2008年11月13日木曜日

八の六

 平岡の帰りを玄関迄見送つた時、代助はしばらく、障子に身《み》を寄せて、敷居《しきゐ》の上《うへ》に立つてゐた。門野《かどの》も御|附合《つきあひ》に平岡の後姿《うしろすがた》を眺《なが》めてゐた。が、すぐ口《くち》を出《だ》した。
「平岡さんは思つたよりハイカラですな。あの服装《なり》ぢや、少《すこ》し宅《うち》の方が御粗末|過《すぎ》る様です」
「左様《さう》でもないさ。近頃はみんな、あんなものだらう」と代助は立ちながら答へた。
「全《まつ》たく、服装《なり》丈ぢや分《わか》らない世の中《なか》になりましたからね。何処《どこ》の紳士かと思ふと、どうも変《へん》ちきりんな家《うち》へ這入《はいつ》てますからね」と門野《かどの》はすぐあとを付けた。
 代助は返事も為《し》ずに書斎へ引き返した。椽側に垂《た》れた君子|蘭《らん》の緑《みどり》の滴《したゝり》がどろ/\になつて、干上《ひあが》り掛《かゝ》つてゐた。代助はわざと、書斎と座敷《ざしき》の仕切《しきり》を立《た》て切《き》つて、一人《ひとり》室《へや》のうちへ這入《はい》つた。来客に接《せつ》した後《あと》しばらくは、独坐《どくざ》に耽《ふけ》るが代助の癖《くせ》であつた。ことに今日《けふ》の様に調子の狂ふ時は、格別その必要を感じた。
 平岡はとう/\自分と離れて仕舞つた。逢《あ》ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする。実を云ふと、平岡ばかりではない。誰《だれ》に逢つても左《そ》んな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過《すぎ》なかつた。大地《だいち》は自然に続《つゞ》いてゐるけれども、其上に家《いへ》を建《た》てたら、忽ち切《き》れ|/\《ぎれ》になつて仕舞つた。家《いへ》の中《なか》にゐる人間《にんげん》も亦|切《き》れ切《ぎ》れになつて仕舞つた。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。
 代助と接近してゐた時分の平岡は、人に泣《な》いて貰《もら》ふ事を喜《よろ》こぶ人《ひと》であつた。今《いま》でも左様《さう》かも知れない。が、些《ちつ》ともそんな顔《かほ》をしないから、解《わか》らない。否、力《つと》めて、人《ひと》の同情を斥《しりぞ》ける様に振舞《ふるま》つてゐる。孤立しても世は渡つて見せるといふ我慢か、又は是が現代社会に本来の面目だと云ふ悟《さと》りか、何方《どつち》かに帰着する。
 平岡に接近してゐた時分の代助は、人《ひと》の為《ため》に泣《な》く事の好《す》きな男であつた。それが次第々々に泣《な》けなくなつた。泣《な》かない方が現代的だからと云ふのではなかつた。事実は寧《むし》ろ之《これ》を逆《ぎやく》にして、泣《な》かないから現代的だと言ひたかつた。泰西の文明の圧迫《あつぱく》を受《う》けて、其重|荷《に》の下《した》に唸《うな》る、劇烈な生存競争場裏に立つ人《ひと》で、真《しん》によく人《ひと》の為《ため》に泣き得るものに、代助は未《いま》だ曾《かつ》て出逢《であ》はなかつた。
 代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪《けんを》の念を催ふした。さうして向ふにも自己同様の念が萌《きざ》してゐると判じた。昔しの代助も、時々《とき/″\》わが胸のうちに、斯う云ふ影《かげ》を認めて驚ろいた事があつた。其時は非常に悲《かな》しかつた。今《いま》は其|悲《かな》しみも殆んど薄《うす》く剥《は》がれて仕舞つた。だから自分で黒い影《かげ》を凝《じつ》と見詰めて見る。さうして、これが真《まこと》だと思ふ。已《やむ》を得ないと思ふ。たゞそれ丈になつた。
 斯《か》う云ふ意味の孤独の底《そこ》に陥《おちい》つて煩悶するには、代助の頭《あたま》はあまりに判然《はつきり》し過《すぎ》てゐた。彼はこの境遇を以て、現代人の踏《ふ》むべき必然の運命と考へたからである。従つて、自分と平岡の隔離は、今《いま》の自分の眼《まなこ》に訴へて見て、尋常一般の径路を、ある点迄進行した結果に過《すぎ》ないと見傚した。けれども、同時に、両人《ふたり》の間《あひだ》に横《よこ》たはる一種の特別な事情の為《ため》、此隔離が世間並《せけんなみ》よりも早く到着したと云ふ事を自覚せずにはゐられなかつた。それは三千代《みちよ》の結婚であつた。三千代《みちよ》を平岡に周旋したものは元来が自分であつた。それを当時に悔《くゆ》る様な薄弱な頭脳《づのう》ではなかつた。今日《こんにち》に至つて振り返つて見ても、自分の所作《しよさ》は、過去を照《て》らす鮮《あざや》かな名誉であつた。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等|二人《ににん》の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前に頭《あたま》を下《さ》げなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故《なぜ》三千代を貰《もら》つたかと思ふ様になつた。代助は何処《どこ》かしらで、何故《なぜ》三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた。
 代助は書斎に閉《と》ぢ籠《こも》つて一日《いちにち》考へに沈《しづ》んでゐた。晩食《ばんしよく》の時、門野が、
「先生|今日《けふ》は一日《いちにち》御勉強ですな。どうです、些《ち》と御散歩になりませんか。今夜《こんや》は寅毘沙《とらびしや》ですぜ。演芸館で支那人《ちやん》の留学生が芝居を演《や》つてます。どんな事を演《や》る積ですか、行《い》つて御覧なすつたら何《ど》うです。支那人《ちやん》てえ奴《やつ》は、臆面がないから、何《なん》でも遣《や》る気だから呑気なもんだ。……」と一人《ひとり》で喋舌《しやべ》つた。

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