2008年11月14日金曜日

二の三

 両人《ふたり》は其所《そこ》で大分《だいぶ》飲《の》んだ。飲《の》む事《こと》と食《く》ふ事は昔《むかし》の通りだねと言《い》つたのが始《はじま》りで、硬《こわ》い舌《した》が段々《だんだん》弛《ゆる》んで来《き》た。代助は面白さうに、二三日|前《まへ》自分の観《み》に行つた、ニコライの復活祭の話をした。御祭《おまつり》が夜《よ》の十二時を相図に、世の中の寐鎮《ねしづ》まる頃を見計《みはから》つて始《はじま》る。参詣《さんけい》人が長い廊下を廻《まは》つて本堂へ帰つて来《く》ると、何時《いつ》の間《ま》にか幾千本《いくせんぼん》の蝋燭が一度《いちど》に点《つ》いてゐる。法衣《ころも》を着《き》た坊主が行列して向ふを通るときに、黒《くろ》い影《かげ》が、無地《むぢ》の壁《かべ》へ非常に大きく映《うつ》る。――平岡は頬杖を突《つ》いて、眼鏡《めがね》の奥の二重瞼《ふたへまぶち》を赤くしながら聞いてゐた。代助はそれから夜の二時頃|広《ひろ》い御成《おなり》街道を通《とほ》つて、深夜《しんや》の鉄軌《レール》が、暗《くら》い中《なか》を真直《まつすぐ》に渡《わた》つてゐる上《うへ》を、たつた一人《ひとり》上野《うへの》の森《もり》迄|来《き》て、さうして電燈に照らされた花《はな》の中《なか》に這入《はい》つた。
「人気《ひとけ》のない夜桜《よざくら》は好《い》いもんだよ」と云つた。平岡は黙《だま》つて盃《さかづき》を干《ほ》したが、一寸《ちよつと》気の毒さうに口元《くちもと》を動《うご》かして、
「好《い》いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似《まね》が出来《でき》る間《あひだ》はまだ気楽なんだよ。世の中《なか》へ出《で》ると、中々《なか/\》それ所《どころ》ぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。其所《そこ》でこんな答をした。
「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」
 平岡は酔つた眼《め》を心持大きくした。
「大分《だいぶ》考へが違《ちが》つて来《き》た様だね。――けれども其苦痛が後《あと》から薬《くすり》になるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」
「そりや不見識な青年が、流俗の諺《ことわざ》に降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」
「だつて、君だつて、もう大抵世の中《なか》へ出《で》なくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」
「世の中《なか》へは昔《むかし》から出《で》てゐるさ。ことに君と分《わか》れてから、大変世の中が広《ひろ》くなつた様な気がする。たゞ君の出《で》てゐる世《よ》の中《なか》とは種類が違《ちが》ふ丈だ」
「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」
「無論食ふに困る様になれば、何時《いつ》でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を嘗《な》めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」
 平岡の眉の間《あひだ》に、一寸《ちよつと》不快の色が閃《ひら》めいた。赤い眼《め》を据ゑてぷか/\烟草《たばこ》を吹かしてゐる。代助は、ちと云ひ過ぎたと思つて、少《すこ》し調子を穏《おだ》やかにした。――
「僕の知つたものに、丸で音楽の解《わか》らないものがある。学校の教師をして、一軒ぢや飯《めし》が食《く》へないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやつてゐるが、そりや気の毒なもんで、下読《したよみ》をするのと、教場へ出《で》て器械的に口《くち》を動《うご》かしてゐるより外に全く暇《ひま》がない。たまの日曜抔は骨休めとか号して一日ぐう/\寐てゐる。だから何所《どこ》に音楽会があらうと、どんな名人が外国から来《き》やうと聞《きゝ》に行く機会がない。つまり楽《がく》といふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。麺麭《ぱん》に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭《ぱん》を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」
 平岡は巻莨《まきたばこ》の灰を、皿《さら》の上《うへ》にはたきながら、沈《しづ》んだ暗《くら》い調子で、
「うん、何時《いつ》迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其|重《おも》い言葉の足《あし》が、富《とみ》に対する一種の呪咀を引《ひ》き摺《ず》つてゐる様に聴《きこ》えた。

0 件のコメント: