2008年11月12日水曜日

十一の一

 何時《いつ》の間《ま》にか、人《ひと》が絽《ろ》の羽織を着《き》て歩《ある》く様になつた。二三日、宅《うち》で調物《しらべもの》をして庭先《にはさき》より外《ほか》に眺《なが》めなかつた代助は、冬帽を被《かぶ》つて表《おもて》へ出て見《み》て、急に暑さを感じた。自分もセルを脱《ぬ》がなければならないと思つて、五六町|歩《ある》くうちに、袷《あはせ》を着《き》た人《ひと》に二人《ふたり》出逢《であ》つた。左様《さう》かと思ふと新らしい氷屋で書生が洋盃《コツプ》を手《て》にして、冷《つめ》たさうなものを飲んでゐた。代助は其時誠太郎を思ひ出《だ》した。
 近頃代助は元《もと》よりも誠太郎が好《す》きになつた。外《ほか》の人間《にんげん》と話《はな》してゐると、人間《にんげん》の皮《かは》と話《はな》す様で歯痒《はがゆ》くつてならなかつた。けれども、顧《かへり》みて自分を見ると、自分は人間中《にんげんちう》で、尤も相手を歯痒《はがゆ》がらせる様に拵《こしら》えられてゐた。是も長年《ながねん》生存競争の因果《いんぐわ》に曝《さら》された罰《ばち》かと思ふと余り難有い心持はしなかつた。
 此頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがつてゐるが、それは、全く此間《このあひだ》浅草の奥山《おくやま》へ一所に連《つ》れて行《い》つた結果である。あの一図な所はよく、嫂《あによめ》の気性を受け継《つ》いでゐる。然し兄《あに》の子丈あつて、一図なうちに、何処《どこ》か逼《せま》らない鷹揚《おほよう》な気象がある。誠太郎の相手をしてゐると、向ふの魂《たましひ》が遠慮なく此方《こつち》へ流《なが》れ込《こ》んで来《く》るから愉快である。実際代助は、昼夜《ちうや》の区別なく、武装を解《と》いた事《こと》のない精神に、包囲されるのが苦痛であつた。
 誠太郎は此春《このはる》から中学校へ行き出《だ》した。すると急に脊丈《せたけ》が延《の》びて来《く》る様に思はれた。もう一二年すると声が変《かは》る。それから先《さき》何《ど》んな径路《けいろ》を取つて、生長するか分《わか》らないが、到底|人間《にんげん》として、生存する為《ため》には、人間《にんげん》から嫌《きら》はれると云ふ運命に到着するに違《ちがひ》ない。其時《そのとき》、彼《かれ》は穏《おだ》やかに人の目に着《つ》かない服装《なり》をして、乞食《こじき》の如く、何物をか求めつゝ、人《ひと》の市《いち》をうろついて歩《ある》くだらう。
 代助は堀|端《ばた》へ出《で》た。此間《このあひだ》迄|向《むかふ》の土手にむら躑躅《つゝぢ》が、団団《だんだん》と紅|白《はく》の模様を青い中《なか》に印してゐたのが、丸で跡形《あとかた》もなくなつて、のべつに草が生《お》い茂つてゐる高い傾斜の上《うへ》に、大きな松《まつ》が何十本となく並んで、何処《どこ》迄もつゞいてゐる。空《そら》は奇麗に晴《は》れた。代助は電車《でんしや》に乗《の》つて、宅《うち》へ行つて、嫂《あによめ》に調戯《からか》つて、誠太郎と遊ばうと思つたが、急に厭《いや》になつて、此松《このまつ》を見《み》ながら、草臥《くたびれ》る所迄|堀端《ほりばた》を伝《つた》つて行く気になつた。
 新見付《しんみつけ》へ来《く》ると、向《むかふ》から来《き》たり、此方《こつち》から行《い》つたりする電車が苦《く》になり出《だ》したので、堀《ほり》を横切《よこぎ》つて、招魂社の横《よこ》から番町へ出《で》た。そこをぐる/\回《まは》つて歩《ある》いてゐるうちに、かく目的なしに歩《ある》いてゐる事《こと》が、不意に馬鹿らしく思はれた。目的があつて歩《ある》くものは賤民だと、彼《かれ》は平生から信じてゐたのであるけれども、此場合に限《かぎ》つて、其賤民の方が偉《えら》い様な気がした。全《まつ》たく、又アンニユイに襲はれたと悟つて、帰《かへ》りだした。神楽坂へかゝると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしてゐた。其音《そのおと》が甚しく金属《きんぞく》性の刺激を帯びてゐて、大いに代助の頭《あたま》に応《こた》へた。
 家《いへ》の門《もん》を這入《はい》ると、今度は門野《かどの》が、主人の留守を幸ひと、大きな声で琵琶歌をうたつてゐた。夫《それ》でも代助の足音《あしおと》を聞《き》いて、ぴたりと已《や》めた。
「いや、御早うがしたな」と云つて玄関へ出《で》て来《き》た。代助は何にも答へずに、帽子を其所《そこ》へ掛《か》けた儘、椽側から書斎へ這入つた。さうして、わざ/\障子を締《し》め切つた。つゞいて湯呑《ゆのみ》に茶を注《つ》いで持つて来《き》た門野が、
「締《し》めときますか。暑《あつ》かありませんか」と聞《き》いた。代助は袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出《だ》して額《ひたひ》を拭いてゐたが、矢っ張り、
「締《し》めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締《し》めて出《で》て行つた。代助は暗《くら》くした室《へや》のなかに、十分許《じつぷんばかり》ぽかんとしてゐた。
 彼は人《ひと》の羨《うら》やむ程|光沢《つや》の好《い》い皮膚《ひふ》と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を有《も》つた男であつた。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかつた位、健康に於て幸福を享《う》けてゐた。彼はこれでこそ、生甲斐《いきがひ》があると信じてゐたのだから、彼の健康は、彼に取つて、他人《たにん》の倍以上に価値を有《も》つてゐた。彼の頭《あたま》は、彼の肉体と同じく確《たしか》であつた。たゞ始終論理に苦しめられてゐたのは事実である。それから時々《とき/″\》、頭《あたま》の中心《ちうしん》が、大弓《だいきう》の的《まと》の様に、二重《にぢう》もしくは三重《さんぢう》にかさなる様に感ずる事があつた。ことに、今日《けふ》は朝《あさ》から左様《そん》な心持がした。

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