2008年11月12日水曜日

十六の七

 門野《かどの》が寐惚《ねぼ》け眼《まなこ》を擦《こす》りながら、雨戸《あまど》を開《あ》けに出《で》た時、代助ははつとして、此|仮睡《うたゝね》から覚《さ》めた。世界の半面はもう赤い日《ひ》に洗《あら》はれてゐた。
「大変御早うがすな」と門野が驚ろいて云つた。代助はすぐ風呂場へ行つて水を浴《あ》びた。朝飯《あさめし》は食《く》はずに只紅茶を一杯飲んだ。新聞を見たが、殆んど何が書《か》いてあるか解《わか》らなかつた。読むに従つて、読《よ》んだ事が群《むら》がつて消えて行《い》つた。たゞ時計の針ばかりが気になつた。平岡が来《く》る迄にはまだ二時間あまりあつた。代助は其|間《あひだ》を何《ど》うして暮《く》らさうかと思つた。凝《じつ》としてはゐられなかつた。けれども何をしても手に付《つ》かなかつた。責《せ》めて此二時間をぐつと寐込んで、眼《め》を開《あ》けて見ると、自分の前に平岡が来《き》てゐる様にしたかつた。
 仕舞に何か用事を考へ出《だ》さうとした。不図机の上《うへ》に乗《の》せてあつた梅子の封筒が眼《め》に付《つ》いた。代助は是だと思つて、強いて机の前に坐《すは》つて、嫂《あによめ》へ謝状を書《か》いた。成るべく叮嚀に書く積であつたが、状袋へ入れて宛名迄|認《したゝ》めて仕舞つて、時計を眺めると、たつた十五分程しか経《た》つてゐなかつた。代助は席《せき》に着《つ》いた儘、安《やす》からぬ眼《め》を空《くう》に据ゑて、頭《あたま》の中《なか》で何か捜《さが》す様に見えた。が、急に起つた。
「平岡が来《き》たら、すぐ帰《かへ》るからつて、少《すこ》し待《ま》たして置いて呉れ」と門野《かどの》に云ひ置《お》いて表へ出《で》た。強い日が正面から射竦《ゐすく》める様な勢で、代助の顔《かほ》を打《う》つた。代助は歩《ある》きながら絶《た》えず眼《め》と眉《まゆ》を動《うご》かした。牛込見附を這入つて、飯田町を抜《ぬ》けて、九段|坂下《ざかした》へ出《で》て、昨日《きのふ》寄《よ》つた古本屋《ふるほんや》迄|来《き》て、
「昨日《きのふ》不要の本《ほん》を取りに来《き》て呉れと頼《たの》んで置いたが、少し都合があつて見合せる事にしたから、其積で」と断つた。帰りには、暑さが余り酷《ひど》かつたので、電車で飯田橋へ回《まは》つて、それから揚場《あげば》を筋違《すぢかひ》に毘沙門前《びしやもんまへ》へ出《で》た。
 家《うち》の前には車が一台《いちだい》下《お》りてゐた。玄関には靴《くつ》が揃へてあつた。代助は門野《かどの》の注意を待たないで、平岡の来《き》てゐる事を悟つた。汗《あせ》を拭《ふ》いて、着物《きもの》を洗《あら》ひ立《た》ての浴衣《ゆかた》に改めて、座敷へ出《で》た。
「いや、御使《おつかひ》で」と平岡が云つた。矢張り洋服を着《き》て、蒸《む》される様に扇を使つた。
「何《ど》うも暑《あつ》い所を」と代助も自《おのづ》から表立《おもてだつ》た言葉|遣《づかひ》をしなければならなかつた。
 二人《ふたり》はしばらく時候の話をした。代助はすぐ三千代の様子を聞いて見たかつた。然しそれが何《ど》う云ふものか聞き悪《にく》かつた。其内《そのうち》通例の挨拶も済《す》んで仕舞つた。話《はなし》は呼び寄せた方から、切り出すのが順当であつた。
「三千代さんは病気だつてね」
「うん。夫《それ》で社《しや》の方《ほう》も二三日|休《やす》ませられた様な訳で。つい君の所へ返事を出すのも忘れて仕舞つた」
「そりや何《ど》うでも構はないが。三千代さんはそれ程|悪《わる》いのかい」
 平岡は断然たる答を一言葉《ひとことば》でなし得なかつた。さう急に何《ど》うの斯《か》うのといふ心配もない様だが、決して軽《かる》い方ではないといふ意味を手短かに述《の》べた。
 此前|暑《あつ》い盛《さか》りに、神楽坂へ買物に出た序に、代助の所へ寄つた明日《あくるひ》の朝《あさ》、三千代は平岡の社へ出掛《でか》ける世話をしてゐながら、突《とつ》然|夫《おつと》の襟飾《えりかざり》を持つた儘卒倒した。平岡も驚ろいて、自分の支度《したく》は其儘に三千代を介抱した。十分の後三千代はもう大丈夫だから社へ出て呉《く》れと云ひ出《だ》した。口元《くちもと》には微笑の影さへ見えた。横《よこ》にはなつてゐたが、心配する程《ほど》の様子もないので、もし悪《わる》い様だつたら医者を呼ぶ様に、必要があつたら社へ電話を掛ける様に云ひ置いて平岡は出勤した。其晩は遅《おそ》く帰つた。三千代は心持が悪《わる》いといつて先《さき》へ寐《ね》てゐた。何《ど》んな具合かと聞《き》いても、判然《はつきり》した返事をしなかつた。翌日朝起きて見ると三千代の色沢《いろつや》が非常に可《よ》くなかつた。平岡は寧ろ驚ろいて医者を迎へた。医者は三千代の心臓を診察して眉をひそめた。卒倒は貧血の為《ため》だと云つた。随分強い神経衰弱に罹《かゝ》つてゐると注意した。平岡は夫《それ》から社を休《やす》んだ。本人は大丈夫だから出て呉《く》れろと頼む様に云つたが、平岡は聞《き》かなかつた。看護をしてから二日目《ふつかめ》の晩《ばん》に、三千代《みちよ》が涙《なみだ》を流して、是非|詫《あや》まらなければならない事があるから、代助の所へ行つて其訳を聞いて呉れろと夫《おつと》に告げた。平岡は始めてそれを聞いた時には、本当にしなかつた。脳《のう》の加減《かげん》が悪《わる》いのだらうと思つて、好《よ》し/\と気休《きやす》めを云つて慰めてゐた。三日目《みつかめ》にも同じ願が繰り返された。其時平岡は漸やく三千代の言葉に一種の意味を認《みと》めた。すると夕方《ゆふがた》になつて、門野が代助から出した手紙の返事を聞《き》きにわざ/\小石川迄|遣《や》つて来《き》た。
「君の用事と三千代の云ふ事と何か関係があるのかい」と平岡は不思議さうに代助を見た。

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