2008年11月13日木曜日

六の二

 紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へ腰《こし》を懸けて、茫然《ぼんやり》庭《には》を眺《なが》めてゐると、瘤《こぶ》だらけの柘榴《ざくろ》の枯枝《かれえだ》と、灰色《はいいろ》の幹《みき》の根方《ねがた》に、暗緑《あんりよく》と暗紅《あんかう》を混《ま》ぜ合《あ》はした様な若《わか》い芽が、一面に吹き出《だ》してゐる。代助の眼《め》には夫《それ》がぱつと映《えい》じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。
 代助の頭《あたま》には今具体的な何物をも留《とゞ》めてゐない。恰かも戸外《こぐわい》の天気の様に、それが静《しづ》かに凝《じつ》と働《はた》らいてゐる。が、其底には微塵《みじん》の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪《ちいず》の中《なか》で、いくら虫《むし》が動《うご》いても、乾酪《ちいず》が元《もと》の位置にある間《あひだ》は、気が付かないと同じ事で、代助も此|微震《びしん》には殆んど自覚を有してゐなかつた。たゞ、それが生理的に反射して来《く》る度《たび》に、椅子の上《うへ》で、少し宛《づゝ》身体《からだ》の位置を変《か》へなければならなかつた。
 代助は近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉を、あまり口《くち》にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐると考へたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである。
 代助は露西亜文学に出《で》て来《く》る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈してゐる。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見てゐる。ダヌンチオによつて代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断してゐる。だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側《がは》からのみ社会を描《ゑが》き出すのを、舶来の唐物《とうぶつ》の様に見傚してゐる。
 理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、有《あ》つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりと留《とま》つて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石を抛《な》げた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければ可《よ》かつたと思つてゐる。禅坊さんの所謂|大疑現前《だいぎげんぜん》抔と云ふ境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国である。代助は、斯《か》う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口《りこう》に生れ過《す》ぎた男である。
 代助は門野《かどの》の賞《ほ》めた「煤烟」を読んでゐる。今日《けふ》は紅茶々碗の傍《そば》に新聞を置いたなり、開《あ》けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金《かね》に不自由のない男だから、贅沢《ぜいたく》の結果《けつくわ》あゝ云ふ悪戯《いたづら》をしても無理とは思へないが、「煤烟」の主人公に至つては、そんな余地のない程に貧《まづ》しい人である。それを彼所迄《あすこまで》押《お》して行くには、全く情愛《じやうあい》の力でなくつちや出来る筈のものでない。所が、要吉といふ人物にも、朋子《ともこ》といふ女にも、誠《まこと》の愛で、已むなく社会の外《そと》に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動《うご》かす内面の力は何であらうと考へると、代助は不審である。あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ。代助は独りで考へるたびに、自分は特殊人《オリヂナル》だと思ふ。けれども要吉の特殊人《オリヂナル》たるに至つては、自分より遥かに上手《うはて》であると承認した。それで此間《このあひだ》迄は好奇心に駆《か》られて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、眼《め》を通さない事がよくある。
 代助は椅子の上《うへ》で、時々《とき/″\》身を動《うご》かした。さうして、自分では飽く迄落ち付いて居ると思つてゐた。やがて、紅茶を呑んで仕舞つて、例《いつも》の通り読書《どくしよ》に取りかゝつた。約二時間ばかりは故障なく進行したが、ある頁《ページ》の中頃まで来《き》て急に休《や》めて頬杖を突《つ》いた。さうして、傍《そば》にあつた新聞を取つて、「煤烟」を読んだ。呼吸の合はない事は同じ事である。それから外《ほか》の雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつゝある生徒側の味方をしてゐる。それが中々強い言葉で出《で》てゐる。代助は斯う云ふ記事を読《よ》むと、是は大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為《ため》の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出《だ》した。

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