2008年11月13日木曜日

十の三

 斯んな風《ふう》に、代助は空虚なるわが心《こゝろ》の一角《いつかく》を抱《いだ》いて今日《こんにち》に至つた。いま先方《さきがた》門《かど》野を呼《よ》んで括《くゝ》り枕《まくら》を取《と》り寄《よ》せて、午寐《ひるね》を貪《むさ》ぼつた時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなつた頭《あたま》を、出来《でき》るならば、蒼《あを》い色《いろ》の付《つ》いた、深《ふか》い水《みづ》の中《なか》に沈《しづ》めたい位に思つた。それ程|彼《かれ》は命《いのち》を鋭《するど》く感じ過《す》ぎた。従つて熱《あつ》い頭《あたま》を枕へ着《つ》けた時は、平岡も三千代も、彼に取つて殆んど存在してゐなかつた。彼は幸にして涼《すゞ》しい心持に寐《ね》た。けれども其|穏《おだ》やかな眠《ねむり》のうちに、誰《だれ》かすうと来《き》て、又すうと出《で》て行《い》つた様な心持がした。眼《め》を醒《さ》まして起《お》き上《あ》がつても其感じがまだ残つてゐて、頭《あたま》から拭《ぬぐ》ひ去る事が出来なかつた。それで門野を呼んで、寐《ね》てゐる間《あひだ》に誰《だれ》か来《き》はしないかと聞《き》いたのである。
 代助は両手を額《ひたひ》に当《あ》てゝ、高《たか》い空《そら》を面白さうに切《き》つて廻《まは》る燕《つばめ》の運動を椽側から眺めてゐたが、やがて、それが眼《め》ま苦《ぐる》しくなつたので、室《へや》の中《なか》に這入《はい》つた。けれども、三千代《みちよ》が又|訪《たづ》ねて来《く》ると云ふ目前の予期が、既《すで》に気分の平調を冒《おか》してゐるので、思索も読書も殆んど手に着《つ》かなかつた。代助は仕舞に本棚《ほんだな》の中《なか》から、大きな画帖を出《だ》して来《き》て、膝の上《うへ》に広《ひろ》げて、繰《く》り始《はじ》めた。けれども、それも、只《たゞ》指《ゆび》の先《さき》で順々に開《あ》けて行《い》く丈であつた。一つ画を半分《はんぶん》とは味《あぢ》はつてゐられなかつた。やがてブランギンの所《ところ》へ来《き》た。代助は平生から此装飾画家に多大の趣味を有つてゐた。彼《かれ》の眼《め》は常《つね》の如く輝《かゞやき》を帯びて、一度《ひとたび》は其|上《うへ》に落《お》ちた。それは何処《どこ》かの港《みなと》の図であつた。背景に船《ふね》と檣《ほばしら》と帆《ほ》を大きく描《か》いて、其|余《あま》つた所に、際立《きはだ》つて花やかな空《そら》の雲《くも》と、蒼黒《あをぐろ》い水《みづ》の色をあらはした前《まへ》に、裸体《らたい》の労働者が四五人ゐた。代助は是等の男性の、山の如くに怒らした筋肉の張り具合や、彼等の肩《かた》から脊《せ》へかけて、肉塊《にくくわい》と肉塊《にくくわい》が落ち合つて、其間に渦《うづ》の様な谷《たに》を作《つく》つてゐる模様を見て、其所《そこ》にしばらく肉の力《ちから》の快感を認めたが、やがて、画帖を開《あ》けた儘、眼《め》を放《はな》して耳《みゝ》を立《た》てた。すると勝手の方で婆さんの声がした。それから牛乳配達が空壜《あきびん》を鳴らして急ぎ足に出て行つた。宅《うち》のうちが静かなので、鋭どい代助の聴神経には善く応《こた》へた。
 代助はぼんやり壁《かべ》を見詰めてゐた。門野《かどの》をもう一返|呼《よ》んで、三千代が又くる時間を、云ひ置いて行つたか何《ど》うか尋ねやうと思つたが、あまり愚だから憚《はゞ》かつた。それ許《ばかり》ではない、人《ひと》の細君が訪《たづ》ねて来《く》るのを、それ程待ち受ける趣意がないと考へた。又それ程待ち受ける位なら、此方《こちら》から何時《いつ》でも行《い》つて話《はなし》をすべきであると考へた。此矛盾の両面を双対《そうたい》に見た時、代助は急に自己の没論理に恥ぢざるを得なかつた。彼の腰は半ば椅子を離れた。けれども彼はこの没論理の根底に横はる色々《いろ/\》の因数《フアクター》を自分で善《よ》く承知してゐた。さうして、今《いま》の自分に取《と》つては、この没論理の状態が、唯一の事実であるから仕方《しかた》ないと思つた。且、此事実と衝突する論理は、自己に無関係な命題《めいだい》を繋《つな》ぎ合《あ》はして出来|上《あが》つた、自己の本体を蔑視する、形式に過ぎないと思つた。さう思つて又椅子へ腰《こし》を卸した。
 それから三千代の来《く》る迄、代助はどんな風に時《とき》を過《すご》したか、殆んど知らなかつた。表《おもて》に女の声がした時《とき》、彼は胸《むね》に一鼓動《いつこどう》を感じた。彼は論理に於て尤も強い代りに、心臓の作用に於て尤も弱い男であつた。彼が近来|怒《おこ》れなくなつたのは、全《まつた》く頭《あたま》の御蔭《おかげ》で、腹《はら》を立《た》てる程自分を馬鹿にすることを、理智《りち》が許《ゆる》さなくなつたからである。が其他の点に於ては、尋常以上に情|緒《しよ》の支配を受けるべく余儀なくされてゐた。取次《とりつぎ》に出《で》た門野《かどの》が足音《あしおと》を立《た》てゝ、書斎の入口《いりぐち》にあらはれた時、血色《けつしよく》のいゝ代助の頬《ほゝ》は微《かす》かに光沢《つや》を失《うしな》つてゐた。門野《かどの》は、
「此方《こつち》にしますか」と甚だ簡単に代助の意向を確《たしか》めた。座敷《ざしき》へ案内するか、書斎で逢ふかと聞くのが面倒だから、斯《か》う詰《つ》めて仕舞つたのである。代助はうんと云つて、入口《いりぐち》に返事を待《ま》つてゐた門野《かどの》を追ひ払《はら》ふ様に、自分で立《た》つて行《い》つて、椽側へ首《くび》を出《だ》した。三千代は椽側と玄関《げんくわん》の継目《つぎめ》の所に、此方《こちら》を向《む》いてためらつて居《ゐ》た。

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