2008年11月12日水曜日

十三の三

 翌日《よくじつ》になつて、代助はとう/\又三千代に逢《あ》ひに行つた。其時|彼《かれ》は腹《はら》の中《なか》で、先達《せんだつ》て置《お》いて来《き》た金《かね》の事を、三千代が平岡に話したらうか、話《はな》さなかつたらうか、もし話《はな》したとすれば何《ど》んな結果を夫婦の上《うへ》に生じたらうか、それが気掛《きがゝ》りだからと云ふ口実を拵《こし》らえた。彼は此|気掛《きがゝり》が、自分を駆《か》つて、凝《じつ》と落ち付《つ》かれない様に、東西に引張回《ひつぱりまは》した揚句、遂《つい》に三千代の方に吹《ふ》き付《つ》けるのだと解釈した。
 代助は家《いへ》を出《で》る前《まへ》に、昨夕《ゆふべ》着《き》た肌着《はだぎ》も単衣《ひとへ》も悉く改《あらた》めて気《き》を新《あらた》にした。外《そと》は寒暖計の度盛《どもり》の日を逐《お》ふて騰《あが》る頃《ころ》であつた。歩《ある》いてゐると、湿《しめ》つぽい梅雨《つゆ》が却つて待ち遠《とほ》しい程|熾《さか》んに日《ひ》が照《て》つた。代助は昨夕《ゆふべ》の反動で、此陽気な空気の中《なか》に落《お》ちる自分の黒《くろ》い影《かげ》が苦《く》になつた。広《ひろ》い鍔《つば》の夏帽《なつぼう》を被《かぶ》りながら、早く雨季《うき》に入れば好《い》いと云ふ心持があつた。其|雨季《うき》はもう二三|日《にち》の眼前《がんぜん》に逼《せま》つてゐた。彼《かれ》の頭《あたま》はそれを予報するかの様に、どんよりと重《おも》かつた。
 平岡の家《うち》の前《まへ》へ来《き》た時は、曇《くも》つた頭《あたま》を厚《あつ》く掩ふ髪《かみ》の根元《ねもと》が息切《いき》れてゐた。代助は家《いへ》に入る前《まへ》に先《ま》づ帽子を脱《ぬ》いだ。格子には締《しま》りがしてあつた。物音《ものおと》を目的《めあて》に裏《うら》へ回《まは》ると、三千代は下女と張物《はりもの》をしてゐた。物置《ものおき》の横《よこ》へ立《た》て掛《か》けた張板《はりいた》の中途《ちうと》から、細《ほそ》い首《くび》を前へ出《だ》して、曲《こゞ》みながら、苦茶《くちや》々々になつたものを丹念に引き伸《の》ばしつゝあつた手を留《と》めて、代助を見《み》た。一寸《ちよつと》は何《なん》とも云はなかつた。代助も、しばらくは唯《たゞ》立《た》つてゐた。漸くにして、
「又|来《き》ました」と云つた時《とき》、三千代は濡《ぬ》れた手を振《ふ》つて、馳け込む様に勝手から上《あ》がつた。同時に表《おもて》へ回《まは》れと眼《め》で合図をした。三千代は自分で沓脱《くつぬぎ》へ下《お》りて、格子の締《しまり》を外《はづ》しながら、
「無《ぶ》用|心《じん》だから」と云つた。今迄《いままで》日の透《とほ》る澄《す》んだ空気の下《した》で、手《て》を動《うご》かしてゐた所為《せゐ》で、頬《ほゝ》の所《ところ》が熱《ほて》つて見えた。それが額際《ひたひぎは》へ来《き》て何時《いつ》もの様に蒼白《あをしろ》く変《かは》つてゐる辺《あたり》に、汗《あせ》が少し煮染《にじ》み出《だ》した。代助は格子の外《そと》から、三千代の極《きわ》めて薄手《うすで》な皮膚を眺めて、戸の開《あ》くのを静かに待《ま》つた。三千代は、
「御待遠さま」と云つて、代助を誘《いざな》ふ様に、一足《ひとあし》横《よこ》へ退《の》いた。代助は三千代とすれ/\になつて内《うち》へ這入《はい》つた。座敷《ざしき》へ来《き》て見ると、平岡の机の前《まへ》に、紫《むらさき》の座蒲団がちやんと据《す》ゑてあつた。代助はそれを見た時|一寸《ちよつと》厭《いや》な心持がした。土《つち》の和《な》れない庭《には》の色《いろ》が黄色《きいろ》に光《ひか》る所に、長《なが》い草が見苦しく生《は》えた。
 代助は又|忙《いそ》がしい所を、邪魔に来《き》て済まないといふ様な尋常な云訳《いひわけ》を述べながら、此無趣味な庭《には》を眺めた。其時三千代をこんな家《うち》へ入れて置《お》くのは実際気の毒だといふ気が起《おこ》つた。三千代は水《みづ》いぢりで爪先《つまさき》の少《すこ》しふやけた手《て》を膝《ひざ》の上《うへ》に重《かさ》ねて、あまり退屈《たいくつ》だから張物《はりもの》をしてゐた所だと云つた。三千代の退屈といふ意味は、夫《おつと》が始終|外《そと》へ出《で》てゐて、単調な留守居の時間を無聊に苦しむと云ふ事であつた。代助はわざと、
「結構な身分《みぶん》ですね」と冷《ひや》かした。三千代は自分の荒涼な胸《むね》の中《うち》を代助に訴へる様子もなかつた。黙《だま》つて、次《つぎ》の間《ま》へ立《た》つて行《い》つた。用簟笥の環《くわん》を響《ひゞ》かして、赤《あか》い天鵞絨で張《は》つた小《ち》さい箱《はこ》を持《も》つて出《で》て来《き》た。代助の前《まへ》へ坐《すは》つて、それを開《あ》けた。中《なか》には昔し代助の遣《や》つた指環がちやんと這入《はい》つてゐた。三千代は、たゞ
「可《い》でせう、ね」と代助に謝罪する様に云つて、すぐ又立つて次《つぎ》の間《ま》へ行《い》つた。さうして、世《よ》の中《なか》を憚《はゞ》かる様に、記念の指環をそこ/\に用簟笥に仕舞つて元《もと》の坐に戻つた。代助は指環に就ては何事も語《かた》らなかつた。庭《には》の方を見て、
「そんなに閑《ひま》なら、庭《には》の草《くさ》でも取《と》つたら、何《ど》うです」と云つた。すると今度は三千代の方が黙《だま》つて仕舞つた。それが、少時《しばらく》続《つゞ》いた後《あと》で代助は又|改《あら》ためて聞いた。
「此間《このあひだ》の事を平岡君に話《はな》したんですか」
 三千代は低《ひく》い声《こえ》で、
「いゝえ」と答へた。
「ぢや、未《ま》だ知らないんですか」と聞き返した。
 其時三千代の説明には、話さうと思つたけれども、此頃平岡はついぞ落ち付《つ》いて宅《うち》にゐた事がないので、つい話《はな》しそびれて未《ま》だ知らせずにゐると云ふ事であつた。代助は固より三千代の説明を嘘《うそ》とは思はなかつた。けれども、五分《ごふん》の閑《ひま》さへあれば夫《おつと》に話《はな》される事を、今日《けふ》迄それなりに為《し》てあるのは、三千代の腹《はら》の中《なか》に、何だか話《はな》し悪《にく》い或《ある》蟠《わだか》まりがあるからだと思はずにはゐられなかつた。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のある人《ひと》にして仕舞つたと代助は考へた。けれども夫《それ》は左程に代助の良心を螫《さ》すには至らなかつた。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡も此結果に対して明かに責《せめ》を分《わか》たなければならないと思つたからである。

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