2008年11月14日金曜日

一の一

 誰《だれ》か慌《あは》たゞしく門前《もんぜん》を馳《か》けて行く足音《あしおと》がした時、代助《だいすけ》の頭《あたま》の中《なか》には、大きな俎下駄《まないたげた》が空《くう》から、ぶら下《さが》つてゐた。けれども、その俎《まないた》下駄は、足音《あしおと》の遠退《とほの》くに従つて、すうと頭《あたま》から抜《ぬ》け出《だ》して消えて仕舞つた。さうして眼《め》が覚めた。
 枕元《まくらもと》を見ると、八重の椿《つばき》が一輪《いちりん》畳《たゝみ》の上に落ちてゐる。代助《だいすけ》は昨夕《ゆふべ》床《とこ》の中《なか》で慥かに此花の落ちる音《おと》を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬《ごむまり》を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更《ふ》けて、四隣《あたり》が静かな所為《せゐ》かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋《あばら》のはづれに正《たゞ》しく中《あた》る血《ち》の音《おと》を確《たし》かめながら眠《ねむり》に就いた。
 ぼんやりして、少時《しばらく》、赤ん坊の頭《あたま》程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当《あ》てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈《みやく》を聴《き》いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確《たしか》に打つてゐた。彼は胸に手を当《あ》てた儘、此鼓動の下に、温《あたた》かい紅《くれなゐ》の血潮の緩く流れる様《さま》を想像して見た。是が命《いのち》であると考へた。自分は今流れる命《いのち》を掌《てのひら》で抑へてゐるんだと考へた。それから、此|掌《てのひら》に応《こた》へる、時計の針に似た響《ひゞき》は、自分を死《し》に誘《いざな》ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生《い》きてゐられたなら、――血を盛《も》る袋《ふくろ》が、時《とき》を盛《も》る袋《ふくろ》の用を兼ねなかつたなら、如何《いか》に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生《せい》を味はひ得るだらう。けれども――代助《だいすけ》は覚えず悚《ぞつ》とした。彼は血潮《ちしほ》によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生《い》きたがる男である。彼は時々《とき/″\》寐《ね》ながら、左の乳《ちゝ》の下《した》に手を置いて、もし、此所《こゝ》を鉄槌《かなづち》で一つ撲《どや》されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。
 彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中《なか》から両手を出《だ》して、大きく左右に開《ひら》くと、左側《ひだりがは》に男が女を斬《き》つてゐる絵があつた。彼はすぐ外《ほか》の頁《ページ》へ眼《め》を移した。其所《そこ》には学校騒動が大きな活字で出てゐる。代助は、しばらく、それを読んでゐたが、やがて、惓怠《だる》さうな手から、はたりと新聞を夜具の上《うへ》に落した。夫から烟草を一本|吹《ふ》かしながら、五寸許り布団を摺《ず》り出して、畳の上の椿《つばき》を取つて、引つ繰《く》り返《かへ》して、鼻の先へ持《も》つて来《き》た。口《くち》と口髭《くちひげ》と鼻の大部分が全く隠《かく》れた。烟りは椿《つばき》の瓣《はなびら》と蕊《ずい》に絡《から》まつて漂《たゞよ》ふ程濃く出た。それを白《しろ》い敷布《しきふ》の上《うへ》に置くと、立ち上《あ》がつて風呂場《ふろば》へ行つた。
 其所《そこ》で叮嚀《ていねい》に歯《は》を磨《みが》いた。彼《かれ》は歯並《はならび》の好《い》いのを常に嬉しく思つてゐる。肌《はだ》を脱《ぬ》いで綺麗《きれい》に胸《むね》と脊《せ》を摩擦《まさつ》した。彼《かれ》の皮膚《ひふ》には濃《こまや》かな一種の光沢《つや》がある。香油を塗《ぬ》り込んだあとを、よく拭き取《と》つた様に、肩《かた》を揺《うご》かしたり、腕《うで》を上《あ》げたりする度《たび》に、局所《きよくしよ》の脂肪《しぼう》が薄《うす》く漲《みなぎ》つて見える。かれは夫《それ》にも満足である。次に黒い髪《かみ》を分《わ》けた。油《あぶら》を塗《つ》けないでも面白い程自由になる。髭《ひげ》も髪《かみ》同様に細《ほそ》く且つ初々《うい/\》しく、口《くち》の上《うへ》を品よく蔽ふてゐる。代助《だいすけ》は其ふつくらした頬《ほゝ》を、両手で両三度撫でながら、鏡の前《まへ》にわが顔《かほ》を映《うつ》してゐた。丸で女《をんな》が御白粉《おしろい》を付《つ》ける時の手付《てつき》と一般であつた。実際彼は必要があれば、御白粉《おしろい》さへ付《つ》けかねぬ程に、肉体に誇《ほこり》を置く人である。彼の尤も嫌ふのは羅漢の様な骨骼と相好《さうごう》で、鏡に向ふたんびに、あんな顔に生《うま》れなくつて、まあ可《よ》かつたと思ふ位である。其代り人から御洒落《おしやれ》と云はれても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えてゐる。

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