2008年11月14日金曜日

三の三

 代助は今《いま》此《この》親爺《おやぢ》と対坐してゐる。廂《ひさし》の長い小《ちい》さな部屋なので、居《ゐ》ながら庭《には》を見ると、廂《ひさし》の先《さき》で庭《には》が仕切《しき》られた様な感がある。少《すく》なくとも空《そら》は広《ひろ》く見えない。其代り静《しづ》かで、落ち付いて、尻《しり》の据《すわ》り具合が好《い》い。
 親爺《おやぢ》は刻《きざ》み烟草《たばこ》を吹《ふ》かすので、手《て》のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々《とき/″\》灰吹《はいふき》をぽん/\と叩《たゝ》く。それが静かな庭《には》へ響いて好《い》い音《おと》がする。代助の方は金《きん》の吸口《すひくち》を四五本|手烙《てあぶり》の中《なか》へ並《なら》べた。もう鼻《はな》から烟《けむ》を出すのが厭《いや》になつたので、腕組《うでぐみ》をして親爺《おやぢ》の顔《かほ》を眺《なが》めてゐる。其|顔《かほ》には年《とし》の割に肉《にく》が多い。それでゐて頬《ほゝ》は痩《こ》けてゐる。濃《こ》い眉《まゆ》の下《した》に眼《め》の皮《かは》が弛《たる》んで見える。髭《ひげ》は真白《まつしろ》と云はんよりは、寧ろ黄色《きいろ》である。さうして、話《はなし》をするときに相手《あいて》の膝頭《ひざがしら》と顔《かほ》とを半々《はん/\》に見較べる癖《くせ》がある。其時の眼《め》の動《うご》かし方《かた》で、白眼《しろめ》が一寸《ちよつと》ちらついて、相手《あいて》に妙な心|持《もち》をさせる。
 老人《ろうじん》は今《いま》斯んな事を云つてゐる。――
「さう人間《にんげん》は自分丈を考へるべきではない。世の中《なか》もある。国家もある。少しは人《ひと》の為《ため》に何《なに》かしなくつては心持のわるいものだ。御前だつて、さう、ぶら/\してゐて心持の好《い》い筈はなからう。そりや、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んで居て面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出《で》るものだからな」
「左様《さう》です」と代助は答へてゐる。親爺《おやぢ》から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云ふ習慣になつてゐる。代助に云はせると、親爺《おやぢ》の考は、万事|中途半端《ちうとはんぱ》に、或物《あるもの》を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有してゐない。しかのみならず、今利他本位でやつてるかと思ふと、何時《いつ》の間《ま》にか利己本位に変つてゐる。言葉丈は滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談《くうだん》である。それを基礎から打ち崩して懸《か》かるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めより成るべく触《さは》らない様にしてゐる。所が親爺《おやぢ》の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得てゐるので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来《く》る。そこで代助も已を得ず親爺《おやぢ》といふ老太陽の周囲を、行儀よく廻転する様に見せてゐる。
「それは実業が厭《いや》なら厭《いや》で好《い》い。何も金《かね》を儲ける丈が日本の為《ため》になるとも限るまいから。金《かね》は取《と》らんでも構《かま》はない。金《かね》の為《ため》に兎や角云ふとなると、御前も心持がわるからう。金《かね》は今迄通り己《おれ》が補助して遣《や》る。おれも、もう何時《いつ》死《し》ぬか分《わか》らないし、死《し》にや金《かね》を持つて行く訳にも行《い》かないし。月々《つき/″\》御前の生計《くらし》位どうでもしてやる。だから奮発して何か為《す》るが好《い》い。国民の義務としてするが好《い》い。もう三十だらう」
「左様《さう》です」
「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」
 代助は決してのらくらして居《ゐ》るとは思はない。たゞ職業の為《ため》に汚《けが》されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考へてゐる丈である。親爺《おやぢ》が斯んな事を云ふたびに、実は気の毒になる。親爺《おやぢ》の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日《つきひ》を利用しつゝある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹き出《だ》してゐるのが、全く映《うつ》らないのである。仕方がないから、真面目《まじめ》な顔をして、
「えゝ、困ります」と答へた。老人《ろうじん》は頭《あたま》から代助を小僧視してゐる上《うへ》に、其返事が何時《いつ》でも幼気《おさなげ》を失はない、簡単な、世帯離《しよたいばな》れをした文句だものだから、馬鹿《ばか》にするうちにも、どうも坊ちやんは成人しても仕様がない、困つたものだと云ふ気になる。さうかと思ふと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もぢ付《つ》かず尋常極まつてゐるので、此奴《こいつ》は手の付け様がないといふ気にもなる。

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