2008年11月13日木曜日

七の六

 梅子は、此機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しやうと力めた。所が代助には梅子の腹《はら》がよく解《わか》つてゐた。解《わか》れば解《わか》る程激する気にならなかつた。そのうち話題は金《かね》を離れて、再び結婚に戻《もど》つて来《き》た。代助は最近の候補者に就て、此間《このあひだ》から親爺《おやぢ》に二度程|悩《なや》まされてゐる。親爺《おやぢ》の論理は何時《いつ》聞《き》いても昔し風に甚だ義理|堅《かた》いものであつたが、其代り今度は左程権柄づくでもなかつた。自分の命《いのち》の親《おや》に当《あた》る人《ひと》の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰《もら》つて呉れと云ふんである。さうすれば幾分か恩が返《かへ》せると云ふんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、丸で筋の立《た》たない主張であつた。尤も候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持つてゐなかつた事丈は慥かである。だから父《ちゝ》の云ふ事の当否は論弁の限《かぎり》にあらずとして、貰《もら》へば貰《もら》つても構《かま》はないのである。代助は此二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になつた如く、結婚《けつこん》に対しても、あまり重きを置く必要を認めてゐない。佐川の娘といふのは只写真で知つてゐる許であるが、夫丈でも沢山な様な気がする。――尤も写真は大分美くしかつた。――従つて、貰ふとなれば、左様《さう》面倒な条件を持ち出す考も何もない。たゞ、貰ひませうと云ふ確答が出《で》なかつた丈である。
 その不明晰な態度を、父《ちゝ》に評させると、丸で要領を得てゐない鈍物同様の挨拶振になる。結婚を生死の間《あひだ》に横《よこた》はる一大要件と見傚して、あらゆる他の出来事を、これに従属させる考の嫂《あによめ》から云はせると、不可思議になる。
「だつて、貴方《あなた》だつて、生涯|一人《ひとり》でゐる気でもないんでせう。さう我儘を云はないで、好《い》い加減な所で極《き》めて仕舞つたら何《ど》うです」と梅子は少《すこ》し焦《ぢ》れつたさうに云つた。
 生涯|一人《ひとり》でゐるか、或は妾《めかけ》を置いて暮《くら》すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた。只《たゞ》、今《いま》の彼は結婚といふものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持《も》てなかつた事は慥《たしか》である。是は、彼の性情が、一図に物に向つて集注し得ないのと、彼の頭《あたま》が普通以上に鋭《する》どくつて、しかも其|鋭《するど》さが、日本現代の社会状況のために、幻像《イリユージヨン》打破の方面に向《むか》つて、今日迄多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知つてゐるのとに帰着するのである。が代助は其所《そこ》迄解剖して考へる必要は認めてゐない。たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明《あきら》かな事実を握《にぎ》つて、それに応じて未来を自然に延《の》ばして行く気でゐる。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時《いつ》か之を成立させ様と喘《あせ》る努力を、不自然であり、不合理であり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。
 代助は固より斯《こ》んな哲理《フヒロソフヒー》を嫂《あによめ》に向つて講釈する気はない。が、段々押し詰《つめ》られると、苦し紛《まぎ》れに、
「だが、姉《ねえ》さん、僕は何《ど》うしても嫁《よめ》を貰《もら》はなければならないのかね」と聞《き》く事がある。代助は無論|真面目《まじめ》に聞《き》く積《つもり》だけれども、嫂《あによめ》の方では呆《あき》れて仕舞ふ。さうして、自分を茶にするのだと取る。梅子は其晩代助に向つて、平生《いつも》の手続《てつゞき》を繰《く》り返《かへ》した後《あと》で、斯《こ》んな事を云つた。
「妙なのね、そんなに厭《いや》がるのは。――厭《いや》なんぢやないつて、口《くち》では仰《おつ》しやるけれども、貰《もら》はなければ、厭《いや》なのと同《おん》なしぢやありませんか。それぢや誰《だれ》か好《す》きなのがあるんでせう。其方《そのかた》の名を仰《おつし》やい」
 代助は今迄|嫁《よめ》の候補者としては、たゞの一人も好《す》いた女《をんな》を頭《あたま》の中《なか》に指名してゐた覚がなかつた。が、今《いま》斯《か》う云はれた時、どう云ふ訳か、不意に三千代といふ名が心に浮かんだ。つゞいて、だから先刻《さつき》云つた金《かね》を貸して下《くだ》さい、といふ文句が自《おのづ》から頭《あたま》の中《なか》で出来上《できあが》つた。――けれども代助はたゞ苦笑して嫂《あによめ》の前に坐《すは》つてゐた。

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