2008年11月13日木曜日

八の一

 代助が嫂《あによめ》に失敗して帰つた夜《よ》は、大分《だいぶ》更《ふ》けてゐた。彼は辛《から》うじて青山の通りで、最後《さいご》の電車を捕《つら》まえた位である。それにも拘はらず彼《かれ》の話してゐる間《あひだ》には、父《ちゝ》も兄《あに》も帰つて来《こ》なかつた。尤も其間《そのあひだ》に梅子は電話|口《ぐち》へ二返呼ばれた。然し、嫂《あによめ》の様子に別段変つた所《ところ》もないので、代助は此方《こつち》から進んで何にも聞かなかつた。
 其夜《そのよ》は雨催《あめもよひ》の空《そら》が、地面《ぢめん》と同《おな》じ様な色《いろ》に見えた。停留所の赤い柱の傍《そば》に、たつた一人《ひとり》立《た》つて電車を待ち合はしてゐると、遠《とほ》い向《むか》ふから小さい火の玉《たま》があらはれて、それが一直線に暗い中《なか》を上下《うへした》に揺《ゆ》れつつ代助の方に近《ちかづ》いて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗《の》り込んで見ると、誰《だれ》も居なかつた。黒《くろ》い着物《きもの》を着《き》た車掌と運転手の間《あひだ》に挟《はさ》まれて、一種の音《おと》に埋《うづ》まつて動《うご》いて行くと、動《うご》いてゐる車《くるま》の外《そと》は真暗《まつくら》である。代助は一人《ひとり》明《あか》るい中《なか》に腰を掛《か》けて、どこ迄も電車に乗つて、終《つい》に下《お》りる機会が来《こ》ない迄引つ張り廻《まは》される様な気がした。
 神楽坂《かぐらざか》へかゝると、寂《ひつそ》りとした路《みち》が左右の二階家《にかいや》に挟《はさ》まれて、細長《ほそなが》く前《まへ》を塞《ふさ》いでゐた。中途迄|上《のぼ》つて来《き》たら、それが急に鳴り出《だ》した。代助は風《かぜ》が家《や》の棟《むね》に当る事と思つて、立ち留《ど》まつて暗《くら》い軒《のき》を見上げながら、屋根から空《そら》をぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲はれた。戸《と》と障子と硝子《がらす》の打《う》ち合《あ》ふ音《おと》が、見る/\烈《はげ》しくなつて、あゝ地震だと気が付《つ》いた時は、代助の足は立ちながら半ば竦《すく》んでゐた。其時代助は左右の二階|家《や》が坂《さか》を埋《うづ》むべく、双方から倒れて来《く》る様に感じた。すると、突然|右側《みぎかは》の潜《くゞ》り戸《ど》をがらりと開《あ》けて、小供を抱《だ》いた一人《ひとり》の男が、地震だ/\、大きな地震だと云つて出《で》て来た。代助は其男の声を聞いて漸く安心した。
 家《うち》へ着《つ》いたら、婆さんも門野《かどの》も大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人《ふたり》とも自分程には感じなかつたらうと考へた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置し様《やう》かと思案して見た。然し分別を凝《こ》らす迄には至らなかつた。父《ちゝ》と兄《あに》の近来の多忙は何事だらうと推して見た。結婚は愚図々々にして置かうと了簡を極《き》めた。さうして眠《ねむり》に入つた。
 其明日《そのあくるひ》の新聞に始めて日糖事件なるものがあらはれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金《かね》を使用して代議士の何名かを買収したと云ふ報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ々々々と評してゐたが、代助にはそれ程痛快にも思へなかつた。が、二三日するうちに取り調べを受けるものゝ数《かず》が大分多くなつて来《き》て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立《た》てる様になつた。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。其説明には、英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らし出《だ》したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下《くだ》したのだとあつた。
 日糖事件の起る少し前、東洋汽船といふ会社は、壱割二分の配当をした後《あと》の半期に、八十万円の欠損を報告した事があつた。それを代助は記憶して居た。其時の新聞が此報告を評して信を置くに足らんと云つた事も記憶してゐた。
 代助は自分の父《ちゝ》と兄《あに》の関係してゐる会社に就ては何事《なにごと》も知らなかつた。けれども、いつ何《ど》んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた。さうして、父《ちゝ》も兄《あに》もあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜|敷《し》い吟味をされたなら、両方共拘引に価《あたひ》する資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた。それ程でなくつても、父《ちゝ》と兄《あに》の財産が、彼等の脳力と手腕丈で、誰《だれ》が見ても尤《もつとも》と認める様に、作《つく》り上《あ》げられたとは肯《うけが》はなかつた。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与へた事がある。其時たゞ貰《もら》つた地面の御蔭で、今は非常な金満家になつたものがある。けれども是は寧ろ天の与へた偶然である。父《ちゝ》と兄《あに》の如きは、此自己にのみ幸福なる偶然を、人為的に且政略的に、暖室《むろ》を造つて、拵《こしら》え上《あ》げたんだらうと代助は鑑定してゐた。

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