2008年11月12日水曜日

十三の六

 裏通りを三四丁|来《き》た所で、平岡が先《さき》へ立つて或家《あるいへ》に這入《はい》つた。座敷《ざしき》の軒《のき》に釣忍《つりしのぶ》が懸《かゝ》つて、狭《せま》い庭《には》が水で一面に濡《ぬ》れてゐた。平岡は上衣《うはぎ》を脱《ぬ》いで、すぐ胡坐《あぐら》をかいた。代助は左程|暑《あつ》いとも思はなかつた。団扇は手にした丈で済《す》んだ。
 会話は新聞社内の有様《ありさま》から始まつた。平岡は忙《いそが》しい様で却つて楽《らく》な商買で好《い》いと云つた。其語気には別に負惜《まけおし》みの様子も見えなかつた。代助は、それは無責任だからだらうと調戯《からか》つた。平岡は真面目になつて、弁解をした。さうして、今日《こんにち》の新聞事業程競争の烈しくて、機敏な頭《あたま》を要するものはないと云ふ理由《わけ》を説明した。
「成程たゞ筆《ふで》が達者な丈ぢや仕様があるまいよ」と代助は別に感服した様子を見せなかつた。すると、平岡は斯《か》う云つた。
「僕は経済方面の係りだが、単にそれ丈でも中々《なか/\》面白い事実が挙《あ》がつてゐる。ちと、君の家《うち》の会社の内幕《うちまく》でも書《か》いて御覧に入れやうか」
 代助は自分の平生の観察から、斯《こ》んな事を云はれて、驚ろく程ぼんやりしては居《ゐ》なかつた。
「書《か》くのも面白《おもしろ》いだらう。其代り公平に願ひたいな」と云つた。
「無論|嘘《うそ》は書《か》かない積《つもり》だ」
「いえ、僕《ぼく》の兄《あに》の会社ばかりでなく、一列一体《いちれついつたい》に筆誅して貰ひたいと云ふ意味だ」
 平岡は此時邪気のある笑《わら》ひ方《かた》をした。さうして、
「日糖事件丈ぢや物足《ものた》りないからね」と奥歯に物の挟《はさ》まつた様に云つた。代助は黙《だま》つて酒を飲んだ。話《はなし》は此調子で段々はずみを失《うしな》ふ様に見えた。すると平岡は、実業界の内状に関聯するとでも思つたものか、何かの拍子に、ふと、日清戦争の当時、大倉組に起《おこ》つた逸話を代助に吹聴した。その時、大倉組は広島で、軍隊用の食料品として、何百頭かの牛を陸軍に納める筈になつてゐた。それを毎日《まいにち》何《なん》頭かづつ、納めて置いては、夜《よる》になると、そつと行つて偸《ぬす》み出《だ》して来《き》た。さうして、知らぬ顔をして、翌日《あくるひ》同じ牛《うし》を又納めた。役人は毎日々々同じ牛を何遍も買《か》つてゐた。が仕舞に気が付いて、一遍受取つた牛には焼印を押した。所がそれを知らずに、又|偸《ぬす》み出《だ》した。のみならず、それを平気に翌日《あくるひ》連れて行《い》つたので、とう/\露見《ろけん》して仕舞つたのださうである。
 代助は此話《このはなし》を聞いた時、その実社会に触れてゐる点に於て、現代的滑稽の標本だと思つた。平岡はそれから、幸徳秋水と云ふ社会主義の人《ひと》を、政府がどんなに恐れてゐるかと云ふ事を話した。幸徳秋水の家《いへ》の前《まへ》と後《うしろ》に巡査が二三人|宛《づゝ》昼夜|張番《はりばん》をしてゐる。一時は天幕《てんと》を張つて、其|中《なか》から覗《ねら》つてゐた。秋水が外出すると、巡査が後《あと》を付ける。万一見失ひでもしやうものなら非常な事件になる。今本郷に現はれた、今神田へ来《き》たと、夫《それ》から夫《それ》へと電話が掛《かゝ》つて東京市中大騒ぎである。新宿《しんじゆく》警察署では秋水|一人《ひとり》の為《ため》に月々《つき/″\》百円|使《つか》つてゐる。同じ仲間《なかま》の飴屋《あめや》が、大道で飴細工《あめざいく》を拵《こしら》えてゐると、白服《しろふく》の巡査が、飴《あめ》の前《まへ》へ鼻《はな》を出《だ》して、邪魔になつて仕方《しかた》がない。
 是も代助の耳《みゝ》には、真面目《まじめ》な響《ひゞき》を与へなかつた。
「矢っ張り現代的滑稽の標本ぢやないか」と平岡は先刻《さつき》の批評を繰《く》り返《かへ》しながら、代助を挑《いど》んだ。代助はさうさと笑つたが、此方面にはあまり興味がないのみならず、今日《けふ》は平生《いつも》の様に普通の世間|話《ばなし》をする気でないので、社会主義の事はそれなりにして置いた。先刻《さつき》平岡の呼ばうと云ふ芸者を無理に已めさしたのも是が為《ため》であつた。
「実《じつ》は君《きみ》に話《はな》したい事があるんだが」と代助は遂《つい》に云ひ出《だ》した。すると、平岡は急に様子を変へて、落ち付《つ》かない眼《め》を代助の上《うへ》に注《そゝ》いだが、卒然《そつぜん》として、
「そりや、僕も疾《と》うから、何《ど》うかする積《つもり》なんだけれども、今《いま》の所ぢや仕方《しかた》がない。もう少《すこ》し待つて呉れ玉へ。其代り君の兄《にい》さんや御父《おとつ》さんの事も、斯《か》うして書《か》かずにゐるんだから」と代助には意表な返事をした。代助は馬鹿馬鹿しいと云ふより、寧ろ一種の憎悪《ぞうお》を感じた。
「君《きみ》も大分《だいぶ》変《かは》つたね」と冷《ひやゝ》かに云つた。
「君《きみ》の変《かは》つた如《ごと》く変《かは》つちまつた。斯《か》う摺《す》れちや仕方《しかた》がない。だから、もう少《すこ》し待つて呉《く》れ給《たま》へ」と答へて、平岡はわざとらしい笑《わら》ひ方《かた》をした。

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