2008年11月13日木曜日

五の二

 翌日《よくじつ》、代助が朝食《あさめし》の膳《ぜん》に向《むか》つて、例の如く紅茶を呑《の》んでゐると、門野《かどの》が、洗《あら》ひ立《た》ての顔《かほ》を光《ひか》らして茶の間《ま》へ這入つて来《き》た。
「昨夕《ゆふべ》は何時《いつ》御帰《おかへ》りでした。つい疲《つか》れちまつて、仮寐《うたゝね》をしてゐたものだから、些《ちつ》とも気が付きませんでした。――寐《ね》てゐる所を御覧になつたんですか、先生も随分|人《ひと》が悪《わる》いな。全体何時|頃《ごろ》なんです、御帰りになつたのは。夫迄《それまで》何所《どこ》へ行《い》つて居《ゐ》らしつた」と平生《いつも》の調子で苦《く》もなく※[#「口+堯」、71-2]舌《しやべ》り立てた。代助は真面目《まじめ》で、
「君、すつかり片付迄《かたづくまで》居《ゐ》て呉《く》れたんでせうね」と聞いた。
「えゝ、すつかり片付《かたづ》けちまいました。其代り、何《ど》うも骨《ほね》が折れましたぜ。何《なに》しろ、我々の引越《ひつこし》と違《ちが》つて、大きな物が色々《いろ/\》あるんだから。奥《おく》さんが坐敷《ざしき》の真中《まんなか》へ立《た》つて、茫然《ぼんやり》、斯《か》う周囲《まはり》を見回《みまは》してゐた様子《やうす》つたら、――随分|可笑《おかし》なもんでした」
「少《すこ》し身体《からだ》の具合が悪《わる》いんだからね」
「どうも左様《さう》らしいですね。色《いろ》が何《なん》だか可《よ》くないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格は好《い》いですね。昨夕《ゆふべ》一所に湯《ゆ》に入つて驚ろいた」
 代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本|書《か》いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人|宛《あて》で、先達《せんだつ》て送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿《あねむこ》宛で、タナグラの安いのを見付《みつ》けて呉れといふ依頼である。
 昼過《ひるすぎ》散歩の出掛《でが》けに、門野《かどの》の室《へや》を覗《のぞ》いたら又|引繰《ひつく》り返つて、ぐう/\寐てゐた。代助は門野《かどの》の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた。実を云ふと、自分は昨夕《ゆふべ》寐《ね》つかれないで大変難義したのである。例に依《よ》つて、枕《まくら》の傍《そば》へ置《お》いた袂《たもと》時計が、大変大きな音《おと》を出《だ》す。夫《それ》が気になつたので、手を延《の》ばして、時計を枕《まくら》の下《した》へ押し込んだ。けれども音《おと》は依然として頭《あたま》の中《なか》へ響《ひゞ》いて来《く》る。其音《そのおと》を聞《き》きながら、つい、うと/\する間《ま》に、凡ての外《ほか》の意識は、全く暗窖《あんこう》の裡《うち》に降下《こうか》した。が、たゞ独り夜《よる》を縫《ぬ》ふミシンの針《はり》丈が刻《きざ》み足に頭《あたま》の中《なか》を断《た》えず通《とほ》つてゐた事を自覚してゐた。所が其音《そのおと》が何時《いつ》かりん/\といふ虫の音《ね》に変つて、奇麗な玄関の傍《わき》の植込《うゑご》みの奥で鳴いてゐる様になつた。――代助は昨夕《ゆふべ》の夢を此所《こゝ》迄|辿《たど》つて来《き》て、睡|眠《みん》と覚醒《かくせい》との間《あひだ》を繋《つな》ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。
 代助は、何事によらず一度《いちど》気にかゝり出《だ》すと、何処《どこ》迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿|気《げ》さ加減の程度を明らかに見積《みつも》る丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方《かた》が猶|眼《め》に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何《いか》にして夢《ゆめ》に入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。夜《よる》、蒲団へ這入つて、好《い》い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所《こゝ》だ、斯《か》うして眠《ねむ》るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼《め》が冴《さ》えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所《こゝ》だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰《く》り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇《くらやみ》を検査する為《ため》に蝋燭を点《とも》したり、独楽《こま》の運動を吟味する為《ため》に独楽《こま》を抑《おさ》へる様なもので、生涯|寐《ね》られつこない訳になる。と解《わか》つてゐるが晩《ばん》になると又はつと思ふ。
 此困難は約一年許りで何時《いつ》の間《ま》にか漸く遠退《とほの》いた。代助は昨夕《ゆふべ》の夢《ゆめ》と此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己《じこ》の一部分を切り放《はな》して、其儘の姿《すがた》として、知らぬ間《ま》に夢の中《なか》へ譲《ゆづ》り渡す方が趣《おもむき》があると思つたからである。同時に、此作用は気狂《きちがひ》になる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂《きちがひ》にはなれないと信じてゐたのである。

0 件のコメント: