とする拍子に、
「何《ど》うも先生は旨《うま》いよ」と門野《かどの》が婆《ばあ》さんに話《はな》してゐた。
「何《なに》が旨《うま》いんだ」と代助は立ちながら、門野を見た。門野《かどの》は、
「やあ、もう御上《おあが》りですか。早いですな」と答へた。此挨拶では、もう一遍、何が旨《うま》いんだと聞かれもしなくなつたので、其儘書斎へ帰《かへ》つて、椅子《いす》に腰《こし》を掛けて休息してゐた。
 休息しながら、斯《か》う頭《あたま》が妙な方面に鋭どく働《はたら》き出《だ》しちや、身体《からだ》の毒だから、些《ち》と旅行でもしやうかと思つて見た。一《ひと》つは近来持ち上《あが》つた結婚問題を避《さ》けるに都合が好《い》いとも考へた。すると又平岡の事が妙に気に掛《かゝ》つて、転地する計画をすぐ打ち消して仕舞つた。それを能く煎じ詰めて見ると、平岡の事が気に掛るのではない、矢っ張り三千代《みちよ》の事が気にかかるのである。代助は其所《そこ》迄押して来《き》ても、別段不徳義とは感じなかつた。寧ろ愉快な心持がした。

七の二

 代助が三千代《みちよ》と知《し》り合《あひ》になつたのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生の頃《ころ》であつた。代助は長井|家《け》の関係から、当時交際社会の表面にあらはれて出《で》た、若い女の顔も名も、沢山に知つてゐた。けれども三千代は其方面の婦人ではなかつた。色合《いろあひ》から云ふと、もつと地味《ぢみ》で、気持《きもち》から云ふと、もう少し沈《しづ》んでゐた。其頃、代助の学友に菅沼《すがぬま》と云ふのがあつて、代助とも平岡とも、親しく附合《つきあ》つてゐた。三千代《みちよ》は其妹《そのいもと》である。
 此|菅沼《すがぬま》は東京近県のもので、学生になつた二年目の春《はる》、修業の為《ため》と号して、国《くに》から妹を連《つ》れて来《く》ると同時に、今迄の下宿を引き払《はら》つて、二人《ふたり》して家《いへ》を持つた。其時|妹《いもと》は国《くに》の高等女学校を卒業した許《ばかり》で、年《とし》は慥《たしか》十八とか云ふ話《はなし》であつたが、派出な半襟を掛《か》けて、肩上《かたあげ》をしてゐた。さうして程なくある女学校へ通《かよ》ひ始《はじ》めた。
 菅沼の家《いへ》は谷中《やなか》の清水町《しみづちよう》で、庭《には》のない代りに、椽側へ出《で》ると、上野の森《もり》の古《ふる》い杉《すぎ》が高《たか》く見えた。それがまた、錆《さび》た鉄《てつ》の様に、頗《すこぶ》る異《あや》しい色《いろ》をしてゐた。其《その》一本は殆んど枯《か》れ掛《か》かつて、上《うへ》の方には丸裸《まるはだか》の骨許《ほねばかり》残つた所に、夕方《ゆふがた》になると烏が沢山集まつて鳴いてゐた。隣には若《わか》い画家《ゑかき》が住《す》んでゐた。車《くるま》もあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居《すまゐ》であつた。
 代助は其所《そこ》へ能《よ》く遊びに行《い》つた。始めて三千代《みちよ》に逢《あ》つた時、三千代はたゞ御辞儀をした丈で引込んで仕舞つた。代助は上野の森を評して帰つて来《き》た。二返行つても、三返行つても、三千代はたゞ御茶を持《も》つて出《で》る丈であつた。其|癖《くせ》狭い家《うち》だから、隣《となり》の室《へや》にゐるより外はなかつた。代助は菅沼と話《はな》しながら、隣《となり》の室《へや》に三千代がゐて、自分の話を聴いてゐるといふ自覚を去る訳に行《ゆ》かなかつた。
 三千代《みちよ》と口《くち》を利《き》き出《だ》したのは、どんな機会《はづみ》であつたか、今では代助の記憶に残つてゐない。残つて居《ゐ》ない程、瑣末な尋常の出来事から起つたのだらう。詩や小説に厭《あ》いた代助には、それが却つて面白かつた。けれども一旦|口《くち》を利《き》き出《だ》してからは、矢っ張り詩や小説と同じ様に、二人《ふたり》はすぐ心安《こゝろやす》くなつて仕舞つた。
 平岡も、代助の様に、よく菅沼《すがぬま》の家《うち》へ遊《あそ》びに来《き》た。あるときは二人《ふたり》連《つ》れ立《だ》つて、来《き》た事もある。さうして、代助と前後して、三千代《みちよ》と懇意になつた。三千代は兄と此|二人《ふたり》に食付《くつつ》いて、時々池の端《はた》抔を散歩した事がある。
 四人《よつたり》は此関係で約二年《やくにねん》足らず過《す》ごした。すると菅沼《すがぬま》の卒業する年《とし》の春《はる》、菅沼《すがぬま》の母《はゝ》と云ふのが、田舎《いなか》から遊《あそ》びに出《で》て来《き》て、しばらく清水《しみづ》町に泊《とま》つてゐた。此|母《はゝ》は年に一二度づつは上京して、子供の家に五六日|寐起《ねおき》する例になつてゐたんだが、其時は帰る前日《ぜんじつ》から熱《ねつ》が出《で》だして、全く動《うご》けなくなつた。それが一週間の後|窒扶斯《ちふす》と判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護の為《ため》附添《つきそひ》として一所に病院に移つた。病人の経過は、一時稍佳良であつたが、中途からぶり返《かへ》して、とう/\死んで仕舞つた。それ許《ばかり》ではない。窒扶斯《ちふす》が、見舞に来《き》た兄《あに》に伝染して、是も程なく亡《な》くなつた。国《くに》にはたゞ父親《ちゝおや》が一人《ひとり》残《のこ》つた。
 それが母《はゝ》の死んだ時も、菅沼《すがぬま》の死んだ時も出《で》て来《き》て、始末をしたので、生前に関係の深《ふか》かつた代助とも平岡とも知り合になつた。三千代を連《つ》れて国へ帰る時は、娘とともに二人《ふたり》の下宿を別々に訪《たづ》ねて、暇乞《いとまごひ》旁《かた/″\》礼を述《の》べた。
 其年《そのとし》の秋、平岡は三千代と結婚した。さうして其|間《あひだ》に立つたものは代助であつた。尤も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式に連《つら》なつて貰つたのだが、身体《からだ》を動《うご》かして、三千代《みちよ》の方を纏《まと》めたものは代助であつた。
 結婚して間《ま》もなく二人《ふたり》は東京を去つた。国に居《ゐ》た父《ちゝ》は思はざるある事情の為《ため》に余儀なくされて、是も亦北海道へ行つて仕舞つた。三千代《みちよ》は何方《どつち》かと云へば、今《いま》心細い境遇に居る。どうかして、此東京に落付《おちつ》いてゐられる様にして遣《や》りたい気がする。代助はもう一返|嫂《あによめ》に相談して、此間《このあひだ》の金《かね》を調達する工面をして見やうかと思つた。又|三千代《みちよ》に逢つて、もう少し立ち入つた事情を委《くわ》しく聞いて見やうかと思つた。

七の三

 けれども、平岡へ行つた所で、三千代が無暗に洗《あら》ひ浚《ざら》い※[#「口+堯」、112-13]舌《しやべ》り散《ち》らす女ではなし、よしんば何《ど》うして、そんな金《かね》が要《い》る様になつたかの事情を、詳しく聞《き》き得たにした所で、夫婦《ふうふ》の腹《はら》の中《なか》なんぞは容易に探《さぐ》られる訳のものではない。――代助の心の底を能く見詰めてゐると、彼《かれ》の本当に知りたい点は、却つて此所《こゝ》に在ると、自から承認しなければならなくなる。だから正直を云ふと、何故《なにゆへ》に金《かね》が入用であるかを研究する必要は、もう既に通り越してゐたのである。実は外面の事情は聞いても聞《き》かなくつても、三千代に金《かね》を貸して満足させたい方であつた。けれども三千代の歓心を買ふ目的を以て、其手段として金《かね》を拵《こしら》へる気は丸でなかつた。代助は三千代に対して、それ程政略的な料簡を起す余裕を有《も》つてゐなかつたのである。
 其上《そのうへ》平岡の留守へ行き中《あ》てゝ、今日《こんにち》迄の事情を、特に経済の点に関して丈でも、充分聞き出すのは困難である。平岡が家《うち》にゐる以上は、詳しい話《はなし》の出来ないのは知れ切つてゐる。出来ても、それを一から十迄|真《ま》に受ける訳には行かない。平岡は世間的な色々の動機から、代助に見栄《みえ》を張つてゐる。見栄《みえ》の入らない所でも一種の考から沈黙を守つてゐる。
 代助は、兎も角もまづ嫂《あによめ》に相談して見やうと決心した。さうして、自分ながら甚だ覚束ないとは思つた。今迄|嫂《あによめ》にちび/\、無心を吹き掛けた事は何度もあるが、斯《か》う短兵急に痛《いた》め付けるのは始めてゞである。然し梅子は自分の自由になる資産をいくらか持《も》つてゐるから、或は出来ないとも限らない。夫《それ》で駄目なら、又高利でも借《か》りるのだが、代助はまだ其所《そこ》迄には気が進んでゐなかつた。たゞ早晩平岡から表向きに、連帯責任を強ひられて、それを断わり切れない位なら、一層《いつそ》此方《こつち》から進んで、直接に三千代《みちよ》を喜ばしてやる方が遥かに愉快だといふ取捨の念丈は殆んど理窟を離れて、頭《あたま》の中《なか》に潜《ひそ》んでゐた。
 生暖《なまあたゝ》かい風《かぜ》の吹《ふ》く日であつた。曇《くも》つた天気が何時迄《いつまで》も無精《ぶせう》に空《そら》に引掛《ひつかゝ》つて、中々《なか/\》暮《く》れさうにない四時過から家《うち》を出《で》て、兄《あに》の宅迄《たくまで》電車で行つた。青山《あをやま》御所の少《すこ》し手前迄|来《く》ると、電車の左側《ひだりがは》を父《ちゝ》と兄《あに》が綱曳《つなびき》で急《いそ》がして通《とほ》つた。挨拶《あいさつ》をする暇《ひま》もないうちに擦《す》れ違《ちが》つたから、向ふは元より気が付《つ》かずに過《す》ぎ去つた。代助は次《つぎ》の停留所で下《お》りた。
 兄《あに》の家《いへ》の門を這入ると、客間《きやくま》でピアノの音《おと》がした。代助は一寸《ちよつと》砂利の上《うへ》に立ち留《どま》つたが、すぐ左へ切れて勝手|口《ぐち》の方へ廻つた。其所《そこ》には格子の外《そと》に、ヘクターと云ふ英国産の大きな犬が、大きな口《くち》を革|紐《ひも》で縛《しば》られて臥《ね》てゐた。代助の足音を聞《き》くや否や、ヘクターは毛の長い耳《みゝ》を振《ふる》つて、斑《まだら》な顔《かほ》を急に上《あ》げた。さうして尾を揺《うご》かした。
 入口《いりぐち》の書生部屋を覗き込んで、敷居の上《うへ》に立ちながら、二言三言《ふたことみこと》愛嬌を云つた後《あと》、すぐ西洋|間《ま》の方へ来《き》て、戸《と》を明《あ》けると、嫂《あによめ》がピヤノの前に腰を掛けて両手を動《うご》かして居た。其傍《そのそば》に縫《ぬひ》子が袖《そで》の長い着物を着《き》て、例の髪《かみ》を肩迄掛けて立《た》つてゐた。代助は縫《ぬひ》子の髪《かみ》を見るたんびに、ブランコに乗《の》つた縫子の姿《すがた》を思ひ出《だ》す。黒《くろ》い髪《かみ》と、淡紅色《ときいろ》のリボンと、それから黄色い縮緬《ちりめん》の帯が、一時《いちじ》に風に吹かれて空《くう》に流れる様《さま》を、鮮《あざや》かに頭《あたま》の中《なか》に刻み込んでゐる。
 母子《おやこ》は同時に振《ふ》り向いた。
「おや」
 縫子の方は、黙《だま》つて馳《か》けて来《き》た。さうして、代助の手をぐい/\引張《ひつぱ》つた。代助はピヤノの傍《そば》迄|来《き》た。
「如何なる名人が鳴《な》らしてゐるのかと思つた」
 梅子は何にも云はずに、額《ひたい》に八の字を寄《よ》せて、笑ひながら手を振り振り、代助の言葉を遮ぎつた。さうして、向《むか》ふから斯《か》う云つた。
「代さん、此所《こゝ》ん所《ところ》を一寸《ちよつと》遣《や》つて見《み》せて下《くだ》さい」
 代助は黙《だま》つて嫂《あによめ》と入れ替《かは》つた。譜《ふ》を見ながら、両方の指《ゆび》をしばらく奇麗に働《はたら》かした後《あと》、
「斯《か》うだらう」と云つて、すぐ席を離れた。

七の四

 それから三十分程の間《あひだ》、母子《おやこ》して交《かは》る/″\楽器の前に坐《すは》つては、一つ所《ところ》を復習してゐたが、やがて梅子が、
「もう廃《よ》しませう。彼方《あつち》へ行《い》つて、御飯《ごはん》でも食《たべ》ませう。叔父《おぢ》さんもゐらつしやい」と云ひながら立つた。部屋のなかはもう薄暗《うすぐら》くなつてゐた。代助は先刻《さつき》から、ピヤノの音《おと》を聞いて、嫂《あによめ》や姪《めい》の白い手の動《うご》く様子を見て、さうして時々《とき/″\》は例の欄間《らんま》の画《ゑ》を眺《なが》めて、三千代《みちよ》の事も、金《かね》を借《か》りる事も殆んど忘れてゐた。部屋を出《で》る時、振り返つたら、紺青《こんじやう》の波《なみ》が摧《くだ》けて、白く吹き返《かへ》す所|丈《だけ》が、暗《くら》い中《なか》に判然《はつきり》見えた。代助は此|大濤《おほなみ》の上《うへ》に黄金色《こがねいろ》の雲《くも》の峰《みね》を一面に描《か》かした。さうして、其|雲《くも》の峰《みね》をよく見ると、真裸《まはだか》な女性《によせう》の巨人《きよじん》が、髪《かみ》を乱《みだ》し、身を躍《おど》らして、一団となつて、暴《あ》れ狂つてゐる様《やう》に、旨《うま》く輪廓を取《と》らした。代助は※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ルキイルを雲《くも》に見立てた積で此図を注文したのである。彼は此|雲《くも》の峰だか、又巨大な女性だか、殆んど見分けの付《つ》かない、偉《い》な塊《かたまり》を脳中《のうちう》に髣髴《ほうふつ》して、ひそかに嬉《うれ》しがつてゐた。が偖出来|上《あが》つて、壁《かべ》の中《なか》へ嵌《は》め込んでみると、想像したよりは不味《まづ》かつた。梅子と共に部屋を出《で》た時《とき》は、此※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ルキイルは殆んど見えなかつた。紺青《こんじやう》の波は固より見えなかつた。たゞ白い泡《あは》の大きな塊《かたまり》が薄白《うすじろ》く見えた。
 居間《ゐま》にはもう電燈が点《つ》いてゐた。代助は其所《そこ》で、梅子と共に晩食《ばんしよく》を済《す》ました。子供|二人《ふたり》も卓《たく》を共にした。誠太郎に兄《あに》の部室《へや》からマニラを一本|取《と》つて来《こ》さして、夫《それ》を吹《ふ》かしながら、雑談をした。やがて、小供《こども》は明日《あした》の下読《したよみ》をする時間だと云ふので、母《はゝ》から注意を受けて、自分の部屋《へや》へ引き取《と》つたので、後《あと》は差し向《むかひ》になつた。
 代助は突然例の話《はなし》を持《も》ち出すのも、変なものだと思つて、関係のない所からそろ/\進行を始めた。先づ父《ちゝ》と兄《あに》が綱曳《つなつぴき》で車《くるま》を急《いそ》がして何所《どこ》へ行つたのだとか、此間《このあひだ》は兄《にい》さんに御馳走になつたとか、あなたは何故《なぜ》麻布の園遊会へ来《こ》なかつたのだとか、御父《おとう》さんの漢詩は大抵|法螺《ほら》だとか、色々《いろいろ》聞いたり答へたりして居《ゐ》るうちに、一つ新しい事実を発見した。それは外《ほか》でもない。父《ちゝ》と兄《あに》が、近来目に立《た》つ様に、忙《いそが》しさうに奔走し始めて、此四五日は碌々《ろく/\》寐《ね》るひまもない位だと云ふ報知である。全体何が始《はじま》つたんですと、代助は平気な顔《かほ》で聞いて見た。すると、嫂《あによめ》も普通の調子で、さうですね、何《なに》か始《はじま》つたんでせう。御父《おとう》さんも、兄《にい》さんも私《わたくし》には何《なん》にも仰《おつ》しやらないから、知《し》らないけれどもと答へて、代さんは、それよりか此間《このあひだ》の御嫁《およめ》さんをと云ひ掛けてゐる所へ、書生が這入つて来《き》た。
 今夜《こんや》も遅《おそ》くなる、もし、誰《だれ》と誰《だれ》が来《き》たら何《なん》とか屋《や》へ来《く》る様に云つて呉れと云ふ電話を伝《つた》へた儘、書生は再び出《で》て行《い》つた。代助は又結婚問題に話《はなし》が戻《もど》ると面倒だから、時に姉《ねえ》さん、些《ちつと》御|願《ねがひ》があつて来《き》たんだが、とすぐ切り出して仕舞つた。
 梅子《うめこ》は代助の云ふ事を素直《すなほ》に聞《き》いて居《ゐ》た。代助は凡てを話すに約十分許を費《つい》やした。最後に、
「だから思ひ切つて貸して下《くだ》さい」と云つた。すると梅子は真面目《まじめ》な顔をして、
「さうね。けれども全体|何時《いつ》返《かへ》す気なの」と思ひも寄《よ》らぬ事を問ひ返した。代助は顎《あご》の先《さき》を指《ゆび》で撮《つま》んだ儘、じつと嫂《あによめ》の気色《けしき》を窺《うかゞ》つた。梅子《うめこ》は益|真面目《まじめ》な顔《かほ》をして、又斯う云つた。
「皮肉ぢやないのよ。怒《おこ》つちや不可《いけ》ませんよ」
 代助は無論|怒《おこ》つてはゐなかつた。たゞ姉弟《けうだい》から斯《か》ういふ質問を受けやうと予期してゐなかつた丈である。今更|返《かへ》す気《き》だの、貰《もら》う積りだのと布衍《ふえん》すればする程馬鹿になる許《ばかり》だから、甘《あま》んじて打撃を受けてゐた丈である。梅子は漸やく手に余る弟を取つて抑えた様な気がしたので、後《あと》が大変云ひ易《やす》かつた。――

七の五

「代さん、あなたは不断《ふだん》から私《わたくし》を馬鹿にして御出《おいで》なさる。――いゝえ、厭味《いやみ》を云ふんぢやない、本当の事なんですもの、仕方がない。さうでせう」
「困《こま》りますね、左様《さう》真剣《しんけん》に詰問《きつもん》されちや」
「善《よ》ござんすよ。胡魔化《ごまくわ》さないでも。ちやんと分《わか》つてるんだから。だから正直に左様《さう》だと云つて御仕舞なさい。左様《さう》でないと、後《あと》が話《はな》せないから」
 代助は黙《だま》つてにや/\笑《わら》つてゐた。
「でせう。そら御覧なさい。けれども、それが当り前よ。ちつとも構《かま》やしません。いくら私《わたし》が威張つたつて、貴方《あなた》に敵《かな》ひつこないのは無論ですもの。私《わたし》と貴方《あなた》とは今迄|通《どほ》りの関係で、御互ひに満足なんだから、文句はありやしません。そりや夫《それ》で好《い》いとして、貴方《あなた》は御父《おとう》さんも馬鹿にして入らつしやるのね」
 代助は嫂《あによめ》の態度の真卒な所が気に入つた。それで、
「えゝ、少しは馬鹿にしてゐます」と答へた。すると梅子は左《さ》も愉快さうにハヽヽヽと笑つた。さうして云つた。
「兄《にい》さんも馬鹿にして入らつしやる」
「兄《にい》さんですか。兄《にい》さんは大いに尊敬してゐる」
「嘘《うそ》を仰《おつ》しやい。序《ついで》だから、みんな打《ぶ》ち散《ま》けて御|仕舞《しまひ》なさい」
「そりや、或点《あるてん》では馬鹿にしない事もない」
「それ御|覧《らん》なさい。あなたは一家族|中《ぢう》悉く馬鹿にして入らつしやる」
「どうも恐れ入りました」
「そんな言訳《いひわけ》はどうでも好《い》いんですよ。貴方《あなた》から見れば、みんな馬鹿にされる資格があるんだから」
「もう、廃《よ》さうぢやありませんか。今日《けふ》は中中《なかなか》きびしいですね」
「本当なのよ。夫《それ》で差支《さしつかへ》ないんですよ。喧嘩も何《なに》も起《おこ》らないんだから。けれどもね、そんなに偉《えら》い貴方《あなた》が、何故《なぜ》私《わたし》なんぞから御金《おかね》を借《か》りる必要があるの。可笑《おか》しいぢやありませんか。いえ、揚足《あげあし》を取ると思ふと、腹《はら》が立つでせう。左様《そん》なんぢやありません。それ程|偉《えら》い貴方《あなた》でも、御金《おかね》がないと、私《わたし》見た様なものに頭《あたま》を下《さ》げなけりやならなくなる」
「だから先《さつ》きから頭《あたま》を下《さ》げてゐるんです」
「まだ本気で聞いてゐらつしやらないのね」
「是が私《わたし》の本気な所なんです」
「ぢや、それも貴方《あなた》の偉《えら》い所かも知れない。然し誰《だれ》も御金《おかね》を貸《か》し手《て》がなくつて、今の御友達を救《すく》つて上《あ》げる事が出来なかつたら、何《ど》うなさる。いくら偉《えら》くつても駄目ぢやありませんか。無能力な事は車屋《くるまや》と同《おん》なしですもの」
 代助は今迄|嫂《あによめ》が是程適切な異見を自分に向つて加へ得やうとは思はなかつた。実は金《かね》の工面を思ひ立つてから、自分でも此弱点を冥々の裡《うち》に感じてゐたのである。
「全く車屋ですね。だから姉《ねえ》さんに頼《たの》むんです」
「仕方がないのね、貴方《あなた》は。あんまり、偉過《えらすぎ》て。一人《ひとり》で御|金《かね》を御|取《と》んなさいな。本当の車屋なら貸《か》して上げない事もないけれども、貴方《あなた》には厭《いや》よ。だつて余《あんま》りぢやありませんか。月々《つき/″\》兄《にい》さんや御父《おとう》さんの厄介になつた上《うへ》に、人《ひと》の分《ぶん》迄自分に引受けて、貸してやらうつて云ふんだから。誰《だれ》も出《だ》し度《たく》はないぢやありませんか」
 梅子の云ふ所は実に尤もである。然し代助は此|尤《もつとも》を通り越して、気が付《つ》かずにゐた。振り返つて見ると、後《うしろ》の方に姉《あね》と兄《あに》と父《ちゝ》がかたまつてゐた。自分も後戻《あともど》りをして、世間並《せけんなみ》にならなければならないと感じた。家《うち》を出《で》る時、嫂《あによめ》から無心を断わられるだらうとは気遣《きづか》つた。けれども夫《それ》が為《た》めに、大いに働《はた》らいて、自から金を取らねばならぬといふ決心は決して起し得なかつた。代助は此事件を夫程重くは見てゐなかつたのである。

七の六

 梅子は、此機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しやうと力めた。所が代助には梅子の腹《はら》がよく解《わか》つてゐた。解《わか》れば解《わか》る程激する気にならなかつた。そのうち話題は金《かね》を離れて、再び結婚に戻《もど》つて来《き》た。代助は最近の候補者に就て、此間《このあひだ》から親爺《おやぢ》に二度程|悩《なや》まされてゐる。親爺《おやぢ》の論理は何時《いつ》聞《き》いても昔し風に甚だ義理|堅《かた》いものであつたが、其代り今度は左程権柄づくでもなかつた。自分の命《いのち》の親《おや》に当《あた》る人《ひと》の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰《もら》つて呉れと云ふんである。さうすれば幾分か恩が返《かへ》せると云ふんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、丸で筋の立《た》たない主張であつた。尤も候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持つてゐなかつた事丈は慥かである。だから父《ちゝ》の云ふ事の当否は論弁の限《かぎり》にあらずとして、貰《もら》へば貰《もら》つても構《かま》はないのである。代助は此二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になつた如く、結婚《けつこん》に対しても、あまり重きを置く必要を認めてゐない。佐川の娘といふのは只写真で知つてゐる許であるが、夫丈でも沢山な様な気がする。――尤も写真は大分美くしかつた。――従つて、貰ふとなれば、左様《さう》面倒な条件を持ち出す考も何もない。たゞ、貰ひませうと云ふ確答が出《で》なかつた丈である。
 その不明晰な態度を、父《ちゝ》に評させると、丸で要領を得てゐない鈍物同様の挨拶振になる。結婚を生死の間《あひだ》に横《よこた》はる一大要件と見傚して、あらゆる他の出来事を、これに従属させる考の嫂《あによめ》から云はせると、不可思議になる。
「だつて、貴方《あなた》だつて、生涯|一人《ひとり》でゐる気でもないんでせう。さう我儘を云はないで、好《い》い加減な所で極《き》めて仕舞つたら何《ど》うです」と梅子は少《すこ》し焦《ぢ》れつたさうに云つた。
 生涯|一人《ひとり》でゐるか、或は妾《めかけ》を置いて暮《くら》すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた。只《たゞ》、今《いま》の彼は結婚といふものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持《も》てなかつた事は慥《たしか》である。是は、彼の性情が、一図に物に向つて集注し得ないのと、彼の頭《あたま》が普通以上に鋭《する》どくつて、しかも其|鋭《するど》さが、日本現代の社会状況のために、幻像《イリユージヨン》打破の方面に向《むか》つて、今日迄多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知つてゐるのとに帰着するのである。が代助は其所《そこ》迄解剖して考へる必要は認めてゐない。たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明《あきら》かな事実を握《にぎ》つて、それに応じて未来を自然に延《の》ばして行く気でゐる。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時《いつ》か之を成立させ様と喘《あせ》る努力を、不自然であり、不合理であり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。
 代助は固より斯《こ》んな哲理《フヒロソフヒー》を嫂《あによめ》に向つて講釈する気はない。が、段々押し詰《つめ》られると、苦し紛《まぎ》れに、
「だが、姉《ねえ》さん、僕は何《ど》うしても嫁《よめ》を貰《もら》はなければならないのかね」と聞《き》く事がある。代助は無論|真面目《まじめ》に聞《き》く積《つもり》だけれども、嫂《あによめ》の方では呆《あき》れて仕舞ふ。さうして、自分を茶にするのだと取る。梅子は其晩代助に向つて、平生《いつも》の手続《てつゞき》を繰《く》り返《かへ》した後《あと》で、斯《こ》んな事を云つた。
「妙なのね、そんなに厭《いや》がるのは。――厭《いや》なんぢやないつて、口《くち》では仰《おつ》しやるけれども、貰《もら》はなければ、厭《いや》なのと同《おん》なしぢやありませんか。それぢや誰《だれ》か好《す》きなのがあるんでせう。其方《そのかた》の名を仰《おつし》やい」
 代助は今迄|嫁《よめ》の候補者としては、たゞの一人も好《す》いた女《をんな》を頭《あたま》の中《なか》に指名してゐた覚がなかつた。が、今《いま》斯《か》う云はれた時、どう云ふ訳か、不意に三千代といふ名が心に浮かんだ。つゞいて、だから先刻《さつき》云つた金《かね》を貸して下《くだ》さい、といふ文句が自《おのづ》から頭《あたま》の中《なか》で出来上《できあが》つた。――けれども代助はたゞ苦笑して嫂《あによめ》の前に坐《すは》つてゐた。

八の一

 代助が嫂《あによめ》に失敗して帰つた夜《よ》は、大分《だいぶ》更《ふ》けてゐた。彼は辛《から》うじて青山の通りで、最後《さいご》の電車を捕《つら》まえた位である。それにも拘はらず彼《かれ》の話してゐる間《あひだ》には、父《ちゝ》も兄《あに》も帰つて来《こ》なかつた。尤も其間《そのあひだ》に梅子は電話|口《ぐち》へ二返呼ばれた。然し、嫂《あによめ》の様子に別段変つた所《ところ》もないので、代助は此方《こつち》から進んで何にも聞かなかつた。
 其夜《そのよ》は雨催《あめもよひ》の空《そら》が、地面《ぢめん》と同《おな》じ様な色《いろ》に見えた。停留所の赤い柱の傍《そば》に、たつた一人《ひとり》立《た》つて電車を待ち合はしてゐると、遠《とほ》い向《むか》ふから小さい火の玉《たま》があらはれて、それが一直線に暗い中《なか》を上下《うへした》に揺《ゆ》れつつ代助の方に近《ちかづ》いて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗《の》り込んで見ると、誰《だれ》も居なかつた。黒《くろ》い着物《きもの》を着《き》た車掌と運転手の間《あひだ》に挟《はさ》まれて、一種の音《おと》に埋《うづ》まつて動《うご》いて行くと、動《うご》いてゐる車《くるま》の外《そと》は真暗《まつくら》である。代助は一人《ひとり》明《あか》るい中《なか》に腰を掛《か》けて、どこ迄も電車に乗つて、終《つい》に下《お》りる機会が来《こ》ない迄引つ張り廻《まは》される様な気がした。
 神楽坂《かぐらざか》へかゝると、寂《ひつそ》りとした路《みち》が左右の二階家《にかいや》に挟《はさ》まれて、細長《ほそなが》く前《まへ》を塞《ふさ》いでゐた。中途迄|上《のぼ》つて来《き》たら、それが急に鳴り出《だ》した。代助は風《かぜ》が家《や》の棟《むね》に当る事と思つて、立ち留《ど》まつて暗《くら》い軒《のき》を見上げながら、屋根から空《そら》をぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲はれた。戸《と》と障子と硝子《がらす》の打《う》ち合《あ》ふ音《おと》が、見る/\烈《はげ》しくなつて、あゝ地震だと気が付《つ》いた時は、代助の足は立ちながら半ば竦《すく》んでゐた。其時代助は左右の二階|家《や》が坂《さか》を埋《うづ》むべく、双方から倒れて来《く》る様に感じた。すると、突然|右側《みぎかは》の潜《くゞ》り戸《ど》をがらりと開《あ》けて、小供を抱《だ》いた一人《ひとり》の男が、地震だ/\、大きな地震だと云つて出《で》て来た。代助は其男の声を聞いて漸く安心した。
 家《うち》へ着《つ》いたら、婆さんも門野《かどの》も大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人《ふたり》とも自分程には感じなかつたらうと考へた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置し様《やう》かと思案して見た。然し分別を凝《こ》らす迄には至らなかつた。父《ちゝ》と兄《あに》の近来の多忙は何事だらうと推して見た。結婚は愚図々々にして置かうと了簡を極《き》めた。さうして眠《ねむり》に入つた。
 其明日《そのあくるひ》の新聞に始めて日糖事件なるものがあらはれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金《かね》を使用して代議士の何名かを買収したと云ふ報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ々々々と評してゐたが、代助にはそれ程痛快にも思へなかつた。が、二三日するうちに取り調べを受けるものゝ数《かず》が大分多くなつて来《き》て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立《た》てる様になつた。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。其説明には、英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らし出《だ》したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下《くだ》したのだとあつた。
 日糖事件の起る少し前、東洋汽船といふ会社は、壱割二分の配当をした後《あと》の半期に、八十万円の欠損を報告した事があつた。それを代助は記憶して居た。其時の新聞が此報告を評して信を置くに足らんと云つた事も記憶してゐた。
 代助は自分の父《ちゝ》と兄《あに》の関係してゐる会社に就ては何事《なにごと》も知らなかつた。けれども、いつ何《ど》んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた。さうして、父《ちゝ》も兄《あに》もあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜|敷《し》い吟味をされたなら、両方共拘引に価《あたひ》する資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた。それ程でなくつても、父《ちゝ》と兄《あに》の財産が、彼等の脳力と手腕丈で、誰《だれ》が見ても尤《もつとも》と認める様に、作《つく》り上《あ》げられたとは肯《うけが》はなかつた。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与へた事がある。其時たゞ貰《もら》つた地面の御蔭で、今は非常な金満家になつたものがある。けれども是は寧ろ天の与へた偶然である。父《ちゝ》と兄《あに》の如きは、此自己にのみ幸福なる偶然を、人為的に且政略的に、暖室《むろ》を造つて、拵《こしら》え上《あ》げたんだらうと代助は鑑定してゐた。

八の二

 代助は斯《か》う云ふ考で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかつた。父《ちゝ》と兄《あに》の会社に就ても心配をする程正直ではなかつた。たゞ三千代の事丈が多少気に掛つた。けれども、徒手《てぶら》で行くのが面白くないんで、其うちの事と腹《はら》の中《なか》で料簡を定《さだ》めて、日々《にち/\》読書に耽つて四五日|過《すご》した。不思議な事に其後《そのご》例の金《かね》の件に就いては、平岡からも三千代からも何とも云つて来《こ》なかつた。代助は心《こゝろ》のうちに、あるひは三千代が又|一人《ひとり》で返事を聞《き》きに来《く》る事もあるだらうと、実《じつ》は心待《こゝろまち》に待つてゐたのだが、其甲斐はなかつた。
 仕舞にアンニユイを感じ出《だ》した。何処《どこ》か遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内を捜《さが》して、芝居でも見やうと云ふ気を起した。神楽坂から外濠《そとぼり》線へ乗つて、御茶の水《みづ》迄|来《く》るうちに気が変《かは》つて、森川丁にゐる寺尾といふ同窓の友達を尋ねる事にした。此男は学校を出ると、教師は厭《いや》だから文学を職業とすると云ひ出して、他《ほか》のものゝ留めるにも拘らず、危険な商買をやり始めた。やり始めてから三年になるが、未だに名声も上《あが》らず、窮々《きう/\》云つて原稿生活を持続してゐる。自分の関係のある雑誌に、何《なん》でも好《い》いから書けと逼《せま》るので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一ヶ月の間雑誌屋の店頭に曝《さら》されたぎり、永久人間世界から何処《どこ》かへ、運命の為めに持つて行かれて仕舞つた。それぎり代助は筆を執る事を御免蒙つた。寺尾は逢ふたんびに、もつと書け書けと勧める。さうして、己《おれ》を見ろと云ふのが口癖《くちくせ》であつた。けれども外《ほか》の人《ひと》に聞《き》くと、寺尾ももう陥落《かんらく》するだらうと云ふ評判であつた。大変露西亜ものが好《すき》で、ことに人が名前を知らない作家が好《すき》で、なけなしの銭《ぜに》を工面しては新刊|物《もの》を買ふのが道楽であつた。あまり気焔が高かつた時、代助が、文学者も恐露病に罹つてるうちはまだ駄目だ。一旦日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評《ひやかし》返した事がある。すると寺尾は真面目《まじめ》な顔《かほ》をして、戦争は何時《いつ》でもするが、日露戦争後の日本の様に往生しちや詰《つま》らんぢやないか。矢っ張り恐露病に罹つてる方が、卑怯でも安全だ、と答へて矢っ張り露西亜文学を鼓吹してゐた。
 玄関から座敷へ通つて見ると、寺尾は真中《まんなか》へ一貫|張《ばり》の机を据ゑて、頭痛がすると云つて鉢巻《はちまき》をして、腕まくりで、帝国文学の原稿を書《か》いてゐた。邪魔ならまた来《く》ると云ふと、帰らんでもいゝ、もう今朝《けさ》から五五《ごご》、二円五十銭丈|稼《かせ》いだからと云ふ挨拶であつた。やがて鉢巻《はちまき》を外《はづ》して、話《はなし》を始《はじ》めた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を眼の玉の飛び出る程痛快に罵倒し始めた。代助はそれを面白く聞いてゐた。然し腹の中では、寺尾の事を誰《だれ》も賞《ほ》めないので、其対抗運動として、自分の方では他《ひと》を貶《けな》すんだらうと思つた。ちと、左様《さう》云ふ意見を発表したら好《い》いぢやないかと勧めると、左様《さう》は行《い》かないよと笑つてゐる。何故《なぜ》と聞き返しても答へない。しばらくして、そりや君の様に気楽に暮《くら》せる身分なら随分云つて見せるが――何《なに》しろ食《く》ふんだからね。どうせ真面目《まじめ》な商買ぢやないさ。と云つた。代助は、夫《それ》で結構だ、確《しつ》かり遣《や》り玉へと奨励した。すると寺尾は、いや些《ちつ》とも結構ぢやない。どうかして、真面目《まじめ》になりたいと思つてゐる。どうだ、君ちつと金《かね》を借《か》して僕を真面目《まじめ》にする了見はないかと聞《き》いた。いや、君が今の様な事をして、夫《それ》で真面目《まじめ》だと思ふ様になつたら、其時借してやらうと調戯《からか》つて、代助は表へ出《で》た。
 本郷の通り迄|来《き》たが惓怠《アンニユイ》の感は依然として故《もと》の通りである。何処《どこ》をどう歩《ある》いても物足りない。と云つて、人《ひと》の宅《うち》を訪《たづ》ねる気はもう出《で》ない。自分を検査して見ると、身体《からだ》全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へ乗《の》つて、今度は伝通院前迄|来《き》た。車中で揺《ゆ》られるたびに、五尺何寸かある大きな胃|嚢《ぶくろ》の中《なか》で、腐《くさ》つたものが、波《なみ》を打つ感じがあつた。三時過ぎにぼんやり宅《うち》へ帰《かへ》つた。玄関で門野が、
「先刻《さつき》御|宅《たく》から御使《おつかい》でした。手紙は書斎の机の上《うへ》に載せて置きました。受取は一寸《ちよつと》私《わたくし》が書《か》いて渡《わた》して置《お》きました」と云つた。

八の三

 手紙《てがみ》は古風《こふう》な状箱《じようばこ》の中《うち》にあつた。其《その》赤塗《あかぬり》の表《おもて》には名宛《なあて》も何《なに》も書《か》かないで、真鍮《しんちう》の環《くわん》に通《とほ》した観世撚《かんじんより》の封《ふう》じ目《め》に黒《くろ》い墨《すみ》を着けてあつた。代助は机《つくえ》の上《うへ》を一目《ひとめ》見て、此手紙の主《ぬし》は嫂《あによめ》だとすぐ悟《さと》つた。嫂《あによめ》は斯《か》う云ふ旧式な趣味があつて、それが時々《とき/″\》思《おも》はぬ方角へ出《で》てくる。代助は鋏《はさみ》の先《さき》で観世撚《かんじんより》の結目《むすびめ》を突《つ》つつきながら、面倒な手数《てかず》だと思つた。
 けれども中《なか》にあつた手紙《てがみ》は、状箱とは正反対に、簡単な言文一致で用を済《すま》してゐた。此間《このあひだ》わざ/\来《き》て呉《く》れた時は、御依頼《おたのみ》通り取り計《はから》ひかねて、御気の毒をした。後《あと》から考へて見ると、其時《そのとき》色々無遠慮な失礼を云つた事が気にかゝる。どうか悪《わる》く取《と》つて下《くだ》さるな。其代り御金《おかね》を上《あ》げる。尤《もつと》もみんなと云ふ訳《わけ》には行かない。二百円丈都合して上《あ》げる。から夫《それ》をすぐ御友達《おともだち》の所へ届けて御上《おあ》げなさい。是は兄《にい》さんには内所《ないしよ》だから其積《そのつもり》でゐなくつては不可《いけ》ない。奥さんの事も宿題にするといふ約束だから、よく考へて返事をなさい。
 手紙《てがみ》の中《なか》に巻《ま》き込めて、二百円の小切手が這入《はい》つてゐた。代助は、しばらく、それを眺《なが》めてゐるうちに、梅子《うめこ》に済《す》まない様な気がして来《き》た。此|間《あひだ》の晩《ばん》、帰《かへ》りがけに、向《むかふ》から、ぢや御金《おかね》は要《い》らないのと聞《き》いた。貸《か》して呉れと切り込《こ》んで頼《たの》んだ時は、あゝ手痛《てきびし》く跳ね付けて置《お》きながら、いざ断念して帰る段になると、却つて断わつた方から、掛念《けねん》がつて駄目《だめ》を押《お》して出《で》た。代助はそこに女性《によしやう》の美くしさと弱《よは》さとを見た。さうして其弱さに付け入る勇気を失つた。此|美《うつく》しい弱点を弄《もてあそ》ぶに堪《た》えなかつたからである。えゝ要《い》りません、何《ど》うかなるでせうと云つて分《わか》れた。それを梅子は冷《ひやゝ》かな挨拶と思つたに違《ちがひ》ない。其|冷《ひやゝ》かな言葉が、梅子の平生の思ひ切つた動作《どうさ》の裏《うら》に、何処《どこ》にか引つ掛《かゝ》つてゐて、とう/\此手紙になつたのだらうと代助は判断した。
 代助はすぐ返事を書いた。さうして出来る丈|暖《あたゝ》かい言葉を使つて感謝の意を表した。代助が斯《か》う云ふ気分になる事は兄《あに》に対してもない。父《ちゝ》に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起《おこ》らなかつたのである。
 代助はすぐ三千代の所へ出掛け様かと考へた。実《じつ》を云ふと、二百円は代助に取つて中途半端《ちうとはんぱ》な額《たか》であつた。是丈《これだけ》呉れるなら、一層《いつそ》思ひ切つて、此方《こつち》の強請《ねだ》つた通りにして、満足を買へばいゝにと云ふ気も出《で》た。が、それは代助の頭《あたま》が梅子を離れて三千代の方へ向《む》いた時の事であつた。その上《うへ》、女は如何《いか》に思ひ切つた女でも、感情上|中途半端《ちうとはんぱ》なものであると信じてゐる代助には、それが別段不平にも思へなかつた。否《いな》女の斯う云ふ態度の方が、却つて男性の断然たる所置よりも、同情の弾力性を示してゐる点に於て、快《こゝろ》よいものと考へてゐた。だから、もし二百円を自分に贈つたものが、梅子でなくつて、父《ちゝ》であつたとすれば、代助は、それを経済的|中途半端《ちうとはんぱ》と解釈して、却つて不愉快な感に打たれたかも知れないのである
 代助は晩食《ばんめし》も食《く》はずに、すぐ又|表《おもて》へ出た。五軒町から江戸川の縁《へり》を伝《つた》つて、河《かは》を向《むかふ》へ越した時は、先刻《さつき》散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じてゐなかつた。坂を上《のぼ》つて伝通院の横へ出《で》ると、細く高い烟突が、寺《てら》と寺《てら》の間《あひだ》から、汚《きた》ない烟《けむ》を、雲《くも》の多い空《そら》に吐《は》いてゐた。代助はそれを見《み》て、貧弱な工業が、生存の為《ため》に無理に吐《つ》く呼吸《いき》を見苦《みぐる》しいものと思つた。さうして其|近《ちか》くに住《す》む平岡と、此烟突とを暗々《あん/\》の裏《うち》に連想せずにはゐられなかつた。斯《か》う云ふ場合には、同情の念より美醜の念が先《さき》に立つのが、代助の常《つね》であつた。代助は此瞬間に、三千代の事を殆んど忘れて仕舞つた位、空《そら》に散《ち》る憐れな石炭の烟《けむり》に刺激された。
 平岡《ひらをか》の玄関の沓脱《くつぬぎ》には女の穿《は》く重《かさ》ね草履が脱《ぬ》ぎ棄てゝあつた。格子を開《あ》けると、奥の方から三千代が裾《すそ》を鳴《な》らして出《で》て来《き》た。其時|上《あが》り口《ぐち》の二畳《にじやう》は殆《ほと》んど暗《くら》かつた。三千代《みちよ》は其|暗《くら》い中《なか》に坐《すは》つて挨拶をした。始めは誰《だれ》が来《き》たのか、よく分《わか》らなかつたらしかつたが、代助の声《こえ》を聞《き》くや否や、何方《どなた》かと思つたら……と寧ろ低い声で云つた。代助は判然《はつきり》見えない三千代の姿を、常よりは美《うつく》しく眺めた。

八の四

 平岡《ひらをか》は不在《ふざい》であつた。それを聞《き》いた時、代助は話《はな》してゐ易《やす》い様な、又|話《はな》してゐ悪《にく》い様な変な気がした。けれども三千代の方は常《つね》の通り落ち付《つ》いてゐた。洋燈《ランプ》も点《つ》けないで、暗《くら》い室《へや》を閉《た》て切つた儘|二人《ふたり》で坐《すは》つてゐた。三千代は下女も留守だと云つた。自分も先刻《さつき》其所《そこ》迄用|達《たし》に出《で》て、今帰つて夕食《ゆふめし》を済ました許りだと云つた。やがて平岡の話が出《で》た。
 予期した通り、平岡は相変らず奔走してゐる。が、此一週間程は、あんまり外《そと》へ出《で》なくなつた。疲《つか》れたと云つて、よく宅《うち》に寐《ね》てゐる。でなければ酒《さけ》を飲《の》む。人《ひと》が尋《たづ》ねて来《く》れば猶|飲《の》む。さうして善《よ》く怒《おこ》る。さかんに人《ひと》を罵倒する。のださうである。
「昔《むかし》と違《ちが》つて気が荒《あら》くなつて困《こま》るわ」と云つて、三千代《みちよ》は暗に同情を求める様子であつた。代助は黙《だま》つてゐた。下女が帰《かへ》つて来《き》て、勝手|口《ぐち》でがた/\音《おと》をさせた。しばらくすると、胡摩竹《ごまだけ》の台《だい》の着《つ》いた洋燈《ランプ》を持つて出《で》た。襖《ふすま》を締《し》める時《とき》、代助の顔《かほ》を偸《ぬす》む様に見て行つた。
 代助は懐《ふところ》から例の小|切手《ぎつて》を出《だ》した。二つに折《を》れたのを其儘三千代の前に置いて、奥さん、と呼び掛《か》けた。代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてゞあつた。
「先達《せんだつ》て御頼《おたのみ》の金《かね》ですがね」
 三千代は何にも答へなかつた。たゞ眼《め》を挙《あ》げて代助を見た。
「実《じつ》は、直《すぐ》にもと思つたんだけれども、此方《こつち》の都合が付《つ》かなかつたものだから、遂《つい》遅《おそ》くなつたんだが、何《ど》うですか、もう始末は付《つ》きましたか」と聞いた。
 其時三千代は急に心細さうな低《ひく》い声になつた。さうして怨《えん》ずる様に、
「未《まだ》ですわ。だつて、片付《かたづ》く訳が無《な》いぢやありませんか」と云つた儘、眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて凝《じつ》と代助を見てゐた。代助は折《を》れた小切手を取り上《あ》げて二つに開《ひら》いた。
「是丈ぢや駄目《だめ》ですか」
 三千代は手を伸《の》ばして小切手を受取《うけと》つた。
「難有う。平岡が喜びますわ」と静《しづ》かに小切手を畳《たゝみ》の上《うへ》に置《お》いた。
 代助は金《かね》を借りて来《き》た由来を、極ざつと説明して、自分は斯《か》ういふ呑気な身分の様に見えるけれども、何か必要があつて、自分以外の事に、手を出《だ》さうとすると、丸で無能力になるんだから、そこは悪《わる》く思つて呉れない様にと言訳を付け加へた。
「それは、私《わたくし》も承知してゐますわ。けれども、困《こま》つて、何《ど》うする事も出来《でき》ないものだから。つい無理を御願して」と三千代は気の毒さうに詫《わび》を述べた。代助はそこで念を押した。
「夫《それ》丈で、何《ど》うか始末が付《つ》きますか。もし何《ど》うしても付《つ》かなければ、もう一遍|工面《くめん》して見るんだが」
「もう一遍《いつぺん》工面するつて」
「判を押《お》して高い利のつく御金《おかね》を借《か》りるんです」
「あら、そんな事を」と三千代はすぐ打ち消《け》す様に云つた。「それこそ大変よ。貴方《あなた》」
 代助は平岡の今苦しめられてゐるのも、其起りは、性質《たち》の悪《わる》い金《かね》を借《か》り始めたのが転々《てん/\》して祟つてゐるんだと云ふ事を聞《き》いた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通《とほ》つてゐたのだが、三千代が産後《さんご》心臓が悪《わる》くなつて、ぶら/\し出《だ》すと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、夫程《それほど》烈しくもなかつたので、三千代はたゞ交際《つきあひ》上|已《やむ》を得ないんだらうと諦《あきら》めてゐたが、仕舞にはそれが段々|高《かう》じて、程度《ほうづ》が無くなる許なので三千代も心配をする。すれば身体《からだ》が悪《わる》くなる。なれば放蕩が猶募る。不親切なんぢやない。私《わたくし》が悪《わる》いんですと三千代はわざ/\断わつた。けれども又淋しい顔《かほ》をして、責《せ》めて小供でも生きてゐて呉れたら嘸《さぞ》可《よ》かつたらうと、つく/″\考へた事もありましたと自白した。
 代助は経済問題の裏面に潜んでゐる、夫婦の関係をあらまし推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方《こつち》から問《と》ふのを控えた。帰りがけに、
「そんなに弱《よは》つちや不可《いけ》ない。昔《むかし》の様に元気に御成《おな》んなさい。さうして些《ちつ》と遊びに御|出《いで》なさい」と勇気をつけた。
「本当《ほんと》ね」と三千代は笑つた。彼等は互《たがひ》の昔《むかし》を互《たがひ》の顔《かほ》の上《うへ》に認めた。平岡はとう/\帰つて来《こ》なかつた。

八の五

 中二日《なかふつか》置《お》いて、突然平岡が来《き》た。其|日《ひ》は乾いた風《かぜ》が朗《ほが》らかな天《そら》を吹《ふ》いて、蒼《あを》いものが眼《め》に映《うつ》る、常《つね》よりは暑《あつ》い天気であつた。朝《あさ》の新聞に菖蒲の案内が出《で》てゐた。代助の買つた大きな鉢植の君子蘭《くんしらん》はとう/\縁側で散《ち》つて仕舞つた。其代り脇差《わきざし》程も幅《はゞ》のある緑《みどり》の葉《は》が、茎《くき》を押し分けて長《なが》く延《の》びて来《き》た。古《ふる》い葉《は》は黒《くろ》ずんだ儘《まゝ》、日に光《ひか》つてゐる。其一枚が何かの拍子に半分《はんぶ》から折れて、茎《くき》を去る五寸|許《ばかり》の所《ところ》で、急に鋭《するど》く下《さが》つたのが、代助には見苦しく見えた。代助は鋏《はさみ》を持《も》つて椽に出た。さうして其|葉《は》を折《を》れ込《こ》んだ手前《てまへ》から、剪《き》つて棄てた。時に厚い切《き》り口《くち》が、急に煮染《にじ》む様に見えて、しばらく眺めてゐるうちに、ぽたりと椽に音《おと》がした。切口《きりくち》に集《あつま》つたのは緑色《みどりいろ》の濃い重《おも》い汁《しる》であつた。代助は其香《そのにほひ》を嗅《か》がうと思つて、乱《みだ》れる葉《は》の中《なか》に鼻を突《つ》つ込んだ。椽側の滴《したゝり》は其儘にして置いた。立ち上《あ》がつて、袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出《だ》して、鋏《はさみ》の刃《は》を拭《ふ》いてゐる所へ、門野《かどの》が平岡さんが御出《おいで》ですと報《しら》せて来《き》たのである。代助は其時平岡の事《こと》も三千代の事も、丸で頭《あたま》の中《なか》に考へてゐなかつた。只《たゞ》不思議な緑色《みどりいろ》の液体《えきたい》に支配されて、比較的|世間《せけん》に関係のない情調の下《もと》に動《うご》いてゐた。それが平岡の名を聞くや否や、すぐ消えて仕舞つた。さうして、何だか逢ひたくない様な気持がした。
「此方《こつち》へ御|通《とほ》し申しませうか」と門野から催促された時、代助はうんと云つて、座敷へ這入つた。あとから席《せき》に導《みちび》かれた平岡を見ると、もう夏の洋服を着《き》てゐた。襟《えり》も白襯衣《しろしやつ》も新《あた》らしい上《うへ》に、流行の編襟飾《あみえりかざり》を掛《か》けて、浪人とは誰《だれ》にも受け取れない位、ハイカラに取り繕《つく》ろつてゐた。
 話《はな》して見ると、平岡の事情は、依然として発展してゐなかつた。もう近頃は運動しても当分駄目だから、毎日|斯《か》うして遊《あそ》んで歩《ある》く。それでなければ、宅《うち》に寐《ね》てゐるんだと云つて、大きな声を出《だ》して笑つて見せた。代助もそれが可《よ》からうと答へたなり、後《あと》は当《あた》らず障らずの世間話《せけんばなし》に時間《じかん》を潰《つぶ》してゐた。けれども自然に出《で》る世間|話《ばなし》といふよりも、寧ろある問題を回避する為《ため》の世間話《せけんばなし》だから、両方共に緊張《きんちよう》を腹《はら》の底《そこ》に感《かん》じてゐた。
 平岡は三千代の事も、金《かね》の事も口《くち》へ出《だ》さなかつた。従《した》がつて三日前《みつかまへ》代助が彼《かれ》の留守宅を訪問した事に就ても何も語《かた》らなかつた。代助も始めのうちは、わざと、その点に触《ふ》れないで澄《すま》してゐたが、何時《いつ》迄|経《た》つても、平岡の方で余所《よそ》々々しく構へてゐるので、却つて不安になつた。
「実は二三日|前《まへ》君の所《ところ》へ行つたが、君は留守だつたね」と云ひ出した。
「うん。左様《さう》だつたさうだね。其節は又難有う。御|蔭《かげ》さまで。――なに、君を煩はさないでも何《ど》うかなつたんだが、彼奴《あいつ》があまり心配し過《すぎ》て、つい君に迷惑を掛けて済《す》まない」と冷淡な礼を云つた。それから、
「僕も実は御礼に来《き》た様《やう》なものだが、本当の御礼には、いづれ当人が出《で》るだらうから」と丸で三千代と自分を別物《べつもの》にした言分《いひぶん》であつた。代助はたゞ、
「そんな面倒な事をする必要があるものか」と答へた。話《はなし》は是で切れた。が又両方に共通で、しかも、両方のあまり興味を持《も》たない方面に摺《ず》り滑《すべ》つて行《い》つた。すると、平岡が突然、
「僕はことによると、もう実業は已《や》めるかも知れない。実際|内幕《うちまく》を知れば知る程|厭《いや》になる。其上|此方《こつち》へ来《き》て、少し運動をして見て、つくづく勇気がなくなつた」と心底《しんそこ》かららしい告白をした。代助は、一口《ひとくち》、
「それは、左様《さう》だらう」と答へた。平岡はあまり此返事の冷淡なのに驚ろいた様子であつた。が、又あとを付《つ》けた。
「先達ても一寸《ちよつと》話《はな》したんだが、新聞へでも這入らうかと思つてる」
「口《くち》があるのかい」と代助が聞《き》き返した。
「今《いま》、一《ひと》つある。多分|出来《でき》さうだ」
 来《き》た時は、運動しても駄目だから遊んでゐると云ふし、今は新聞に口《くち》があるから出様と云ふし、少し要領を欠《か》いでゐるが、追窮するのも面倒だと思つて、代助は、
「それも面白からう」と賛成の意を表して置いた。

八の六

 平岡の帰りを玄関迄見送つた時、代助はしばらく、障子に身《み》を寄せて、敷居《しきゐ》の上《うへ》に立つてゐた。門野《かどの》も御|附合《つきあひ》に平岡の後姿《うしろすがた》を眺《なが》めてゐた。が、すぐ口《くち》を出《だ》した。
「平岡さんは思つたよりハイカラですな。あの服装《なり》ぢや、少《すこ》し宅《うち》の方が御粗末|過《すぎ》る様です」
「左様《さう》でもないさ。近頃はみんな、あんなものだらう」と代助は立ちながら答へた。
「全《まつ》たく、服装《なり》丈ぢや分《わか》らない世の中《なか》になりましたからね。何処《どこ》の紳士かと思ふと、どうも変《へん》ちきりんな家《うち》へ這入《はいつ》てますからね」と門野《かどの》はすぐあとを付けた。
 代助は返事も為《し》ずに書斎へ引き返した。椽側に垂《た》れた君子|蘭《らん》の緑《みどり》の滴《したゝり》がどろ/\になつて、干上《ひあが》り掛《かゝ》つてゐた。代助はわざと、書斎と座敷《ざしき》の仕切《しきり》を立《た》て切《き》つて、一人《ひとり》室《へや》のうちへ這入《はい》つた。来客に接《せつ》した後《あと》しばらくは、独坐《どくざ》に耽《ふけ》るが代助の癖《くせ》であつた。ことに今日《けふ》の様に調子の狂ふ時は、格別その必要を感じた。
 平岡はとう/\自分と離れて仕舞つた。逢《あ》ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする。実を云ふと、平岡ばかりではない。誰《だれ》に逢つても左《そ》んな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過《すぎ》なかつた。大地《だいち》は自然に続《つゞ》いてゐるけれども、其上に家《いへ》を建《た》てたら、忽ち切《き》れ|/\《ぎれ》になつて仕舞つた。家《いへ》の中《なか》にゐる人間《にんげん》も亦|切《き》れ切《ぎ》れになつて仕舞つた。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。
 代助と接近してゐた時分の平岡は、人に泣《な》いて貰《もら》ふ事を喜《よろ》こぶ人《ひと》であつた。今《いま》でも左様《さう》かも知れない。が、些《ちつ》ともそんな顔《かほ》をしないから、解《わか》らない。否、力《つと》めて、人《ひと》の同情を斥《しりぞ》ける様に振舞《ふるま》つてゐる。孤立しても世は渡つて見せるといふ我慢か、又は是が現代社会に本来の面目だと云ふ悟《さと》りか、何方《どつち》かに帰着する。
 平岡に接近してゐた時分の代助は、人《ひと》の為《ため》に泣《な》く事の好《す》きな男であつた。それが次第々々に泣《な》けなくなつた。泣《な》かない方が現代的だからと云ふのではなかつた。事実は寧《むし》ろ之《これ》を逆《ぎやく》にして、泣《な》かないから現代的だと言ひたかつた。泰西の文明の圧迫《あつぱく》を受《う》けて、其重|荷《に》の下《した》に唸《うな》る、劇烈な生存競争場裏に立つ人《ひと》で、真《しん》によく人《ひと》の為《ため》に泣き得るものに、代助は未《いま》だ曾《かつ》て出逢《であ》はなかつた。
 代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪《けんを》の念を催ふした。さうして向ふにも自己同様の念が萌《きざ》してゐると判じた。昔しの代助も、時々《とき/″\》わが胸のうちに、斯う云ふ影《かげ》を認めて驚ろいた事があつた。其時は非常に悲《かな》しかつた。今《いま》は其|悲《かな》しみも殆んど薄《うす》く剥《は》がれて仕舞つた。だから自分で黒い影《かげ》を凝《じつ》と見詰めて見る。さうして、これが真《まこと》だと思ふ。已《やむ》を得ないと思ふ。たゞそれ丈になつた。
 斯《か》う云ふ意味の孤独の底《そこ》に陥《おちい》つて煩悶するには、代助の頭《あたま》はあまりに判然《はつきり》し過《すぎ》てゐた。彼はこの境遇を以て、現代人の踏《ふ》むべき必然の運命と考へたからである。従つて、自分と平岡の隔離は、今《いま》の自分の眼《まなこ》に訴へて見て、尋常一般の径路を、ある点迄進行した結果に過《すぎ》ないと見傚した。けれども、同時に、両人《ふたり》の間《あひだ》に横《よこ》たはる一種の特別な事情の為《ため》、此隔離が世間並《せけんなみ》よりも早く到着したと云ふ事を自覚せずにはゐられなかつた。それは三千代《みちよ》の結婚であつた。三千代《みちよ》を平岡に周旋したものは元来が自分であつた。それを当時に悔《くゆ》る様な薄弱な頭脳《づのう》ではなかつた。今日《こんにち》に至つて振り返つて見ても、自分の所作《しよさ》は、過去を照《て》らす鮮《あざや》かな名誉であつた。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等|二人《ににん》の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前に頭《あたま》を下《さ》げなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故《なぜ》三千代を貰《もら》つたかと思ふ様になつた。代助は何処《どこ》かしらで、何故《なぜ》三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた。
 代助は書斎に閉《と》ぢ籠《こも》つて一日《いちにち》考へに沈《しづ》んでゐた。晩食《ばんしよく》の時、門野が、
「先生|今日《けふ》は一日《いちにち》御勉強ですな。どうです、些《ち》と御散歩になりませんか。今夜《こんや》は寅毘沙《とらびしや》ですぜ。演芸館で支那人《ちやん》の留学生が芝居を演《や》つてます。どんな事を演《や》る積ですか、行《い》つて御覧なすつたら何《ど》うです。支那人《ちやん》てえ奴《やつ》は、臆面がないから、何《なん》でも遣《や》る気だから呑気なもんだ。……」と一人《ひとり》で喋舌《しやべ》つた。

九の一

 代助は又《また》父《ちゝ》から呼《よ》ばれた。代助には其用事が大抵|分《わか》つてゐた。代助は不断《ふだん》から成るべく父《ちゝ》を避《さ》けて会《あ》はない様にしてゐた。此頃《このごろ》になつては猶更|奥《おく》へ寄《よ》り付《つ》かなかつた。逢《あ》ふと、叮嚀な言葉を使《つか》つて応対してゐるにも拘はらず、腹《はら》の中《なか》では、父《ちゝ》を侮辱《ぶじよく》してゐる様な気がしてならなかつたからである。
 代助は人類の一人《いちにん》として、互《たがひ》を腹《はら》の中《なか》で侮辱する事なしには、互《たがひ》に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯《つなみ》と心得てゐた。
 この二《ふた》つの因数《フアクトー》は、何処《どこ》かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較《なら》べる日の来《く》る迄は、此平衡は日本に於て得《え》られないものと代助は信じてゐた。さうして、斯《か》ゝる日《ひ》は、到底日本の上を照《て》らさないものと諦《あきら》めてゐた。だからこの窮地に陥つた日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはたゞ頭《あたま》の中《なか》に於て、罪悪を犯さなければならない。さうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつゝあるかを、互に黙知しつゝ、談笑しなければならない。代助は人類の一人《いちにん》として、かゝる侮辱を加ふるにも、又加へらるゝにも堪へなかつた。
 代助の父《ちゝ》の場合は、一般に比《くら》べると、稍《やゝ》特殊的傾向を帯びる丈に複雑であつた。彼は維新前の武士に固有な道義本位の教育を受けた。此教育は情意行為の標準を、自己以外の遠い所に据ゑて、事実の発展によつて証明せらるべき手近《てぢか》な真《まこと》を、眼中《がんちう》に置かない無理なものであつた。にも拘《かゝ》はらず、父《ちゝ》は習慣に囚へられて、未《いま》だに此教育に執着してゐる。さうして、一方には、劇烈な生活慾に冒され易い実業に従事した。父は実際に於て年々此生活慾の為《ため》に腐蝕されつゝ今日に至つた。だから昔の自分と、今の自分の間には、大いな相違のあるべき筈である。それを父《ちゝ》は自認してゐなかつた。昔《むかし》の自分が、昔通《むかしどほ》りの心得で、今の事業を是迄に成し遂《と》げたとばかり公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の範囲を狭《せば》める事なしに、現代の生活慾を時々刻々に充《み》たして行ける訳がないと代助は考へた。もし双方を其儘に存在させ様とすれば、之《これ》を敢てする個人は、矛盾の為《ため》に大苦痛を受《う》けなければならない。もし内心に此苦痛を受けながら、たゞ苦痛の自覚丈|明《あき》らかで、何の為《ため》の苦痛だか分別が付かないならば、それは頭脳の鈍《にぶ》い劣等な人種である。代助は父に対する毎《ごと》に、父《ちゝ》は自己を隠蔽《いんぺい》する偽君子《ぎくんし》か、もしくは分別の足らない愚物《ぐぶつ》か、何方《どつち》かでなくてはならない様な気がした。さうして、左《さ》う云ふ気がするのが厭《いや》でならなかつた。
 と云つて、父《ちゝ》は代助の手際で、何《ど》うする事も出来ない男であつた。代助には明《あき》らかに、それが分《わか》つてゐた。だから代助は未《いま》だ曾《かつ》て父《ちゝ》を矛盾の極端迄追ひ詰《つ》めた事がなかつた。
 代助は凡ての道徳の出立点《しつたつてん》は社会的事実より外にないと信じてゐた。始めから頭《あたま》の中に硬張《こわば》つた道徳を据ゑ付けて、其道徳から逆に社会的事実を発展させ様とする程、本末を誤つた話はないと信じてゐた。従つて日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考へた。彼等は学校で昔し風の道徳を教授してゐる。それでなければ一般欧洲人に適切な道徳を呑み込ましてゐる。此劇烈なる生活慾に襲はれた不幸な国民から見れば、迂遠の空談に過《す》ぎない。此迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見る時《とき》、昔《むかし》の講釈を思ひ出して笑つて仕舞ふ。でなければ馬鹿にされた様な気がする。代助に至つては、学校のみならず、現に自分の父《ちゝ》から、尤も厳格で、尤も通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、頭《あたま》の中《なか》に起した。代助はそれを恨《うら》めしく思つてゐる位であつた。
 代助は此前《このまへ》梅子に礼を云ひに行つた時、梅子から一寸《ちよつと》奥《おく》へ行つて、挨拶をしてゐらつしやいと注意された。代助は笑ひながら御|父《とう》さんはゐるんですかと空《そら》とぼけた。ゐらつしやるわと云ふ確答を得た時でも、今日《けふ》はちと急《いそ》ぐから廃《よ》さうと帰つて来《き》た。