2008年11月13日木曜日

八の三

 手紙《てがみ》は古風《こふう》な状箱《じようばこ》の中《うち》にあつた。其《その》赤塗《あかぬり》の表《おもて》には名宛《なあて》も何《なに》も書《か》かないで、真鍮《しんちう》の環《くわん》に通《とほ》した観世撚《かんじんより》の封《ふう》じ目《め》に黒《くろ》い墨《すみ》を着けてあつた。代助は机《つくえ》の上《うへ》を一目《ひとめ》見て、此手紙の主《ぬし》は嫂《あによめ》だとすぐ悟《さと》つた。嫂《あによめ》は斯《か》う云ふ旧式な趣味があつて、それが時々《とき/″\》思《おも》はぬ方角へ出《で》てくる。代助は鋏《はさみ》の先《さき》で観世撚《かんじんより》の結目《むすびめ》を突《つ》つつきながら、面倒な手数《てかず》だと思つた。
 けれども中《なか》にあつた手紙《てがみ》は、状箱とは正反対に、簡単な言文一致で用を済《すま》してゐた。此間《このあひだ》わざ/\来《き》て呉《く》れた時は、御依頼《おたのみ》通り取り計《はから》ひかねて、御気の毒をした。後《あと》から考へて見ると、其時《そのとき》色々無遠慮な失礼を云つた事が気にかゝる。どうか悪《わる》く取《と》つて下《くだ》さるな。其代り御金《おかね》を上《あ》げる。尤《もつと》もみんなと云ふ訳《わけ》には行かない。二百円丈都合して上《あ》げる。から夫《それ》をすぐ御友達《おともだち》の所へ届けて御上《おあ》げなさい。是は兄《にい》さんには内所《ないしよ》だから其積《そのつもり》でゐなくつては不可《いけ》ない。奥さんの事も宿題にするといふ約束だから、よく考へて返事をなさい。
 手紙《てがみ》の中《なか》に巻《ま》き込めて、二百円の小切手が這入《はい》つてゐた。代助は、しばらく、それを眺《なが》めてゐるうちに、梅子《うめこ》に済《す》まない様な気がして来《き》た。此|間《あひだ》の晩《ばん》、帰《かへ》りがけに、向《むかふ》から、ぢや御金《おかね》は要《い》らないのと聞《き》いた。貸《か》して呉れと切り込《こ》んで頼《たの》んだ時は、あゝ手痛《てきびし》く跳ね付けて置《お》きながら、いざ断念して帰る段になると、却つて断わつた方から、掛念《けねん》がつて駄目《だめ》を押《お》して出《で》た。代助はそこに女性《によしやう》の美くしさと弱《よは》さとを見た。さうして其弱さに付け入る勇気を失つた。此|美《うつく》しい弱点を弄《もてあそ》ぶに堪《た》えなかつたからである。えゝ要《い》りません、何《ど》うかなるでせうと云つて分《わか》れた。それを梅子は冷《ひやゝ》かな挨拶と思つたに違《ちがひ》ない。其|冷《ひやゝ》かな言葉が、梅子の平生の思ひ切つた動作《どうさ》の裏《うら》に、何処《どこ》にか引つ掛《かゝ》つてゐて、とう/\此手紙になつたのだらうと代助は判断した。
 代助はすぐ返事を書いた。さうして出来る丈|暖《あたゝ》かい言葉を使つて感謝の意を表した。代助が斯《か》う云ふ気分になる事は兄《あに》に対してもない。父《ちゝ》に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起《おこ》らなかつたのである。
 代助はすぐ三千代の所へ出掛け様かと考へた。実《じつ》を云ふと、二百円は代助に取つて中途半端《ちうとはんぱ》な額《たか》であつた。是丈《これだけ》呉れるなら、一層《いつそ》思ひ切つて、此方《こつち》の強請《ねだ》つた通りにして、満足を買へばいゝにと云ふ気も出《で》た。が、それは代助の頭《あたま》が梅子を離れて三千代の方へ向《む》いた時の事であつた。その上《うへ》、女は如何《いか》に思ひ切つた女でも、感情上|中途半端《ちうとはんぱ》なものであると信じてゐる代助には、それが別段不平にも思へなかつた。否《いな》女の斯う云ふ態度の方が、却つて男性の断然たる所置よりも、同情の弾力性を示してゐる点に於て、快《こゝろ》よいものと考へてゐた。だから、もし二百円を自分に贈つたものが、梅子でなくつて、父《ちゝ》であつたとすれば、代助は、それを経済的|中途半端《ちうとはんぱ》と解釈して、却つて不愉快な感に打たれたかも知れないのである
 代助は晩食《ばんめし》も食《く》はずに、すぐ又|表《おもて》へ出た。五軒町から江戸川の縁《へり》を伝《つた》つて、河《かは》を向《むかふ》へ越した時は、先刻《さつき》散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じてゐなかつた。坂を上《のぼ》つて伝通院の横へ出《で》ると、細く高い烟突が、寺《てら》と寺《てら》の間《あひだ》から、汚《きた》ない烟《けむ》を、雲《くも》の多い空《そら》に吐《は》いてゐた。代助はそれを見《み》て、貧弱な工業が、生存の為《ため》に無理に吐《つ》く呼吸《いき》を見苦《みぐる》しいものと思つた。さうして其|近《ちか》くに住《す》む平岡と、此烟突とを暗々《あん/\》の裏《うち》に連想せずにはゐられなかつた。斯《か》う云ふ場合には、同情の念より美醜の念が先《さき》に立つのが、代助の常《つね》であつた。代助は此瞬間に、三千代の事を殆んど忘れて仕舞つた位、空《そら》に散《ち》る憐れな石炭の烟《けむり》に刺激された。
 平岡《ひらをか》の玄関の沓脱《くつぬぎ》には女の穿《は》く重《かさ》ね草履が脱《ぬ》ぎ棄てゝあつた。格子を開《あ》けると、奥の方から三千代が裾《すそ》を鳴《な》らして出《で》て来《き》た。其時|上《あが》り口《ぐち》の二畳《にじやう》は殆《ほと》んど暗《くら》かつた。三千代《みちよ》は其|暗《くら》い中《なか》に坐《すは》つて挨拶をした。始めは誰《だれ》が来《き》たのか、よく分《わか》らなかつたらしかつたが、代助の声《こえ》を聞《き》くや否や、何方《どなた》かと思つたら……と寧ろ低い声で云つた。代助は判然《はつきり》見えない三千代の姿を、常よりは美《うつく》しく眺めた。

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