2008年11月13日木曜日

十の二

 一時間《いちぢかん》の後《のち》、代助は大きな黒い眼《め》を開《あ》いた。其|眼《め》は、しばらくの間《あひだ》一つ所《ところ》に留《とゞ》まつて全く動《うご》かなかつた。手《て》も足《あし》も寐《ね》てゐた時の姿勢を少しも崩《くづ》さずに、丸で死人《しにん》のそれの様であつた。其時一匹の黒《くろ》い蟻《あり》が、ネルの襟《えり》を伝はつて、代助の咽喉《のど》に落《お》ちた。代助はすぐ右の手を動《うご》かして咽喉《のど》を抑《おさ》へた。さうして、額《ひたひ》に皺《しわ》を寄《よ》せて、指《ゆび》の股《また》に挟《はさ》んだ小《ちい》さな動物を、鼻《はな》の上《うへ》迄持つて来《き》て眺《なが》めた。其時蟻はもう死んでゐた。代助は人指指《ひとさしゆび》の先《さき》に着《つ》いた黒いものを、親指《おやゆび》の爪《つめ》で向《むかふ》へ弾《はぢ》いた。さうして起《お》き上《あ》がつた。
 膝《ひざ》の周囲《まはり》に、まだ三|四匹《しひき》這つてゐたのを、薄《うす》い象牙の紙小刀《ペーパーナイフ》で打ち殺した。それから手を叩《たゝ》いて人《ひと》を呼《よ》んだ。
「御目|醒《ざめ》ですか」と云つて、門野《かどの》が出《で》て来《き》た。
「御茶でも入《い》れて来《き》ませうか」と聞《き》いた。代助は、はだかつた胸《むね》を掻《か》き合《あは》せながら、
「君《きみ》、僕《ぼく》の寐てゐるうちに、誰《だれ》か来《き》やしなかつたかね」と、静《しづ》かな調子で尋ねた。
「えゝ、御出《おいで》でした。平岡の奥さんが。よく御|存《ぞん》じですな」と門野《かどの》は平気に答へた。
「何故《なぜ》起《おこ》さなかつたんだ」
「余《あん》まり能《よ》く御休《おやすみ》でしたからな」
「だつて御客《おきやく》なら仕方《しかた》がないぢやないか」
 代助の語勢は少し強くなつた。
「ですがな。平岡の奥さんの方《ほう》で、起《おこ》さない方が好《い》いつて、仰《おつ》しやつたもんですからな」
「それで、奥さんは帰つて仕舞つたのか」
「なに帰《かへ》つて仕舞つたと云ふ訳でもないんです。一寸《ちよつと》神楽坂《かぐらざか》に買物《かひもの》があるから、それを済《す》まして又|来《く》るからつて、云はれるもんですからな」
「ぢや又|来《く》るんだね」
「さうです。実《じつ》は御|目覚《めざめ》になる迄|待《ま》つてゐやうかつて、此座敷迄|上《あが》つて来《こ》られたんですが、先生の顔《かほ》を見て、あんまり善《よ》く寐《ね》てゐるもんだから、こいつは、容易に起《お》きさうもないと思つたんでせう」
「また出《で》て行《い》つたのかい」
「えゝ、まあ左《さ》うです」
 代助は笑ひながら、両手で寐起《ねおき》の顔《かほ》を撫《な》でた。さうして風呂場へ顔《かほ》を洗ひに行《い》つた。頭《あたま》を濡《ぬ》らして、椽側《えんがは》迄|帰《かへ》つて来《き》て、庭《には》を眺《なが》めてゐると、前《まへ》よりは気分が大分《だいぶ》晴々《せい/\》した。曇《くも》つた空《そら》を燕《つばめ》が二|羽《は》飛んでゐる様《さま》が大いに愉快に見えた。
 代助は此前《このまへ》平岡の訪問を受けてから、心待《こゝろまち》に、後《あと》から三千代の来《く》るのを待《ま》つてゐた。けれども、平岡《ひらをか》の言葉《ことば》は遂《つい》に事実として現《あらは》れて来《こ》なかつた。特別の事情があつて、三千代《みちよ》がわざと来《こ》ないのか、又は平岡が始《はじ》めから御世辞を使《つか》つたのか、疑問であるが、それがため、代助は心《こゝろ》の何処《どこ》かに空虚《くうきよ》を感じてゐた。然し彼《かれ》は此《この》空虚《くうきよ》な感じを、一つの経験として日常生活中に見出《みいだ》した迄で、其原因をどうするの、斯《か》うするのと云ふ気はあまりなかつた。此経験自身の奥《おく》を覗《のぞ》き込むと、それ以上に暗《くら》い影《かげ》がちらついてゐる様に思つたからである。
 それで彼《かれ》は進《すゝ》んで平岡を訪問するのを避《さ》けてゐた。散歩のとき彼《かれ》の足《あし》は多く江戸川の方角に向《む》いた。桜《さくら》の散《ち》る時分には、夕暮《ゆふぐれ》の風《かぜ》に吹《ふ》かれて、四《よつ》つの橋《はし》を此方《こちら》から向《むかふ》へ渡《わた》り、向《むかふ》から又|此方《こちら》へ渡《わた》り返して、長い堤《どて》を縫《ぬ》ふ様に歩《ある》いた。が其|桜《さくら》はとくに散《ちつ》て仕舞つて、今《いま》は緑蔭の時節になつた。代助は時々《とき/″\》橋《はし》の真中《まんなか》に立《た》つて、欄干に頬杖を突いて、茂《しげ》る葉《は》の中《なか》を、真直《まつすぐ》に通《とほ》つてゐる、水《みづ》の光《ひかり》を眺《なが》め尽《つく》して見《み》る。それから其|光《ひかり》の細《ほそ》くなつた先《さき》の方《ほう》に、高く聳える目白台の森《もり》を見上《みあげ》て見《み》る。けれども橋を向《むかふ》へ渡《わた》つて、小石川の坂《さか》を上《のぼ》る事はやめにして帰《かへ》る様になつた。ある時《とき》彼《かれ》は大曲《おほまがり》の所で、電車を下《おり》る平岡の影《かげ》を半町程手前から認《みと》めた。彼《かれ》は慥《たしか》に左様《さう》に違《ちがひ》ないと思つた。さうして、すぐ揚場《あげば》の方へ引《ひ》き返した。
 彼《かれ》は平岡の安否《あんぴ》を気《き》にかけてゐた。まだ坐食《ゐぐひ》の不安な境遇に居《お》るに違《ちがひ》ないとは思ふけれども、或は何《ど》の方面かへ、生活の行路《こうろ》を切り開く手掛りが出来《でき》たかも知れないとも想像して見た。けれども、それを確《たしか》める為《ため》に、平岡《ひらをか》の後《あと》を追ふ気にはなれなかつた。彼は平岡に面《めん》するときの、原因不明な一種の不快を予想する様になつた。と云つて、たゞ三千代の為《ため》にのみ、平岡の位地を心配する程、平岡を悪《にく》んでもゐなかつた。平岡の為《ため》にも、矢張り平岡の成功を祈る心はあつたのである。

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