2008年11月13日木曜日

五の四

 代助は、誠吾の始終|忙《いそが》しがつてゐる様子を知つてゐる。又その忙《いそが》しさの過半は、斯《か》う云ふ会合から出来上《できあ》がつてゐるといふ事実も心得てゐる。さうして、別に厭《いや》な顔《かほ》もせず、一口《ひとくち》の不平も零《こぼ》さず、不規則に酒を飲んだり、物《もの》を食《く》つたり、女を相手にしたり、してゐながら、何時《いつ》見ても疲《つか》れた態《たい》もなく、噪《さわ》ぐ気色もなく、物外に平然として、年々肥満してくる技倆に敬服してゐる。
 誠吾が待合へ這入つたり、料理茶屋へ上《あが》つたり、晩餐に出《で》たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行つたり、新橋に人を送つたり、横浜に人を迎へたり、大磯へ御機嫌伺ひに行つたり、朝から晩迄多勢の集まる所へ顔を出《だ》して、得意にも見えなければ、失意にも思はれない様子は、斯《か》う云ふ生活に慣《な》れ抜《ぬ》いて、海月《くらげ》が海《うみ》に漂《たゞよ》ひながら、塩水《しほみづ》を辛《から》く感じ得ない様なものだらうと代助は考へてゐる。
 其所《そこ》が代助には難有い。と云ふのは、誠吾は父《ちゝ》と異《ちが》つて、嘗て小六※[#小書き濁点付き平仮名つ、77-6]かしい説法抔を代助に向つて遣《や》つた事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云ふ窮窟なものは、てんで、これつ許《ぱかり》も口《くち》にしないんだから、有《ある》んだか、無《な》いんだか、殆んど要領を得ない。其代り、此窮窟な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいふものを積極的《せききよくてき》に打《う》ち壊《こは》して懸《かゝ》つた試《ためし》もない。実に平凡で好《い》い。
 だが面白くはない。話し相手としては、兄《あに》よりも嫂《あによめ》の方が、代助に取つて遥かに興味がある。兄《あに》に逢ふと屹度|何《ど》うだいと云ふ。以太利に地震があつたぢやないかと云ふ。土耳古の天子が廃されたぢやないかと云ふ。其外、向ふ島の花はもう駄目になつた、横浜にある外国船の船底《ふなぞこ》に大蛇《だいぢや》が飼《か》つてあつた、誰《だれ》が鉄道で轢《ひ》かれた、ぢやないかと云ふ。みんな新聞に出た事|許《ばかり》である。其代り、当らず障らずの材料はいくらでも持つて居る。いつ迄|経《た》つても種《たね》が尽きる様子が見えない。
 さうかと思ふと。時にトルストイと云ふ人は、もう死んだのかね抔と妙な事を聞く事がある。今《いま》日本《にほん》の小説家では誰《だれ》が一番|偉《えら》いのかねと聞く事もある。要するに文芸には丸で無頓着で且つ驚ろくべく無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立つて平気で聞くんだから、代助も返事がし易《やす》い。
 斯《か》う云ふ兄《あに》と差し向《むか》ひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁《あく》がなくつて、気楽で好《い》い。たゞ朝から晩迄|出歩《である》いてゐるから滅多に捕《つら》まへる事が出来《でき》ない。嫂《あによめ》でも、誠太郎でも、縫子でも、兄《あに》が終日《しうじつ》宅《うち》に居て、三度の食事を家族と共に欠《か》かさず食《く》ふと、却つて珍《めづ》らしがる位である。
 だから木蔭《こかげ》に立つて、兄《あに》と肩《かた》を比《なら》べた時《とき》、代助は丁度|好《い》い機会だと思つた。
「兄《にい》さん、貴方《あなた》に少し話《はなし》があるんだが。何時《いつ》か暇《ひま》はありませんか」
「暇《ひま》」と繰り返《かへ》した誠吾は、何《なん》にも説明せずに笑つて見せた。
「明日《あした》の朝《あさ》は何《ど》うです」
「明日《あした》の朝《あさ》は浜《はま》迄|行《い》つて来《こ》なくつちやならない」
「午《ひる》からは」
「午《ひる》からは、会社の方に居る事はゐるが、少《すこ》し相談があるから、来《き》ても緩《ゆつ》くり話《はな》しちやゐられない」
「ぢや晩《ばん》なら宜《よ》からう」
「晩《ばん》は帝国ホテルだ。あの西洋人夫婦を明日《あした》の晩《ばん》帝国ホテルへ呼ぶ事になつてるから駄目だ」
 代助は口《くち》を尖《とん》がらかして、兄《あに》を凝《じつ》と見た。さうして二人《ふたり》で笑ひ出した。
「そんなに急《いそ》ぐなら、今日《けふ》ぢや、何《ど》うだ。今日《けふ》なら可《い》い。久し振《ぶ》りで一所に飯《めし》でも食《く》はうか」
 代助は賛成した。所が倶楽部《くらぶ》へでも行《ゆ》くかと思ひの外《ほか》、誠吾は鰻《うなぎ》が可《よ》からうと云ひ出した。
「絹帽《シルクハツト》で鰻《うなぎ》屋へ行くのは始《はじめ》てだな」と代助は逡巡した。
「何《なに》構《かま》ふものか」
 二人《ふたり》は園遊会を辞して、車《くるま》に乗つて、金杉橋《かなすぎばし》の袂《たもと》にある鰻屋《うなぎや》へ上《あが》つた。

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