2008年11月13日木曜日

四の四

 平岡の細君は、色の白い割に髪《かみ》の黒い、細面《ほそおもて》に眉毛《まみへ》の判然《はつきり》映《うつ》る女である。一寸《ちよつと》見ると何所《どこ》となく淋《さみ》しい感じの起る所が、古版《こはん》の浮世絵に似てゐる。帰京後は色光沢《いろつや》がことに可《よ》くないやうだ。始めて旅宿で逢つた時、代助は少《すこ》し驚ろいた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思つて、聞いて見たら、左様《さう》ぢやない、始終|斯《か》うなんだと云はれた時は、気の毒になつた。
 三千代《みちよ》は東京を出《で》て一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶら/\してゐたが、何《ど》うしても、はか/″\しく癒らないので、仕舞に医者に見て貰《もら》つたら、能《よ》くは分《わか》らないが、ことに依《よ》ると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた。もし左様《さう》だとすれば、心臓から動脈へ出《で》る血《ち》が、少しづゝ、後戻《あともど》りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来る丈養生に手を尽した所為《せゐ》か、一年許りするうちに、好《い》い案排《あんばい》に、元気が滅切《めつき》りよくなつた。色光沢《いろつや》も殆んど元《もと》の様に冴々《さえ/″\》して見える日が多いので、当人も喜《よろ》こんでゐると、帰る一ヶ月ばかり前から、又|血色《けつしよく》が悪くなり出《だ》した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為《ため》ではない。心臓は、夫程丈夫にもならないが、決して前よりは悪《わる》くなつてゐない。弁《べん》の作用に故障があるものとは、今は決して認められないといふ診断であつた。――是は三千代が直《ぢか》に代助に話《はな》した所である。代助は其時三千代の顔を見て、矢っ張り何か心配の為《ため》ぢやないかしらと思つた。
 三千代《みちよ》は美《うつ》くしい線《せん》を奇麗に重ねた鮮《あざや》かな二重瞼《ふたへまぶた》を持つてゐる。眼《め》の恰好は細長い方であるが、瞳《ひとみ》を据ゑて凝《じつ》と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼《くろめ》の働らきと判断してゐた。三千代《みちよ》が細君にならない前、代助はよく、三千代《みちよ》の斯《か》う云ふ眼遣《めづかひ》を見た。さうして今でも善《よ》く覚えてゐる。三千代《みちよ》の顔を頭《あたま》の中《なか》に浮《うか》べやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来|上《あが》らないうちに、此|黒《くろ》い、湿《うる》んだ様に暈《ぼか》された眼《め》が、ぽつと出《で》て来《く》る。
 廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代《みちよ》は今代助の前に腰《こし》を掛けた。さうして奇麗な手を膝《ひざ》の上《うへ》に畳《かさ》ねた。下《した》にした手にも指輪《ゆびわ》を穿《は》めてゐる。上《うへ》にした手にも指輪《ゆびわ》を穿《は》めてゐる。上《うへ》のは細い金《きん》の枠《わく》に比較的大きな真珠《しんじゆ》を盛《も》つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。
 三千代《みちよ》は顔《かほ》を上《あ》げた。代助は、突然《とつぜん》例の眼《め》を認《みと》めて、思はず瞬《またゝき》を一つした。
 汽車で着いた明日《あくるひ》平岡と一所に来《く》る筈であつたけれども、つい気分が悪《わる》いので、来損《きそく》なつて仕舞つて、それからは一人《ひとり》でなくつては来《く》る機会がないので、つい出《で》ずにゐたが、今日《けふ》は丁度、と云ひかけて、句を切つて、それから急に思ひ出した様に、此間|来《き》て呉れた時は、平岡が出掛際《でかけぎは》だつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様な詫《わび》をして、
「待《ま》つてゐらつしやれば可《よ》かつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた。けれども其調子は沈んでゐた。尤も是《これ》は此女の持《もち》調子で、代助は却つて其昔を憶《おも》ひ出《だ》した。
「だつて、大変|忙《いそが》しさうだつたから」
「えゝ、忙《いそが》しい事は忙《いそが》しいんですけれども――好《い》いぢやありませんか。居《ゐ》らしつたつて。あんまり他人行儀ですわ」
 代助は、あの時、夫婦の間に何があつたか聞いて見様と思つたけれども、まづ已めにした。例《いつも》なら調戯《からかひ》半分に、あなたは何か叱《しか》られて、顔《かほ》を赤くしてゐましたね、どんな悪《わる》い事をしたんですか位言ひかねない間柄《あひだがら》なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後《あと》から其場《そのば》を取り繕ふ様に、いたましく聞えたので、冗談を云ひ募る元気も一寸《ちよつと》出《で》なかつた。

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