2008年11月12日水曜日

十五の四

 定刻《ていこく》になつて、代助は出掛《でか》けた。足駄穿《あしだばき》で雨傘《あまがさ》を提《さ》げて電車に乗《の》つたが、一方の窓《まど》が締《し》め切《き》つてある上《うへ》に、革紐《かはひも》にぶら下《さ》がつてゐる人《ひと》が一杯なので、しばらくすると胸《むね》がむかついて、頭《あたま》が重《おも》くなつた。睡眠不足が影響したらしく思はれるので、手《て》を窮屈に伸《の》ばして、自分の後《うしろ》丈を開《あ》け放《はな》つた。雨は容赦なく襟から帽子に吹《ふ》き付《つ》けた。二三分の後《のち》隣《となり》の人《ひと》の迷惑さうな顔《かほ》に気が付《つ》いて、又|元《もと》の通りに硝子窓《がらすまど》を上《あ》げた。硝子《がらす》の表側《おもてがは》には、弾《はぢ》けた雨《あめ》の珠《たま》が溜《たま》つて、往来が多少|歪《ゆが》んで見えた。代助は首《くび》から上《うへ》を捩《ね》ぢ曲《ま》げて眼《め》を外面《そと》に着《つ》けながら、幾《いく》たびか自分の眼《め》を擦《こ》すつた。然し何遍|擦《こす》つても、世界の恰好が少し変つて来《き》たと云ふ自覚が取れなかつた。硝子《がらす》を通《とほ》して斜《なゝめ》に遠方を透《す》かして見るときは猶|左様《さう》いふ感じがした。
 弁慶橋《べんけいばし》で乗り換《か》えてからは、人もまばらに、雨も小降《こぶ》りになつた。頭《あたま》も楽《らく》に濡《ぬ》れた世の中《なか》を眺める事が出来《でき》た。けれども機嫌《きげん》の悪《わる》い父《ちゝ》の顔《かほ》が、色々な表情を以て彼《かれ》の脳髄を刺戟した。想像の談話さへ明《あきら》かに耳に響《ひゞ》いた。
 玄関を上《あが》つて、奥へ通る前《まへ》に、例の如く一応|嫂《あによめ》に逢つた。嫂《あによめ》は、
「鬱陶しい御天気ぢやありませんか」と愛想よく自分で茶を汲んで呉れた。然し代助は飲む気にもならなかつた。
「御父《おとう》さんが待つて御出《おいで》でせうから、一寸《ちよつと》行《い》つて話《はなし》をして来《き》ませう」と立ち掛《か》けた。嫂《あによめ》は不安らしい顔《かほ》をして、
「代さん、成《な》らう事なら、年寄《としより》に心配を掛けない様になさいよ。御父《おとう》さんだつて、もう長《なが》い事はありませんから」と云つた。代助は梅子の口《くち》から、こんな陰気な言葉を聞《き》くのは始めてであつた。不意に穴倉《あなぐら》へ落《お》ちた様な心持がした。
 父《ちゝ》は烟草盆を前に控えて、俯向《うつむ》いてゐた。代助の足音を聞《き》いても顔《かほ》を上《あ》げなかつた。代助は父《ちゝ》の前《まへ》へ出《で》て、叮嚀に御辞儀をした。定《さだ》めて六づかしい眼付《めつき》をされると思ひの外、父《ちゝ》は存外|穏《おだや》かなもので、
「降《ふ》るのに御苦労だつた」と労《いた》はつて呉れた。其時始めて気が付《つ》いて見ると、父《ちゝ》の頬《ほゝ》が何時《いつ》の間《ま》にかぐつと瘠《こ》けてゐた。元来が肉《にく》の多い方だつたので、此変化が代助には余計目立つて見えた。代助は覚えず、
「何《ど》うか為《な》さいましたか」と聞いた。
 父《ちゝ》は親《おや》らしい色《いろ》を一寸《ちよつと》顔《かほ》に動《うご》かした丈で、別に代助の心配を物《もの》にする様子もなかつたが、少時《しばらく》話《はな》してゐるうちに、
「己《おれ》も大分《だいぶ》年《とし》を取つてな」と云ひ出《だ》した。其調子が何時《いつ》もの父《ちゝ》とは全く違《ちが》つてゐたので、代助は最前|嫂《あによめ》の云つた事を愈重く見なければならなくなつた。
 父《ちゝ》は年《とし》の所為《せゐ》で健康の衰へたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事を代助に洩《も》らした。けれども今は日露戦争後の商工業膨脹の反動を受けて、自分の経営にかゝる事業が不景気の極端に達してゐる最中《さいちう》だから、此難関を漕《こ》ぎ抜けた上《うへ》でなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分已を得ずに辛抱してゐるより外に仕方がないのだと云ふ事情を委しく話した。代助は父《ちゝ》の言葉を至極尤もだと思つた。
 父《ちゝ》は普通の実業なるものゝ困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心《こゝろ》の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大|地主《ぢぬし》の、一見|地味《ぢみ》であつて、其実自分等よりはずつと鞏固の基礎を有してゐる事を述べた。さうして、此比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させやうと力めた。
「さう云ふ親類が一軒位あるのは、大変な便利で、且つ此際《このさい》甚だ必要ぢやないか」と云つた。代助は、父《ちゝ》としては寧ろ露骨過ぎる此政略的結婚の申し出《いで》に対して、今更驚ろく程、始めから父《ちゝ》を買ひ被つてはゐなかつた。最後の会見に、父《ちゝ》が従来の仮面《かめん》を脱《ぬ》いで掛《か》かつたのを、寧ろ快《こゝろ》よく感じた。彼自身《かれじしん》も、斯《こ》んな意味の結婚を敢てし得る程度の人間《にんげん》だと自《みづか》ら見積《みつもつ》てゐた。
 其上《そのうへ》父《ちゝ》に対して何時《いつ》にない同情があつた。其|顔《かほ》、其|声《こえ》、其代助を動かさうとする努力、凡てに老後の憐れを認める事が出来た。代助はこれをも、父の策略とは受取り得なかつた。私《わたくし》は何《ど》うでも宜《よ》う御座いますから、貴方《あなた》の御都合の好《い》い様に御|極《き》めなさいと云ひたかつた。

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