2008年11月12日水曜日

十二の七

 食事《しよくじ》が済《す》んでから、主客《しゆかく》は又応接|間《ま》に戻《もど》つて、話《はなし》を始《はじ》めたが、蝋燭《ろうそく》を継《つ》ぎ足《た》した様に、新《あた》らしい方へは急に火が移りさうにも見えなかつた。梅子は立つて、ピヤノの蓋《ふた》を開《あ》けて、
「何《なに》か一つ如何《いかゞ》ですか」と云ひながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかつた。
「ぢや、代さん、皮切《かはきり》に何か御|遣《や》り」と今度は代助に云つた。代助は人《ひと》に聞かせる程の上手でないのを自覚してゐた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟|臭《くさ》く、しつこくなる許《ばかり》だから、
「まあ、蓋《ふた》を開《あ》けて御置《おおき》なさい。今《いま》に遣《や》るから」と答へたなり、何かなしに、無関係の事を話《はな》しつゞけてゐた。
 一時間程して客《きやく》は帰《かへ》つた。四人《よつたり》は肩《かた》を揃へて玄関迄|出《で》た。奥へ這入る時、
「代助はまだ帰《かへ》るんぢやなからうな」と父《ちゝ》が云つた。代助はみんなから一足《ひとあし》後《おく》れて、鴨居《かもゐ》の上《うへ》に両手が届《とゞ》く様な伸《のび》を一つした。それから、人《ひと》のゐない応接|間《ま》と食堂を少しうろ/\して座敷へ来《き》て見ると、兄《あに》と嫂《あによめ》が向き合《あ》つて何か話《はなし》をしてゐた。
「おい、すぐ帰《かへ》つちや不可《いけ》ない。御父《おとう》さんが何か用があるさうだ。奥《おく》へ御出《おいで》」と兄《あに》はわざとらしい真面目《まじめ》な調子で云つた。梅子は薄|笑《わら》ひをしてゐる。代助は黙《だま》つて頭《あたま》を掻《か》いた。
 代助は一人《ひとり》で父《ちゝ》の室《へや》へ行く勇気がなかつた。何とか蚊とか云つて、兄《あに》夫婦を引張つて行《い》かうとした。それが旨《うま》く成功しないので、とう/\其所《そこ》へ坐《すは》り込んで仕舞つた。所へ小間使《こまづかひ》が来《き》て、
「あの、若旦那様に一寸《ちよつと》、奥《おく》迄|入《いら》つしやる様に」と催促した。
「うん、今《いま》行《い》く」と返事をして、それから、兄《あに》夫婦に斯《か》ういふ理窟を述べた。――自分|一人《ひとり》で父《ちゝ》に逢《あ》ふと、父《ちゝ》があゝ云ふ気象の所へ持つて来《き》て、自分がこんな図法螺《づぼら》だから、殊によると大いに老人《としより》を怒《おこ》らして仕舞ふかも知れない。さうすると、兄《あに》夫婦だつて、後《あと》から面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。其方《そのほう》が却つて迷惑になる訳だから、骨惜《ほねおしみ》をせずに今|一寸《ちよつと》一所に行《い》つて呉れたら宜《よ》からう。
 兄《あに》は議論が嫌な男《おとこ》なので、何《な》んだ下《くだ》らないと云はぬ許《ばかり》の顔をしたが、
「ぢや、さあ行かう」と立ち上《あ》がつた。梅子も笑ひながらすぐに立《た》つた。三人して廊下を渡つて父《ちゝ》の室《へや》に行《い》つて、何事《なにごと》も起《おこ》らなかつたかの如く着坐した。
 そこでは、梅子が如才《じよさい》なく、代助の過去に父《ちゝ》の小言《こごと》が飛《と》ばない様な手加減《てかげん》をした。さうして談話の潮流を、成るべく今帰つた来客の品評の方へ持《も》つて行《い》つた。梅子は佐川の令嬢を大変|大人《おとな》しさうな可《い》い子《こ》だと賞《ほ》めた。是には父《ちゝ》も兄《あに》も代助も同意を表した。けれども、兄《あに》は、もし亜米利加のミスの教育を受けたと云ふのが本当なら、もう少しは西洋流にはき/\しさうなものだと云ふ疑《うたがひ》を立《た》てた。代助は其|疑《うたがひ》にも賛成した。父《ちゝ》と嫂《あによめ》は黙《だま》つてゐた。そこで代助は、あの大人《おとな》しさは、羞恥《はにか》む性質《せいしつ》の大人《おとなし》さだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだらうと説明した。父《ちゝ》はそれも左《さ》うだと云つた。梅子は令嬢の教育地が京都だから、あゝなんぢやないかと推察した。兄《あに》は東京だつて、御前《おまへ》見《み》た様なの許《ばかり》はゐないと云つた。此時|父《ちゝ》は厳正《げんせい》な顔《かほ》をして灰吹《はいふき》を叩《たゝ》いた。次《つぎ》に、容色《きりよう》だつて十人|並《なみ》より可《い》いぢやありませんかと梅子が云つた。是には父《ちゝ》も兄《あに》も異議はなかつた。代助も賛成の旨《むね》を告白した。四人は夫《それ》から高木の品評に移つた。温健の好人物と云ふ事で、其方《そのほう》はすぐ方付《かたづ》いて仕舞つた。不幸にして誰《だれ》も令嬢の父母を知らなかつた。けれども、物堅《ものがた》い地味な人《ひと》だと云ふ丈は、父《ちゝ》が三人《さんにん》の前で保証した。父《ちゝ》はそれを同県下の多額納税議員の某から確《たしか》めたのださうである。最後に、佐川家の財産に就ても話《はなし》が出《で》た。其《その》時父は、あゝ云ふのは、普通の実業家より基礎が確《しつか》りしてゐて安全だと云つた。
 令嬢の資格が略《ほゞ》定《さだ》まつた時、父《ちゝ》は代助に向つて、
「大した異存もないだらう」と尋ねた。其語調と云ひ、意味と云ひ、何《ど》うするかね位の程度ではなかつた。代助は、
「左様《さう》ですな」と矢っ張り煮《に》え切《き》らない答をした。父《ちゝ》はじつと代助を見てゐたが、段々《だん/\》皺《しわ》の多い額《ひたひ》を曇《くも》らした。兄《あに》は仕方なしに、
「まあ、もう少し善《よ》く考へて見るが可《い》い」と云つて、代助の為《ため》に余裕を付《つ》けて呉れた。

0 件のコメント: