2008年11月13日木曜日

六の八

 代助は盃《さかづき》へ唇《くちびる》を付《つ》けながら、是から先《さき》はもう云ふ必要がないと感じた。元来が平岡を自分の様に考へ直《なほ》させる為《ため》の弁論でもなし、又平岡から意見されに来《き》た訪問でもない。二人《ふたり》はいつ迄|立《た》つても、二人《ふたり》として離《はな》れてゐなければならない運命を有《も》つてゐるんだと、始めから心付《こゝろづい》てゐるから、議論は能い加減に引き上《あ》げて、三千代《みちよ》の仲間《なかま》入りの出来る様な、普通の社交上の題目に談話を持つて来《き》やうと試みた。
 けれども、平岡は酔ふとしつこくなる男であつた。胸毛《むなげ》の奥《おく》迄赤くなつた胸《むね》を突き出《だ》して、斯う云つた。
「そいつは面白い。大いに面白い。僕見た様に局部に当《あた》つて、現実と悪闘《あくとう》してゐるものは、そんな事を考へる余地がない。日本が貧弱《ひんじやく》だつて、弱虫《よはむし》だつて、働《はた》らいてるうちは、忘れてゐるからね。世の中《なか》が堕落《だらく》したつて、世の中《なか》の堕落に気が付《つ》かないで、其|中《うち》に活動するんだからね。君の様な暇人《ひまじん》から見れば日本の貧乏《びんぼう》や、僕等の堕落《だらく》が気になるかも知れないが、それは此社会に用のない傍観者にして始めて口《くち》にすべき事だ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、さうなるんだ。忙《いそ》がしい時は、自分の顔の事なんか、誰だつて忘れてゐるぢやないか」
 平岡は※[#「口+堯」、104-10]舌《しやべ》つてるうち、自然と此比喩に打《ぶ》つかつて、大いなる味方を得た様な心持がしたので、其所《そこ》で得意に一段落をつけた。代助は仕方《しかた》なしに薄笑《うすわら》ひをした。すると平岡はすぐ後《あと》を附加《つけくは》へた。
「君は金《かね》に不自由しないから不可《いけ》ない。生活に困《こま》らないから、働《はた》らく気にならないんだ。要するに坊《ぼつ》ちやんだから、品《ひん》の好《い》い様なこと許《ばつ》かり云つてゐて、――」
 代助は少々平岡が小憎《こにくら》しくなつたので、突然中途で相手を遮《さへ》ぎつた。
「働《はた》らくのも可《い》いが、働《はた》らくなら、生活以上の働《はたらき》でなくつちや名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭《パン》を離れてゐる」
 平岡は不思議に不愉快な眼《め》をして、代助の顔《かほ》を窺《うかゞ》つた。さうして、
「何故《なぜ》」と聞《き》いた。
「何故《なぜ》つて、生活の為《た》めの労力は、労力の為《た》めの労力でないもの」
「そんな論理学の命題《めいだい》見た様なものは分《わか》らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云つてくれ」
「つまり食《く》ふ為《た》めの職業は、誠実にや出来|悪《にく》いと云ふ意味さ」
「僕の考へとは丸で反対だね。食ふ為めだから、猛烈に働らく気になるんだらう」
「猛烈には働《はた》らけるかも知れないが誠実には働《はた》らき悪《にく》いよ。食《く》ふ為《ため》の働《はた》らきと云ふと、つまり食《く》ふのと、働《はた》らくのと何方《どつち》が目的だと思ふ」
「無論|食《く》ふ方さ」
「夫れ見給へ。食《く》ふ方が目的で働《はた》らく方が方便なら、食《く》ひ易《やす》い様に、働《はた》らき方《かた》を合《あは》せて行くのが当然だらう。さうすりや、何を働《はた》らいたつて、又どう働《はた》らいたつて、構はない、只|麺麭《パン》が得られゝば好《い》いと云ふ事に帰着して仕舞ふぢやないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から掣肘される以上は、其労力は堕落の労力だ」
「まだ理論的だね、何《ど》うも。夫で一向差支ないぢやないか」
「では極《ごく》上品な例で説明してやらう。古臭《ふるくさ》い話《はなし》だが、ある本で斯《こ》んな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱へた所が、始めて、其料理人の拵《こしら》へたものを食《く》つて見ると頗《すこぶ》る不味《まづ》かつたんで、大変|小言《こごと》を云つたさうだ。料理人の方では最上の料理を食《く》はして、叱《しか》られたものだから、其次《そのつぎ》からは二流もしくは三流の料理を主人《しゆじん》にあてがつて、始終|褒《ほ》められたさうだ。此料理人を見給へ。生活の為《ため》に働らく事は抜目《ぬけめ》のない男だらうが、自分の技芸たる料理其物のために働《はた》らく点から云へば、頗る不誠実ぢやないか、堕落料理人ぢやないか」
「だつて左様《さう》しなければ解雇されるんだから仕方があるまい」
「だからさ。衣食に不自由のない人が、云はゞ、物数奇にやる働《はた》らきでなくつちや、真面目《まじめ》な仕事は出来《でき》るものぢやないんだよ」
「さうすると、君の様な身分のものでなくつちや、神聖の労力は出来ない訳だ。ぢや益《ます/\》遣《や》る義務がある。なあ三千代」
「本当ですわ」
「何だか話《はなし》が、元《もと》へ戻つちまつた。是だから議論は不可《いけ》ないよ」と云つて、代助は頭《あたま》を掻《か》いた。議論はそれで、とう/\御仕舞になつた。

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