2008年11月12日水曜日

十一の七

 代助は風《かぜ》を恐れて鳥打《とりうち》帽を被《かぶ》つてゐた。風《かぜ》は漸く歇《や》んで、強い日《ひ》が雲《くも》の隙間《すきま》から頭《あたま》の上《うへ》を照《て》らした。先《さき》へ行《ゆ》く梅子と縫子は傘《かさ》を広《ひろ》げた。代助は時々《とき/″\》手《て》の甲《かう》を額《ひたひ》の前《まへ》に翳《かざ》した。
 芝居の中《なか》では、嫂《あによめ》も縫《ぬひ》子も非常に熱心な観客《けんぶつ》であつた。代助は二返|目《め》の所為《せゐ》といひ、此|三四日来《さんよつからい》の脳の状態からと云ひ、左様《さう》一図に舞台ばかりに気を取《と》られてゐる訳《わけ》にも行《い》かなかつた。堪えず精神に重苦しい暑《あつさ》を感ずるので、屡|団扇《うちは》を手《て》にして、風《かぜ》を襟《えり》から頭《あたま》へ送《おく》つてゐた。
 幕《まく》の合間《あひま》に縫子が代助の方を向《む》いて時々《とき/″\》妙な事を聞《き》いた。何故《なぜ》あの人は盥《たらひ》で酒を飲むんだとか、何故《なぜ》坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであつた。梅子はそれを聞くたんびに笑つてゐた。代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思ひ出《だ》した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋《すぢ》に富《と》んでゐるので、楽《らく》に見物が出来ないと書《か》いてあつた。代助は其時《そのとき》、役者の立場《たちば》から考へて、何《なに》もそんな人《ひと》に見て貰ふ必要はあるまいと思つた。作者に云ふべき小言《こごと》を、役者の方へ持つてくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠理が聴きたいと云ふ愚物と同じ事だと云つて門野《かどの》に話した。門野は依然として、左様《そん》なもんでせうかなと云つてゐた。
 小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であつた。さうして舞台に於ける芸術の意味を、役者の手腕《しゆわん》に就てのみ用ひべきものと狭義に解釈してゐた。だから梅子とは大いに話《はなし》が合《あ》つた。時々《とき/″\》顔《かほ》を見合《みあは》して、黒人《くらうと》の様な批評を加へて、互に感心してゐた。けれども、大体に於て、舞台にはもう厭《あき》が来《き》てゐた。幕《まく》の途中《とちう》でも、双眼鏡で、彼方《あつち》を見たり、此方《こつち》を見たりしてゐた。双眼鏡の向《むか》ふ所には芸者が沢山ゐた。そのあるものは、先方《むかふ》でも眼鏡《めがね》の先《さき》を此方《こつち》へ向けてゐた。
 代助の右隣《みぎどなり》には自分と同年輩の男が丸髷に結《いつ》た美くしい細君を連れて来《き》てゐた。代助は其細君の横顔を見て、自分の近付《ちかづき》のある芸者によく似てゐると思つた。左隣《ひだりどなり》には男|連《づれ》が四人許《よつたりばかり》ゐた。さうして、それが、悉《ことごと》く博士であつた。代助は其顔を一々覚えてゐた。其又|隣《となり》に、広《ひろ》い所を、たつた二人《ふたり》で専《せん》領してゐるものがあつた。その一人《ひとり》は、兄《あに》と同じ位な年恰好《としかつこう》で、正《たゞ》しい洋服を着《き》てゐた。さうして金縁《きんぶち》の眼鏡《めがね》を掛けて、物を見《み》るときには、顎《あご》を前《まへ》へ出《だ》して、心持《こゝろもち》仰向《あほむ》く癖《くせ》があつた。代助は此《この》男を見たとき、何所《どこ》か見覚《みおぼえ》のある様な気がした。が、ついに思ひ出《だ》さうと力《つと》めても見なかつた。其|伴侶《つれ》は若《わか》い女であつた。代助はまだ廿《はたち》になるまいと判定した。羽織を着《き》ないで、普通よりは大きく廂《ひさし》を出《だ》して、多くは顎《あご》を襟元《えりもと》へぴたりと着《つ》けて坐《すは》つてゐた。
 代助は苦《くる》しいので、何返《なんべん》も席《せき》を立《た》つて、後《うしろ》の廊下へ出《で》て、狭《せま》い空《そら》を仰いだ。兄《あに》が来《き》たら、嫂《あによめ》と縫子を引き渡《わた》して早《はや》く帰りたい位に思つた。一|遍《ぺん》は縫子を連《つ》れて、其所等《そこいら》をぐる/\運動して歩《ある》いた。仕舞には些《ち》と酒でも取り寄《よ》せて飲《の》まうかと思つた。
 兄《あに》は日暮《ひくれ》とすれ/\に来《き》た。大変|遅《おそ》かつたぢやありませんかと云つた時、帯の間《あひだ》から、金時計を出《だ》して見せた。実際六時少し回《まは》つた許であつた。兄《あに》は例の如く、平気な顔《かほ》をして、方々|見回《みまは》してゐた。が、飯《めし》を食《く》ふ時、立つて廊下へ出たぎり、中々《なか/\》帰《かへ》つて来《こ》なかつた。しばらくして、代助は不図振り返《かへ》つたら、一軒|置《お》いて隣《とな》りの金縁《きんぶち》の眼鏡《めがね》を掛けた男の所へ這入つて、話《はなし》をしてゐた。若い女にも時々話しかける様であつた。然し女の方では笑《わら》ひ顔を一寸《ちよつと》見せる丈で、すぐ舞台の方へ真面目《まじめ》に向き直つた。代助は嫂《あによめ》に其人《そのひと》の名を聞《き》かうと思つたが、兄《あに》は人《ひと》の集《あつま》る所へさへ出れば、何所《どこ》へでも斯《かく》の如く平気に這入り込む程、世間《せけん》の広《ひろ》い、又|世間《せけん》を自分の家《いへ》の様に心得てゐる男であるから、気にも掛《か》けずに黙《だま》つてゐた。
 すると幕《まく》の切れ目に、兄《あに》が入口《いりぐち》迄|帰《かへ》つて来《き》て、代助|一寸《ちよつと》来《こ》いと云ひながら、代助を其|金縁《きんぶち》の男の席へ連れて行《い》つて、愚弟だと紹介した。それから代助には、是が神戸の高木さんだと云つて引合《ひきあは》した。金縁《きんぶち》の紳士は、若《わか》い女を顧みて、私の姪《めい》ですと云つた。女はしとやかに御辞義をした。其時《そのとき》兄が、佐川さんの令嬢だと口《くち》を添《そ》へた。代助は女の名を聞いたとき、旨《うま》く掛《か》けられたと腹《はら》の中《なか》で思つた。が何事も知らぬものゝ如く装《よそほ》つて、好加減《いゝかげん》に話《はな》してゐた。すると嫂《あによめ》が一寸《ちよつと》自分の方を振り向《む》いた。

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