2008年11月13日木曜日

三の七

 代助の父《ちゝ》には一人《ひとり》の兄《あに》があつた。直記《なほき》と云つて、父《ちゝ》とはたつた一つ違ひの年上《としうへ》だが、父《ちゝ》よりは小柄《こがら》なうへに、顔付《かほつき》眼鼻立《めはなだち》が非常に似《に》てゐたものだから、知らない人には往々|双子《ふたご》と間違へられた。其折は父も得《とく》とは云はなかつた。誠之進といふ幼名で通《とほ》つてゐた。
 直記《なほき》と誠之進とは外貌のよく似てゐた如く、気質《きだて》も本当の兄弟であつた。両方に差支のあるときは特別、都合さへ付けば、同じ所に食《く》つ付き合つて、同じ事をして暮してゐた。稽古も同時同刻に往き返りをする。読書にも一つ燈火《ともしび》を分つた位|親《した》しかつた。
 丁度|直記《なほき》の十八の秋《あき》であつた。ある時|二人《ふたり》は城下外《じやうかはづれ》の等覚寺といふ寺へ親《おや》の使に行つた。これは藩主の菩提寺で、そこにゐる楚水といふ坊さんが、二人《ふたり》の親《おや》とは昵近《じつこん》なので、用の手紙を、此楚水さんに渡しに行つたのである。用は囲碁の招待か何かで返事にも及ばない程簡略なものであつたが、楚水さんに留《と》められて、色々話してゐるうちに遅《おそ》くなつて、日の暮れる一時間程前に漸く寺を出た。その日は何か祭のある折で、市中《しちう》は大分雑沓してゐた。二人《ふたり》は群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲らうとする角《かど》で、川向ひの方限《ほうぎ》りの某《なにがし》といふものに突き当つた。此|某《なにがし》と二人《ふたり》とは、かねてから仲《なか》が悪《わる》かつた。其時|某《なにがし》は大分酒気を帯びてゐたと見えて、二言三言《ふたことみこと》いひ争ふうちに刀《かたな》を抜《ぬ》いて、いきなり斬り付《つ》けた。斬り付《つ》けられた方は兄《あに》であつた。已を得ず是も腰の物を抜《ぬ》いて立ち向つたが、相手は平生から極めて評判のわるい乱暴もの丈あつて、酩酊してゐるにも拘はらず、強かつた。黙《だま》つてゐれば兄の方が負ける。そこで弟も刀を抜いた。さうして二人《ふたり》で滅茶苦茶に相手を斬り殺して仕舞つた。
 其|頃《ころ》の習慣として、侍《さむらひ》が侍《さむらひ》を殺せば、殺した方が切腹をしなければならない。兄弟は其覚悟で家《うち》へ帰つて来《き》た。父《ちゝ》も二人《ふたり》を並べて置いて順々に自分で介錯をする気であつた。所が母《はゝ》が生憎|祭《まつり》で知己《ちかづき》の家《うち》へ呼《よ》ばれて留守である。父は二人《ふたり》に切腹をさせる前、もう一遍|母《はゝ》に逢《あ》はしてやりたいと云ふ人情から、すぐ母《はゝ》を迎にやつた。さうして母の来《く》る間《あひだ》、二人《ふたり》に訓戒を加へたり、或は切腹する座敷の用意をさせたり可成愚図々々してゐた。
 母《はゝ》の客に行つてゐた所は、その遠縁《とほえん》にあたる高木《たかぎ》といふ勢力家であつたので、大変都合が好《よ》かつた。と云ふのは、其頃は世の中《なか》の動《うご》き掛けた当時で、侍《さむらひ》の掟《おきて》も昔の様には厳重に行はれなかつた。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であつた。ので高木は母とともに長井の家《いへ》へ来《き》て、何分の沙汰が公向《おもてむき》からある迄は、当分其儘にして、手を着けずに置くやうにと、父を諭《さと》した。
 高木はそれから奔走を始めた。さうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺された某《なにがし》の親《おや》は又、存外訳の解《わか》つた人で、平生から倅《せがれ》の行跡《ぎやうせき》の良くないのを苦に病んでゐたのみならず、斬り付けた当時も、此方《こつち》から狼藉をしかけたと同然であるといふ事が明瞭になつたので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかつた。兄弟はしばらく一間《ひとま》の内《うち》に閉ぢ籠つて、謹慎の意を表して後、二人《ふたり》とも人《ひと》知れず家《いへ》を捨《す》てた。
 三年の後|兄《あに》は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となつた。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。さうして妻を迎へて、得《とく》といふ一字|名《な》になつた。其時は自分の命《いのち》を助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になつてゐた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思つて色々勧めて見たが応じなかつた。此養子に子供が二人《ふたり》あつて、男の方は京都へ出て同志社へ這入《はい》つた。其所《そこ》を卒業してから、長らく亜米利加に居つたさうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になつてゐる。女の方は県下の多額納税者の所へ嫁《よめ》に行つた。代助の細君の候補者といふのは此多額納税者の娘である。
「大変込み入つてるのね。私《わたし》驚ろいちまつた」と嫂《あによめ》が代助に云つた。
「御父《おとう》さんから何返も聞いてるぢやありませんか」
「だつて、何時《いつ》もは御|嫁《よめ》の話《はなし》が出《で》ないから、好《い》い加減に聞いてるのよ」
「佐川《さがは》にそんな娘があつたのかな。僕も些《ち》つとも知らなかつた」
「御貰《おもらひ》なさいよ」
「賛成なんですか」
「賛成ですとも。因念つきぢやありませんか」
「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰ふ方が貰《もら》ひ好《い》い様だな」
「おや、左様《そん》なのがあるの」
 代助は苦笑して答へなかつた。

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