2008年11月12日水曜日

十五の一

 三千代に逢つて、云ふべき事を云つて仕舞つた代助は、逢はない前に比べると、余程心の平和に接近し易くなつた。然し是は彼の予期する通りに行《い》つた迄で、別に意外の結果と云ふ程のものではなかつた。
 会見の翌日彼は永らく手に持つてゐた賽《さい》を思ひ切つて投《な》げた人の決心を以て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日《きのふ》から一種の責任を帯びねば済まぬ身《み》になつたと自覚した。しかも夫《それ》は自《みづか》ら進んで求めた責任に違《ちが》いなかつた。従つて、それを自分の脊《せ》に負ふて、苦しいとは思へなかつた。その重《おも》みに押されるがため、却つて自然と足《あし》が前に出る様な気がした。彼は自《みづか》ら切り開いた此運命の断片を頭《あたま》に乗《の》せて、父《ちゝ》と決戦すべき準備を整へた。父《ちゝ》の後《あと》には兄《あに》がゐた、嫂《あによめ》がゐた。是等と戦つた後《あと》には平岡がゐた。是等を切り抜《ぬ》けても大きな社会があつた。個人の自由と情実を毫も斟酌して呉《く》れない器械の様な社会があつた。代助には此社会が今全然暗黒に見えた。代助は凡てと戦ふ覚悟をした。
 彼は自分で自分の勇気と胆力に驚ろいた。彼は今日迄、熱烈を厭ふ、危きに近寄り得ぬ、勝|負事《ぶごと》を好まぬ、用心深い、太平の好紳士と自分を見傚してゐた。徳義上重大な意味の卑怯はまだ犯した事がないけれども、臆病と云ふ自覚はどうしても彼《かれ》の心から取り去る事が出来なかつた。
 彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其|中《なか》のある号で、Mountain《マウンテン》 Accidents《アクシデンツ》 と題する一篇に遭《あ》つて、かつて心《こゝろ》を駭《おどろ》かした。夫《それ》には高山を攀《よ》ぢ上《のぼ》る冒険者の、怪我|過《あやまち》が沢山に並《なら》べてあつた。登山の途中|雪崩《ゆきなだ》れに圧《お》されて、行き方知れずになつたものゝ骨が、四十年|後《ご》に氷河の先《さき》へ引|懸《かゝ》つて出《で》た話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立つた大きな平《ひら》岩を越すとき、肩から肩の上へ猿《さる》の様に重《かさ》なり合つて、最上の一人の手が岩《いは》の鼻へ掛かるや否や、岩《いは》が崩《くづ》れて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なつて、真逆様に四番目の男の傍《そば》を遥かの下に落ちて行つた話などが、幾何《いくつ》となく載せてあつた間に、錬瓦《れんぐわ》の壁《かべ》程急な山腹《さんぷく》に、蝙蝠《かうもり》の様に吸《す》ひ付いた人間《にんげん》を二三ヶ所点綴した挿画《さしゑ》があつた。其時代助は其絶壁の横《よこ》にある白い空間のあなたに、広《ひろ》い空《そら》や、遥かの谷《たに》を想像して、怖《おそ》ろしさから来《く》る眩暈《めまひ》を、頭《あたま》の中《なか》に再|現《げん》せずには居られなかつた。
 代助は今道徳界に於て、是等の登攀者と同一な地位に立つてゐると云ふ事を知つた。けれども自《みづか》ら其場に臨んで見ると、怯《ひる》む気は少しもなかつた。怯《ひる》んで猶予する方が彼に取つては幾倍の苦痛であつた。
 彼は一日《いちじつ》も早く父《ちゝ》に逢つて話《はなし》をしたかつた。万一の差支を恐れて、三千代が来《き》た翌日、又電話を掛けて都合を聞き合せた。父《ちゝ》は留守だと云ふ返事を得た。次《つぎ》の日又問ひ合せたら、今度は差支があると云つて断《ことわ》られた。其次には此方《こちら》から知らせる迄は来《く》るに及ばんといふ挨拶であつた。代助は命令通り控《ひか》えてゐた。其間|嫂《あによめ》からも兄《あに》からも便《たより》は一向なかつた。代助は始めは家《うち》のものが、自分に出来る丈長い、反省再考の時間を与へる為《ため》の策略ではあるまいかと推察して、平気に構へてゐた。三度の食事も旨《うま》く食《く》つた。夜《よる》も比較的|安《やす》らかな夢を見た。雨《あめ》の晴間《はれま》には門野《かどの》を連れて散歩を一二度した。然し宅《うち》からは使《つかひ》も手紙《てがみ》も来《こ》なかつた。代助は絶壁《ぜつぺき》の途中で休息する時間の長過ぎるのに安《やす》からずなつた。仕舞に思ひ切つて、自分の方から青山へ出掛《でか》けて行つた。兄《あに》は例の如く留守であつた。嫂《あによめ》は代助を見《み》て気の毒さうな顔をした。が、例の事件に就ては何にも語《かた》らなかつた。代助の来意を聞《き》いて、では私《わたし》が一寸《ちよつと》奥《おく》へ行《い》つて御父《おとう》さんの御都合を伺《うかゞ》つて来《き》ませうと云つて立つた。梅子の態度は、父《ちゝ》の怒りから代助を庇《かば》う様にも見えた。又彼を疎外する様にも取《と》れた。代助は両方の何《いづ》れだらうかと煩《わづら》つて待つてゐた。待ちながらも、何《ど》うせ覚悟の前だと何遍も口《くち》のうちで繰り返した。
 奥から梅子が出て来る迄には、大分|暇《ひま》が掛《かゝ》つた。代助を見て、又気の毒さうに、今日《けふ》は御都合が悪《わる》いさうですよと云つた。代助は仕方なしに、何時《いつ》来《き》たら宜《よ》からうかと尋ねた。固より例《れい》の様《やう》な元気はなく悄然とした問ひ振りであつた。梅子は代助の様子に同情の念を起した調子で、二三日中に屹度自分が責任を以て都合の好《い》い時日を知らせるから今日《けふ》は帰れと云つた。代助が内玄関を出《で》る時、梅子はわざと送つて来《き》て、
「今度《こんだ》こそ能く考へて入らつしやいよ」と注意した。代助は返事もせずに門《もん》を出《で》た。

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