2008年11月13日木曜日

六の四

 平岡《ひらをか》の家《いへ》は、此十数年来の物価騰|貴《き》に伴《つ》れて、中流社会が次第々々に切《き》り詰《つ》められて行《ゆ》く有様を、住宅《じうたく》の上《うへ》に善《よ》く代表してゐる、尤も粗悪な見苦《みぐる》しき構《かま》へである。とくに代助には左様《さう》見えた。
 門《もん》と玄関の間《あひだ》が一間《いつけん》位しかない。勝手口《かつてぐち》も其通りである。さうして裏にも、横《よこ》にも同じ様な窮屈な家《いへ》が建《た》てられてゐる。東京市の貧弱なる膨脹に付《つ》け込《こ》んで、最低度の資本家が、なけなしの元手《もとで》を二割乃至三割の高利《こうり》に廻《まは》さうと目論《もくろん》で、あたぢけなく拵《こしら》へ上《あ》げた、生存競争の記念《かたみ》である。
 今日《こんにち》の東京市、ことに場末《ばすえ》の東京市には、至る所に此種《このしゆ》の家《いへ》が散点してゐる、のみならず、梅雨《つゆ》に入《い》つた蚤《のみ》の如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつゝある。代助はかつて、是を敗亡の発展《はつてん》と名《な》づけた。さうして、之を目下の日本を代表する最好の象徴《シンボル》とした。
 彼等のあるものは、石油缶《せきゆくわん》の底《そこ》を継《つ》ぎ合《あ》はせた四角な鱗《うろこ》で蔽はれてゐる。彼等の一つを借りて、夜中《よなか》に柱《はしら》の割れる音《おと》で眼《め》を醒《さ》まさないものは一人《ひとり》もない。彼等の戸には必ず節穴《ふしあな》がある。彼等の襖《ふすま》は必ず狂《くる》ひが出ると極つてゐる。資本を頭《あたま》の中《なか》へ注《つ》ぎ込《こ》んで、月々《つき/″\》其|頭《あたま》から利息を取つて生活しやうと云ふ人間《にんげん》は、みんな斯《か》ういふ所を借《か》りて立《た》て籠《こも》つてゐる。平岡も其|一人《いちにん》である。
 代助は垣根《かきね》の前《まへ》を通るとき、先づ其|屋根《やね》に眼《め》が付《つ》いた。さうして、どす黒《ぐろ》い瓦の色が妙に彼《かれ》の心を刺激した。代助には此|光《ひかり》のない土《つち》の板《いた》が、いくらでも水《みづ》を吸《す》ひ込《こ》む様に思はれた。玄関前に、此間《このあひだ》引越のときに解《ほど》いた菰包《こもづゝみ》の藁屑《わらくづ》がまだ零《こぼ》れてゐた。座敷《ざしき》へ通《とほ》ると、平岡は机の前《まへ》へ坐《すは》つて、長《なが》い手紙《てがみ》を書《か》き掛《か》けてゐる所であつた。三千代《みちよ》は次《つぎ》の部屋《へや》で簟笥の環《くわん》をかたかた鳴らしてゐた。傍《そば》に大《おほ》きな行李《こり》が開《あ》けてあつて、中《なか》から奇麗《きれい》な長繻絆《ながじゆばん》の袖《そで》が半分《はんぶん》出《で》かかつてゐた。
 平岡が、失敬だが鳥渡《ちよつと》待《ま》つて呉れと云つた間《あひだ》に、代助は行李《こり》と長繻絆《ながじゆばん》と、時々《とき/″\》行李《こり》の中《なか》へ落《お》ちる繊《ほそ》い手とを見てゐた。襖《ふすま》は明《あ》けた儘|閉《た》て切《き》る様子もなかつた。が三千代の顔は陰《かげ》になつて見えなかつた。
 やがて、平岡は筆《ふで》を机《つくえ》の上へ抛《な》げ付ける様にして、座《ざ》を直《なほ》した。何《なん》だか込み入つた事を懸命に書いてゐたと見えて、耳を赤《あか》くしてゐた。眼《め》も赤くしてゐた。
「何《ど》うだい。此間《このあひだ》は色々《いろ/\》難有う。其|後《ご》一寸《ちよつと》礼《れい》に行《い》かうと思つて、まだ行《い》かない」
 平岡の言葉は言訳《いひわけ》と云はんより寧ろ挑|戦《せん》の調子を帯びてゐる様に聞《き》こえた。襯衣《シヤツ》も股引《もゝひき》も着《つ》けずにすぐ胡坐《あぐら》をかいた。襟《えり》を正《たゞ》しく合《あは》せないので、胸毛《むなげ》が少し出《で》ゝゐる。
「まだ落《お》ち付《つ》かないだらう」と代助が聞いた。
「落ち付く所《どころ》か、此分《このぶん》ぢや生涯落ち付きさうもない」と、いそがしさうに烟草を吹かし出《だ》した。
 代助は平岡が何故《なぜ》こんな態度で自分に応接するか能く心得てゐた。決して自分に中《あた》るのぢやない、つまり世間《せけん》に中《あた》るんである、否|己《おの》れに中《あた》つてゐるんだと思つて、却つて気の毒になつた。けれども代助の様な神経には、此調子が甚だ不愉快に響いた。たゞ腹《はら》が立たない丈である。
「宅《うち》の都合は、どうだい。間取《まどり》の具合は可《よ》ささうぢやないか」
「うん、まあ、悪《わる》くつても仕方《しかた》がない。気に入つた家《うち》へ這入らうと思へば、株《かぶ》でも遣《や》るより外に仕様がなからう。此頃東京に出来る立派な家《うち》はみんな株屋が拵《こしら》へるんだつて云ふぢやないか」
「左様《さう》かも知れない。其代り、あゝ云ふ立派な家《うち》が一軒|立《た》つと、其|陰《かげ》に、どの位沢山な家《うち》が潰《つぶ》れてゐるか知れやしない」
「だから猶《なほ》住《す》み好《い》いだらう」
 平岡は斯《か》う云つて大いに笑《わら》つた。其所《そこ》へ三千代《みちよ》が出《で》て来《き》た。先達てはと、軽《かる》く代助に挨拶をして、手に持《も》つた赤いフランネルのくる/\と巻《ま》いたのを、坐《すは》ると共に、前《まへ》へ置《お》いて、代助に見せた。
「何ですか、それは」
「赤※[#小書き平仮名ん、94-8]坊の着物《きもの》なの。拵《こしら》へた儘、つい、まだ、解《ほど》かずにあつたのを、今|行李《こり》の底《そこ》を見《み》たら有《あ》つたから、出《だ》して来《き》たんです」と云ひながら、附紐《つけひも》を解《と》いて筒袖《つゝそで》を左右に開《ひら》いた。
「こら」
「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊《こわ》して雑巾にでもして仕舞へ」

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