2008年11月13日木曜日

七の二

 代助が三千代《みちよ》と知《し》り合《あひ》になつたのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生の頃《ころ》であつた。代助は長井|家《け》の関係から、当時交際社会の表面にあらはれて出《で》た、若い女の顔も名も、沢山に知つてゐた。けれども三千代は其方面の婦人ではなかつた。色合《いろあひ》から云ふと、もつと地味《ぢみ》で、気持《きもち》から云ふと、もう少し沈《しづ》んでゐた。其頃、代助の学友に菅沼《すがぬま》と云ふのがあつて、代助とも平岡とも、親しく附合《つきあ》つてゐた。三千代《みちよ》は其妹《そのいもと》である。
 此|菅沼《すがぬま》は東京近県のもので、学生になつた二年目の春《はる》、修業の為《ため》と号して、国《くに》から妹を連《つ》れて来《く》ると同時に、今迄の下宿を引き払《はら》つて、二人《ふたり》して家《いへ》を持つた。其時|妹《いもと》は国《くに》の高等女学校を卒業した許《ばかり》で、年《とし》は慥《たしか》十八とか云ふ話《はなし》であつたが、派出な半襟を掛《か》けて、肩上《かたあげ》をしてゐた。さうして程なくある女学校へ通《かよ》ひ始《はじ》めた。
 菅沼の家《いへ》は谷中《やなか》の清水町《しみづちよう》で、庭《には》のない代りに、椽側へ出《で》ると、上野の森《もり》の古《ふる》い杉《すぎ》が高《たか》く見えた。それがまた、錆《さび》た鉄《てつ》の様に、頗《すこぶ》る異《あや》しい色《いろ》をしてゐた。其《その》一本は殆んど枯《か》れ掛《か》かつて、上《うへ》の方には丸裸《まるはだか》の骨許《ほねばかり》残つた所に、夕方《ゆふがた》になると烏が沢山集まつて鳴いてゐた。隣には若《わか》い画家《ゑかき》が住《す》んでゐた。車《くるま》もあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居《すまゐ》であつた。
 代助は其所《そこ》へ能《よ》く遊びに行《い》つた。始めて三千代《みちよ》に逢《あ》つた時、三千代はたゞ御辞儀をした丈で引込んで仕舞つた。代助は上野の森を評して帰つて来《き》た。二返行つても、三返行つても、三千代はたゞ御茶を持《も》つて出《で》る丈であつた。其|癖《くせ》狭い家《うち》だから、隣《となり》の室《へや》にゐるより外はなかつた。代助は菅沼と話《はな》しながら、隣《となり》の室《へや》に三千代がゐて、自分の話を聴いてゐるといふ自覚を去る訳に行《ゆ》かなかつた。
 三千代《みちよ》と口《くち》を利《き》き出《だ》したのは、どんな機会《はづみ》であつたか、今では代助の記憶に残つてゐない。残つて居《ゐ》ない程、瑣末な尋常の出来事から起つたのだらう。詩や小説に厭《あ》いた代助には、それが却つて面白かつた。けれども一旦|口《くち》を利《き》き出《だ》してからは、矢っ張り詩や小説と同じ様に、二人《ふたり》はすぐ心安《こゝろやす》くなつて仕舞つた。
 平岡も、代助の様に、よく菅沼《すがぬま》の家《うち》へ遊《あそ》びに来《き》た。あるときは二人《ふたり》連《つ》れ立《だ》つて、来《き》た事もある。さうして、代助と前後して、三千代《みちよ》と懇意になつた。三千代は兄と此|二人《ふたり》に食付《くつつ》いて、時々池の端《はた》抔を散歩した事がある。
 四人《よつたり》は此関係で約二年《やくにねん》足らず過《す》ごした。すると菅沼《すがぬま》の卒業する年《とし》の春《はる》、菅沼《すがぬま》の母《はゝ》と云ふのが、田舎《いなか》から遊《あそ》びに出《で》て来《き》て、しばらく清水《しみづ》町に泊《とま》つてゐた。此|母《はゝ》は年に一二度づつは上京して、子供の家に五六日|寐起《ねおき》する例になつてゐたんだが、其時は帰る前日《ぜんじつ》から熱《ねつ》が出《で》だして、全く動《うご》けなくなつた。それが一週間の後|窒扶斯《ちふす》と判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護の為《ため》附添《つきそひ》として一所に病院に移つた。病人の経過は、一時稍佳良であつたが、中途からぶり返《かへ》して、とう/\死んで仕舞つた。それ許《ばかり》ではない。窒扶斯《ちふす》が、見舞に来《き》た兄《あに》に伝染して、是も程なく亡《な》くなつた。国《くに》にはたゞ父親《ちゝおや》が一人《ひとり》残《のこ》つた。
 それが母《はゝ》の死んだ時も、菅沼《すがぬま》の死んだ時も出《で》て来《き》て、始末をしたので、生前に関係の深《ふか》かつた代助とも平岡とも知り合になつた。三千代を連《つ》れて国へ帰る時は、娘とともに二人《ふたり》の下宿を別々に訪《たづ》ねて、暇乞《いとまごひ》旁《かた/″\》礼を述《の》べた。
 其年《そのとし》の秋、平岡は三千代と結婚した。さうして其|間《あひだ》に立つたものは代助であつた。尤も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式に連《つら》なつて貰つたのだが、身体《からだ》を動《うご》かして、三千代《みちよ》の方を纏《まと》めたものは代助であつた。
 結婚して間《ま》もなく二人《ふたり》は東京を去つた。国に居《ゐ》た父《ちゝ》は思はざるある事情の為《ため》に余儀なくされて、是も亦北海道へ行つて仕舞つた。三千代《みちよ》は何方《どつち》かと云へば、今《いま》心細い境遇に居る。どうかして、此東京に落付《おちつ》いてゐられる様にして遣《や》りたい気がする。代助はもう一返|嫂《あによめ》に相談して、此間《このあひだ》の金《かね》を調達する工面をして見やうかと思つた。又|三千代《みちよ》に逢つて、もう少し立ち入つた事情を委《くわ》しく聞いて見やうかと思つた。

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