2008年11月12日水曜日

十六の一

 翌日《あくるひ》眼《め》が覚《さ》めても代助の耳の底《そこ》には父《ちゝ》の最後の言葉が鳴《な》つてゐた。彼《かれ》は前後の事情から、平生以上の重《おも》みを其内容に附着しなければならなかつた。少《すく》なくとも、自分丈では、父《ちゝ》から受ける物質的の供給がもう絶えたものと覚悟する必要があつた。代助の尤も恐るゝ時期は近づいた。父《ちゝ》の機嫌を取り戻《もど》すには、今度の結婚を断るにしても、あらゆる結婚に反対してはならなかつた。あらゆる結婚に反対しても、父《ちゝ》を首肯《うなづ》かせるに足る程の理由を、明白に述べなければならなかつた。代助に取つては二つのうち何《いづ》れも不可能であつた。人生に対する自家の哲学《フヒロソフヒー》の根本に触れる問題に就いて、父《ちゝ》を欺くのは猶更不可能であつた。代助は昨日《きのふ》の会見を回顧して、凡てが進むべき方向に進んだとしか考へ得なかつた。けれども恐ろしかつた。自己が自己に自然な因果を発展させながら、其因果の重《おも》みを脊中《せなか》に負《しよ》つて、高い絶壁の端《はじ》迄押し出された様な心持であつた。
 彼《かれ》は第一の手段として、何か職業を求めなければならないと思つた。けれども彼《かれ》の頭《あたま》の中《なか》には職業と云ふ文字がある丈で、職業其物は体を具えて現《あら》はれて来《こ》なかつた。彼は今日迄如何なる職業にも興味を有つてゐなかつた結果として、如何なる職業を想ひ浮《うか》べて見ても、只《たゞ》其上《そのうへ》を上滑《うはすべ》りに滑《すべ》つて行く丈で、中《なか》に踏《ふ》み込んで内部から考へる事は到底出来なかつた。彼には世間が平《ひら》たい複雑な色分《いろわけ》の如くに見えた。さうして彼《かれ》自身は何等の色《いろ》を帯びてゐないとしか考へられなかつた。
 凡ての職業を見渡した後《のち》、彼《かれ》の眼《め》は漂泊者の上《うへ》に来《き》て、そこで留《と》まつた。彼は明《あき》らかに自分の影を、犬と人《ひと》の境《さかい》を迷《まよ》ふ乞食《こつじき》の群《むれ》の中《なか》に見|出《いだ》した。生活の堕落は精神の自由を殺す点に於て彼の尤も苦痛とする所であつた。彼は自分の肉体に、あらゆる醜穢《しうえ》を塗《ぬ》り付けた後《あと》、自分の心《こゝろ》の状態が如何に落魄するだらうと考へて、ぞつと身振《みぶるひ》をした。
 此落魄のうちに、彼は三千代を引張り廻《まは》さなければならなかつた。三千代は精神的に云つて、既に平岡の所有ではなかつた。代助は死に至る迄|彼女《かのをんな》に対して責任を負ふ積であつた。けれども相当の地位を有《も》つてゐる人の不実《ふじつ》と、零落《れいらく》の極に達した人の親切とは、結果に於て大《たい》した差違はないと今更ながら思はれた。死ぬ迄三千代に対して責任を負ふと云ふのは、負《お》ふ目的があるといふ迄で、負《お》つた事実には決してなれなかつた。代助は惘然《もうぜん》として黒内障《そこひ》に罹《かゝ》つた人の如くに自失した。
 彼《かれ》は又三千代を訪《たづ》ねた。三千代は前日《ぜんじつ》の如く静《しづか》に落《お》ち着《つ》いてゐた。微笑《ほゝえみ》と光輝《かゞやき》とに満《み》ちてゐた。春風《はるかぜ》はゆたかに彼女《かのをんな》の眉《まゆ》を吹いた。代助は三千代が己《おのれ》を挙げて自分に信頼してゐる事を知つた。其証拠を又|眼《ま》のあたりに見た時、彼《かれ》は愛憐《あいれん》の情と気の毒の念に堪えなかつた。さうして自己を悪漢の如くに呵責《かしやく》した。思ふ事は全く云ひそびれて仕舞つた。帰るとき、
「又都合して宅《うち》へ来《き》ませんか」と云つた。三千代はえゝと首肯《うなづ》いて微笑した。代助は身を切《き》られる程|酷《つら》かつた。
 代助は此間《このあひだ》から三千代を訪問する毎《ごと》に、不愉快ながら平岡の居《ゐ》ない時を択《えら》まなければならなかつた。始めはそれを左程にも思はなかつたが、近頃では不愉快と云ふよりも寧ろ、行き悪《にく》い度が日毎に強くなつて来《き》た。其上《そのうへ》留守の訪問が重《かさ》なれば、下女に不審を起させる恐れがあつた。気の所為《せゐ》か、茶を運《はこ》ぶ時にも、妙に疑ぐり深い眼付《めつき》をして、見られる様でならなかつた。然し三千代は全く知らぬ顔をしてゐた。少《すく》なくとも上部《うはべ》丈は平気であつた。
 平岡との関係に就ては、無論詳しく尋ねる機会もなかつた。会《たま》に一言二言《ひとことふたこと》夫《それ》となく問を掛けて見ても、三千代は寧ろ応じなかつた。たゞ代助の顔を見《み》れば、見てゐる其間《そのあひだ》丈の嬉《うれ》しさに溺《おぼ》れ尽《つく》すのが自然の傾向であるかの如くに思はれた。前後を取り囲《かこ》む黒い雲が、今にも逼《せま》つて来はしまいかと云ふ心配は、陰《かげ》ではいざ知らず、代助の前《まへ》には影《かげ》さへ見せなかつた。三千代は元来神経質の女であつた。昨今の態度は、何《ど》うしても此女の手際ではないと思ふと、三千代の周囲の事情が、まだ夫程険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任が一層重くなつたのだと解釈せざるを得なかつた。
「すこし又話したい事があるから来《き》て下《くだ》さい」と前よりは稍真面目に云つて代助は三千代と別れた。

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