2008年11月12日水曜日

十一の四

 晩食《ばんめし》の時《とき》、丸善から小包《こづゝみ》が届《とゞ》いた。箸《はし》を措《お》いて開《あ》けて見ると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であつた。代助はそれを腋《わき》の下《した》に抱《かゝ》へ込《こ》んで、書斎へ帰つた。一冊づゝ順々に取り上《あ》げて、暗《くら》いながら二三|頁《ページ》、捲《はぐ》る様に眼《め》を通《とほ》したが何処《どこ》も彼の注意を惹《ひ》く様な所はなかつた。最後の一冊に至つては、其名前さへ既に忘れてゐた。何《いづ》れ其中《そのうち》読む事にしやうと云ふ考で、一所に纏《まと》めた儘、立つて、本棚の上《うへ》に重《かさ》ねて置いた。椽側から外《そと》を窺《うかゞ》うと、奇麗な空《そら》が、高い色《いろ》を失《うしな》ひかけて、隣《となり》の梧桐《ごとう》の一際《ひときは》濃《こ》く見える上《うへ》に、薄《うす》い月《つき》が出《で》てゐた。
 そこへ門野《かどの》が大きな洋燈《ランプ》を持つて這入《はい》つて来《き》た。それには絹縮《きぬちゞみ》の様《やう》に、竪《たて》に溝《みぞ》の入《い》つた青い笠《かさ》が掛《か》けてあつた。門野《かどの》はそれを洋卓《テーブル》の上《うへ》に置《お》いて、又椽側へ出《で》たが、出掛《でがけ》に、
「もう、そろ/\蛍《ほたる》が出《で》る時分ですな」と云つた。代助は可笑《をかし》な顔《かほ》をして、
「まだ出《で》やしまい」と答へた。すると門野《かどの》は例の如く、
「左様《さう》でしやうか」と云ふ返事をしたが、すぐ真面目《まじめ》な調子で、「蛍《ほたる》てえものは、昔《むかし》は大分《だいぶ》流行《はやつ》たもんだが、近来は余《あま》り文士|方《がた》が騒《さわ》がない様になりましたな。何《ど》う云ふもんでせう。蛍《ほたる》だの烏《からす》だのつて、此頃《このごろ》ぢやついぞ見た事がない位なもんだ」と云つた。
「左様《さう》さ。何《ど》う云ふ訳《わけ》だらう」と代助も空《そら》つとぼけて、真面目な挨拶をした。すると門野《かどの》は、
「矢っ張り、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでせう」と云ひ終つて、自《みづ》から、えへゝゝと、洒落《しやれ》の結末をつけて、書生部屋へ帰つて行つた。代助もつゞいて玄関迄|出《で》た。門野は振返《ふりかへつ》た。
「また御|出掛《でかけ》ですか。よござんす。洋燈《ランプ》は私《わたくし》が気を付《つ》けますから。――小母《をば》さんが先刻《さつき》から腹《はら》が痛《いた》いつて寐《ね》たんですが、何《なに》大《たい》した事はないでせう。御緩《ごゆつく》り」
 代助は門《もん》を出《で》た。江戸川迄|来《く》ると、河《かは》の水《みづ》がもう暗《くら》くなつてゐた。彼は固より平岡を訪《たづ》ねる気であつた。から何時《いつ》もの様に川辺《かはべり》を伝《つた》はないで、すぐ橋《はし》を渡《わた》つて、金剛寺坂《こんごうじざか》を上《あが》つた。
 実を云ふと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍逢つてゐた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取つた時であつた。それには、第一に着京以来御世話になつて難有いと云ふ礼が述べてあつた。それから、――其後《そのご》色々朋友や先輩の尽力を辱うしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分も遣《や》つて見たい様な気がする。然し着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断では宜《よろ》しくあるまいと思つて、一応御相談をすると云ふ意味が後《あと》に書いてあつた。代助は、其当時《そのとうじ》平岡から、兄《あに》の会社に周旋してくれと依頼されたのを、其儘にして、断わりもせず今日《こんにち》迄|放《ほう》つて置いた。ので、其返事を促《うな》がされたのだと受取つた。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡|過《すぎ》ると云ふ考もあつたので、翌日《よくじつ》出《で》向いて行《い》つて、色々|兄《あに》の方の事情を話して当分、此方《こつち》は断念して呉れる様に頼んだ。平岡は其時《そのとき》、僕も大方《おほかた》左様《さう》だらうと思つてゐたと云つて、妙な眼《め》をして三千代の方を見《み》た。
 いま一遍は、愈新聞の方が極《き》まつたから、一晩《ひとばん》緩《ゆつく》り君《きみ》と飲《の》みたい。何日《いくか》に来《き》て呉れといふ平岡の端書《はがき》が着《つ》いた時、折悪く差支が出来たからと云つて散歩の序に断わりに寄《よ》つたのである。其時平岡は座敷の真中《まんなか》に引繰《ひつく》り返《かへ》つて寐《ね》てゐた。昨夕《ゆふべ》どこかの会《くわい》へ出《で》て、飲み過《す》ごした結果《けつくわ》だと云つて、赤い眼《め》をしきりに摩《こす》つた。代助を見て、突然《とつぜん》、人間《にんげん》は何《ど》うしても君の様に独身でなけりや仕事は出来ない。僕も一人《ひとり》なら満洲へでも亜米利加へでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次《つぎ》の間《ま》で、こつそり仕事《しごと》をしてゐた。
 三遍目《さんべんめ》には、平岡の社へ出た留守を訪《たづ》ねた。其時は用事も何もなかつた。約三十分許り椽へ腰《こし》を掛《か》けて話《はな》した。
 夫《それ》から以後は可成小石川の方面へ立ち回《まは》らない事にして今夜《こんや》に至たのである。代助は竹早町へ上《あが》つて、それを向ふへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云ふ軒燈のすぐ前へ来《き》た。格子の外《そと》から声を掛《かけ》ると、洋燈《ランプ》を持つて下女が出《で》た。が平岡は夫婦とも留守であつた。代助は出先《でさき》も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗つて、本郷迄|来《き》て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入つて、麦酒《ビール》をぐい/\飲んだ。

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