2008年11月12日水曜日

十三の二

 其時代助の脳の活動は、夕闇《ゆふやみ》を驚ろかす蝙蝠《かはほり》の様な幻像をちらり/\と産《う》み出《だ》すに過《す》ぎなかつた。其|羽搏《はばたき》の光《ひかり》を追《お》ひ掛《か》けて寐《ね》てゐるうちに、頭《あたま》が床《ゆか》から浮《う》き上《あ》がつて、ふわ/\する様に思はれて来《き》た。さうして、何時《いつ》の間《ま》にか軽《かる》い眠《ねむり》に陥《おちい》つた。
 すると突然|誰《だれ》か耳《みゝ》の傍《はた》で半鐘を打つた。代助は火事と云ふ意識さへまだ起《おこ》らない先《さき》に眼《め》を醒《さ》ました。けれども跳《は》ね起《お》きもせずに寐《ね》てゐた。彼《かれ》の夢《ゆめ》に斯《こ》んな音《おと》の出《で》るのは殆んど普通であつた。ある時《とき》はそれが正気に返つた後《あと》迄も響《ひゞ》いてゐた。五六日|前《まへ》彼《かれ》は、彼《かれ》の家《いへ》の大いに揺《ゆ》れる自覚と共に眠《ねむり》を破《やぶ》つた。其|時《とき》彼《かれ》は明《あき》らかに、彼《かれ》の下《した》に動《うご》く畳《たゝみ》の様《さま》を、肩《かた》と腰《こし》と脊《せ》の一部に感《かん》じた。彼は又|夢《ゆめ》に得た心臓の鼓動を、覚《さ》めた後《あと》迄|持《も》ち伝《つた》へる事が屡あつた。そんな場合には聖徒《セイント》の如く、胸《むね》に手を当《あ》てゝ、眼《め》を開《あ》けた儘《まゝ》、じつと天井を見詰めてゐた。
 代助は此時も半鐘の音《おと》が、じいんと耳《みゝ》の底《そこ》で鳴り尽《つく》して仕舞ふ迄|横《よこ》になつて待《ま》つてゐた。それから起《お》きた。茶《ちや》の間《ま》へ来《き》て見ると、自分の膳《ぜん》の上《うへ》に簀垂《すだれ》が掛《か》けて、火鉢の傍《そば》に据ゑてあつた。柱時計はもう十二時|回《まは》つてゐた。婆《ばあ》さんは、飯《めし》を済《す》ました後《あと》と見《み》えて、下女部屋で御|櫃《はち》の上《うへ》に肱《ひぢ》を突《つ》いて居眠《ゐねむ》りをしてゐた。門野《かどの》は何処《どこ》へ行《い》つたか影《かげ》さへ見えなかつた。
 代助は風呂場へ行つて、頭《あたま》を濡《ぬ》らしたあと、独《ひと》り茶《ちや》の間《ま》の膳《ぜん》に就いた。そこで、淋《さみ》しい食事を済《すま》して、再《ふたゝ》び書斎に戻つたが、久し振《ぶ》りに今日《けふ》は少し書見をしやうと云ふ心組《こゝろぐみ》であつた。
 かねて読《よ》み掛《か》けてある洋書を、栞《しをり》の挟《はさ》んである所で開《あ》けて見ると、前後の関係を丸で忘れてゐた。代助の記憶に取《と》つて斯《か》う云ふ現象は寧ろ珍《めづ》らしかつた。彼《かれ》は学校生活の時代から一種の読書家であつた。卒業の後《のち》も、衣食の煩《わづらひ》なしに、講読の利益を適意に収め得る身分《みぶん》を誇《ほこ》りにしてゐた。一|頁《ページ》も眼《め》を通《とほ》さないで、日《ひ》を送ることがあると、習慣上|何《なに》となく荒癈の感を催ふした。だから大抵な事故があつても、成るべく都合して、活字に親《したし》んだ。ある時は読書そのものが、唯一なる自己の本領の様な気がした。
 代助は今茫然として、烟草《たばこ》を燻《くゆ》らしながら、読《よ》み掛けた頁《ページ》を二三枚あとへ繰《く》つて見た。そこに何《ど》んな議論があつて、それが何《ど》う続《つゞ》くのか、頭《あたま》を拵《こしら》える為《ため》に一寸《ちよつと》骨を折つた。其努力は艀《はしけ》から桟橋へ移る程|楽《らく》ではなかつた。食《く》ひ違《ちが》つた断面の甲に迷付《まごつ》いてゐるものが、急に乙に移るべく余儀なくされた様であつた。代助はそれでも辛抱して、約二時間程|眼《め》を頁《ページ》の上《うへ》に曝《さら》してゐた。が仕舞にとう/\堪え切れなくなつた。彼《かれ》の読《よ》んでゐるものは、活字の集合《あつまり》として、ある意味を以て、彼《かれ》の頭《あたま》に映《えい》ずるには違《ちがひ》ないが、彼《かれ》の肉や血《ち》に廻《まは》る気色は一向見えなかつた。彼《かれ》は氷嚢を隔てゝ、氷《こほり》に食《く》ひ付《つ》いた時の様に物足らなく思つた。
 彼は書物を伏《ふ》せた。さうして、こんな時に書物を読《よ》むのは無理だと考へた。同時にもう安息する事も出来なくなつたと考へた。彼《かれ》の苦痛は何時《いつ》ものアンニユイではなかつた。何《なに》も為《す》るのが慵《ものう》いと云ふのとは違《ちが》つて、何《なに》か為《し》なくてはゐられない頭《あたま》の状態であつた。
 彼は立ち上《あ》がつて、茶《ちや》の間《ま》へ来《き》て、畳んである羽織を又|引掛《ひつかけ》た。さうして玄関に脱《ぬ》ぎ棄てた下駄を穿《は》いて馳《か》け出《だ》す様に門を出《で》た。時は四時頃であつた。神楽坂《かぐらざか》を下《お》りて、当《あて》もなく、眼《め》に付《つ》いた第一の電車に乗《の》つた。車掌に行先《ゆくさき》を問はれたとき、口《くち》から出任《でまか》せの返事をした。紙入《かみいれ》を開《あ》けたら、三千代に遣《や》つた旅行費の余りが、三折《みつをり》の深底《ふかぞこ》の方にまだ這入つてゐた。代助は乗車券を買つた後《あと》で、札の数を調べて見た。
 彼《かれ》は其晩を赤坂のある待合で暮《く》らした。其所《そこ》で面白い話《はなし》を聞《き》いた。ある若《わか》くて美くしい女が、去る男と関係して、其種《そのたね》を宿《やど》した所が、愈子を生《う》む段になつて、涙《なみだ》を零《こぼ》して悲《かな》しがつた。後《あと》から其訳を聞いたら、こんな年《とし》で子供を生《う》ませられるのは情《なさけ》ないからだと答へた。此女は愛を専《もつぱ》らにする時機が余り短か過《す》ぎて、親子《おやこ》の関係が容赦もなく、若い頭《あたま》の上《うへ》を襲つて来《き》たのに、一種の無定を感じたのであつた。それは無論|堅気《かたぎ》の女ではなかつた。代助は肉の美《び》と、霊《れい》の愛にのみ己《おの》れを捧げて、其他を顧みぬ女の心理状体として、此話を甚だ興味あるものと思つた。

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