2008年11月13日木曜日

五の三

 それから二三日は、代助も門野《かどの》も平岡の消息を聞《き》かずに過《す》ごした。四日目《よつかめ》の午過《ひるすぎ》に代助は麻布《あざぶ》のある家《いへ》へ園遊会に呼ばれて行《い》つた。御客は男女を合せて、大分《だいぶ》来《き》たが、正賓と云ふのは、英国の国会議員とか実業家とかいふ、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけた其細君とであつた。これは中《なか》々の美人で、日本抔へ来《く》るには勿体ない位な容色だが、何処《どこ》で買つたものか、岐阜《ぎふ》出来《でき》の絵日傘《ゑひがさ》を得意に差《さ》してゐた。
 尤も其日は大変な好《い》い天気で、広い芝生の上《うへ》にフロツクで立つてゐると、もう夏《なつ》が来《き》たといふ感じが、肩《かた》から脊中《せなか》へ掛けて著《いちゞ》るしく起《おこ》つた位、空《そら》が真蒼《まつさを》に透《す》き通《とほ》つてゐた。英国の紳士は顔《かほ》をしかめて空《そら》を見《み》て、実《じつ》に美くしいと云つた。すると細君がすぐ、ラツヴレイと答《こた》へた。非常に疳《かん》の高《たか》い声で尤も力を入れた挨拶の仕様であつたので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思つた。
 代助も二言三言《ふたことみこと》此細君から話《はな》しかけられた。が三分《さんぷん》と経《た》たないうちに、遣《や》り切れなくなつて、すぐ退却した。あとは、日本服を着《き》て、わざと島田に結《い》つた令嬢と、長らく紐育《ニユーヨーク》で商業に従事してゐたと云ふ某が引き受けた。此某は英語を喋舌《しやべ》る天才を以て自ら任ずる男で、欠《か》かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話を遣《や》つて、それから英語で卓上演説をするのを、何よりの楽《たのし》みにしてゐる。何か云つては、あとでさも可笑《おか》しさうに、げら/\笑《わら》ふ癖《くせ》がある。英国人が時によると怪訝《けげん》な顔《かほ》をしてゐる。代助はあれ丈は已めたら可《よ》からうと思つた。令嬢も中々|旨《うま》い。是は米国婦人を家庭教師に雇つて、英語を使ふ事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考へながら、つく/″\感心して聞いてゐた。
 代助が此所《こゝ》へ呼ばれたのは、個人的に此所《こゝ》の主人や、此英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分の父《ちゝ》と兄《あに》との社交的勢力の余波で、招待状が廻つて来たのである。だから、万遍なく方々へ行《い》つて、好い加減に頭《あたま》を下《さ》げて、ぶら/\してゐた。其中《そのうち》に兄《あに》も居《ゐ》た。
「やあ、来《き》たな」と云つた儘、帽子に手も掛けない。
「何《ど》うも、好《い》い天気ですね」
「あゝ。結構だ」
 代助も脊の低《ひく》い方ではないが、兄《あに》は一層|高《たか》く出来てゐる。其上この五六年来次第に肥満して来《き》たので、中々《なか/\》立派に見える。
「何《ど》うです、彼方《あつち》へ行《い》つて、ちと外国人と話《はなし》でもしちや」
「いや、真平《まつぴら》だ」と云つて兄《あに》は苦笑《にがわら》ひをした。さうして大きな腹《はら》にぶら下《さ》がつてゐる金鎖《きんぐさり》を指《ゆび》の先《さき》で弄《いぢく》つた。
「何《ど》うも外国人は調子が可《い》いですね。少《すこ》し可《よ》すぎる位だ。あゝ賞《ほ》められると、天気の方でも是非|好《よ》くならなくつちやならなくなる」
「そんなに天気を賞《ほ》めてゐたのかい。へえ。少し暑過《あつす》ぎるぢやないか」
「私《わたし》にも暑過《あつす》ぎる」
 誠吾と代助は申し合せた様に、白い手巾《ハンケチ》を出《だ》して額《ひたひ》を拭《ふ》いた。両人《ふたり》共|重《おも》い絹帽《シルクハツト》を被《かぶ》つてゐる。
 兄弟は芝生の外《はづ》れの木蔭《こかげ》迄|来《き》て留《とま》つた。近所には誰《だれ》もゐない。向ふの方で余興か何《なに》か始まつてゐる。それを、誠吾は、宅《うち》にゐると同じ様な顔をして、遠くから眺めた。
「兄《あに》の様になると、宅《うち》にゐても、客に来《き》ても同じ心持ちなんだらう。斯《か》う世の中《なか》に慣れ切つて仕舞つても、楽しみがなくつて、詰《つま》らないものだらう」と思ひながら代助は誠吾の様子を見てゐた。
「今日《けふ》は御父《おとう》さんは何《ど》うしました」
「御父《おとう》さんは詩《し》の会《くわい》だ」
 誠吾は相変らず普通の顔で答へたが、代助の方は多少|可笑《おか》しかつた。
「姉《ねえ》さんは」
「御客の接待掛りだ」
 また嫂《あによめ》が後《あと》で不平を云ふ事だらうと考へると、代助は又|可笑《おか》しくなつた。

0 件のコメント: