2008年11月12日水曜日

十四の一

 自然の児にならうか、又意志の人《ひと》にならうかと代助は迷《まよ》つた。彼《かれ》は彼《かれ》の主義として、弾力性のない硬張《こわば》つた方針の下《もと》に、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛《そくばく》するの愚を忌んだ。同時に彼《かれ》は、彼《かれ》の生活が、一大断案を受くべき危機に達《たつ》して居る事を切に自覚した。
 彼《かれ》は結婚問題に就《つい》て、まあ能《よ》く考へて見ろと云はれて帰つたぎり、未《いま》だに、それを本気に考へる閑《ひま》を作《つく》らなかつた。帰つた時、まあ今日《けふ》も虎口《ここう》を逃《のが》れて難有《ありがた》かつたと感謝したぎり、放り出《だ》して仕舞つた。父《ちゝ》からはまだ何《なん》とも催促されないが、此二三日は又青山へ呼び出《だ》されさうな気がしてならなかつた。代助は固より呼《よ》び出《だ》される迄|何《なに》も考へずにゐる気であつた。呼《よ》び出されたら、父《ちゝ》の顔色《かほいろ》と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心|組《ぐみ》であつた。代助はあながち父《ちゝ》を馬鹿にする了見ではなかつた。あらゆる返事は、斯《か》う云ふ具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来《く》るのが本当だと思つてゐた。
 もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前迄押し詰《つ》められた様な気|持《もち》がなかつたなら、代助は父《ちゝ》に対して無論さう云ふ所置を取つたらう。けれども、代助は今相手の顔色《かほいろ》如何《いかん》に拘はらず、手に持つた賽《さい》を投《な》げなければならなかつた。上《うへ》になつた目《め》が、平岡に都合が悪《わる》からうと、父《ちゝ》の気に入らなからうと、賽を投《な》げる以上は、天の法則通りになるより外《ほか》に仕方《しかた》はなかつた。賽を手に持《も》つ以上は、又|賽《さい》が投げられ可《べ》く作《つく》られたる以上は、賽《さい》の目《め》を極《き》めるものは自分以外にあらう筈はなかつた。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹《はら》のうちで定《さだ》めた。父《ちゝ》も兄《あに》も嫂《あによめ》も平岡も、決断の地平線上には出《で》て来《こ》なかつた。
 彼はたゞ彼《かれ》の運命に対してのみ卑怯であつた。此四五日は掌《てのひら》に載《の》せた賽《さい》を眺《なが》め暮《く》らした。今日《けふ》もまだ握《にぎ》つてゐた。早く運命が戸外《そと》から来《き》て、其|手《て》を軽く敲《はた》いて呉れれば好《い》いと思《おも》つた。が、一方《いつぽう》では、まだ握《にぎ》つてゐられると云ふ意識が大層|嬉《うれ》しかつた。
 門野《かどの》は時々《とき/″\》書斎へ来《き》た。来《く》る度《たび》に代助は洋卓《デスク》の前に凝《じつ》としてゐた。
「些《ちつ》と散歩にでも御出《おいで》になつたら如何《いかゞ》です。左様《さう》御勉強ぢや身体《からだ》に悪《わる》いでせう」と云つた事が一二度あつた。成程|顔色《かほいろ》が好《よ》くなかつた。夏向《なつむき》になつたので、門野《かどの》が湯《ゆ》を毎日|沸《わ》かして呉れた。代助は風呂場に行くたびに、長《なが》い間《あひだ》鏡《かゞみ》を見た。髯《ひげ》の濃《こ》い男なので、少《すこ》し延びると、自分には大層見苦しく見えた。触《さわ》つて、ざら/\すると猶不愉快だつた。
 飯《めし》は依然として、普通の如く食《く》つた。けれども運動の不足と、睡眠の不規則と、それから、脳の屈托とで、排泄機能に変化を起した。然し代助はそれを何とも思はなかつた。生理状態は殆んど苦にする暇《いとま》のない位、一つ事をぐる/\回《まは》つて考へた。それが習慣になると、終局なく、ぐる/\回《まは》つてゐる方が、埒《らつ》の外《そと》へ飛び出《だ》す努力よりも却つて楽になつた。
 代助は最後に不決断の自己|嫌悪《けんお》に陥つた。已を得ないから、三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断らうかと迄考へて、覚えず驚ろいた。然し三千代と自分の関係を絶つ手段として、結婚を許諾して見様かといふ気は、ぐる/\回転してゐるうちに一度も出《で》て来《こ》なかつた。
 縁談を断《ことわ》る方は単独にも何遍となく決定が出来た。たゞ断つた後《あと》、其反動として、自分をまともに三千代の上《うへ》に浴《あび》せかけねば已《や》まぬ必然の勢力が来るに違ないと考へると、其所《そこ》に至つて、又恐ろしくなつた。
 代助は父《ちゝ》からの催促を心待に待つてゐた。しかし父《ちゝ》からは何の便《たより》もなかつた。三千代にもう一遍逢はうかと思つた。けれども、それ程の勇気も出《で》なかつた。
 一番仕舞に、結婚は道徳の形式に於て、自分と三千代を遮断するが、道徳の内容に於て、何等の影響を二人《ふたり》の上《うへ》に及ぼしさうもないと云ふ考が、段々代助の脳裏に勢力を得て来《き》た。既に平岡に嫁《とつ》いだ三千代に対して、こんな関係が起り得るならば、此上《このうへ》自分に既婚者の資格を与へたからと云つて、同様の関係が続《つゞ》かない訳には行かない。それを続《つゞ》かないと見るのはたゞ表向の沙汰で、心を束縛《そくばく》する事の出来《でき》ない形式は、いくら重《かさ》ねても苦痛を増す許である。と云ふのが代助の論法であつた。代助は縁談を断るより外に道《みち》はなくなつた。

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